ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

音楽・本・映画・サッカーなど興味の趣くままに書いていきます。

調布の桜

2008-03-28 08:40:37 | Weblog
昨日、新宿から京王線に乗ったらトラブルでつつじヶ丘止まりになってしまった。
仕方がないので調布まで甲州街道をてくてく歩く。
途中、野川の桜が満開。いい季節になってきた。

3/22のランニング

2008-03-24 06:01:45 | ジョギング
娘と3キロをジョギング。ジョギングと言ったのに、娘はいきなり飛び出していった。
何とか1キロまではついていったが、4分30秒のペースは怪我明けの体にはとても無理。
そこからじりじりと後退。それでもいつもの6分を超すペースより大幅に速いタイムだった。
若さでぐいぐい走っていく娘を後ろから見ていると追いつけない悔しさよりも嬉しさの方がこみ上げてくる。

バレーにするかテニスにするかなどと迷っていた時に、「走りのフォームがきれいだし、陸上に向いてると思うよ」という一言がきっかけとなって
娘は中学に上がると陸上部に入りそれも長距離を目指すようになった。
小学校の運動会のかけっこは決して速いほうではなかったのに・・・。
娘と走るのはどんなに置いていかれても楽しい。

一瞬でいい/唯川恵

2008-03-16 13:26:00 | 
新聞連載だったからか時間軸の長い小説である。
1973年の18歳のときの事故をきっかけとして、その後の長い人生をさまざまに翻弄されていく男女たち。
それぞれのその時々の軌跡を29歳、37歳、49歳と描いていく。
3人の男女たちは決して会うことはないと思っていたはずなのに、人生のエポックで不思議とシンクロしていく。
そのあたりに状況設定としてかなり無理があるのだが、
そういう形で登場人物が絡んでいかないと物語として成立しないという構成上の苦しさがないわけではない。

人生には時計の針を戻してその一瞬だけをどうしてもリセットしたいという痛恨の瞬間があるものだ。
あの一瞬さえなければ、自分の人生は今とは違ったものになっていたはずなのにという思い。
この小説はそうした、生きられなかったもうひとつの人生について思いを馳せながら読み進めることになる。
それは、意識的に封印されていたものを呼び起こす作業でもあり、それだけにちょっと切なくもある。

この物語に出てくる男女は、それぞれが人生においていくつもの岐路に立たされるのだが、
ひとつの悲劇的な出来事のために選びとる道に必ず枷をはめようとしてしまう。
制約された選択のなかで懸命に幸福を求め、愛情のありかを探していくのだ。その同じベクトルが抗し難く彼らを結びつけ導いていく。

自ら十字架を背負って生きようとする生き方にさえ、一条の光が差すことはあるものなのだ。
この物語の救いは、破滅的な生き方を選んだとしても必ずしもそのような方向に向かっていくとは限らないということではないか。
人生とは本来きれいごとばかりではすまないものだ。
歳を経るにしたがってそのままならなさを悉ることで、人はまた赦されていくのだ。

3/15のランニング

2008-03-16 07:47:08 | ジョギング
金曜日の夜に少し飲みすぎてハングオーバー。
夕方まで家でぐったりしていたが、これではいけないと思い一念発起して夕方の河原に出る。
30分のウォーキングのあと、3キロのジョグ。
すっかり筋力が落ちてしまい、いくらも走らないうちにふくらはぎ、脛、大腿に乳酸がたまって苦しい。
3キロがとてつもなく長く感じられた。
左のないそく靭帯の辺りに少し痛みが出た。左をかばう走りになってしまいあまりいい兆候ではない。
気をつけなければ。

Here I Am/Dionne Warwick

2008-03-15 21:46:06 | 音楽
Dionne Warwickシリーズの第三弾は、彼女の5枚目のアルバム『Here I Am』。
Burt Bacharach-Hal Davidコンビの落ち着いたプロダクションが堪能できるいいアルバムだと思う。
このアルバムから大ヒット曲は生まれていないがタイトル曲の「Here I Am」や「Looking With My Eyes」のような、
バカラックらしい凝った作品もあって聴き所は多い。

彼女の歌い手としての特徴や力量をきちんと把握していたBacharach-Davidコンビは彼女への楽曲提供を通して、
さまざまな音楽的な冒険や創意を重ねてきたのではないか。
歌いこなすことのできる才能にめぐり合えたことがこの作曲家チームにとっても幸運だったと思う。

ともすると作家の個性に埋没してシンガーとしてのキャラクターが際立ってこないところが、
今までDionne Warwickをあまり聴いてこなかったことのひとつの理由だったような気がするが、
リズムの変化や不思議な転調、詞の展開など、
彼女でなければここまでスムースに歌いこなすことができなかったであろう楽曲が多いことに気がつかされる。
そういう意味でも非常に興味深く聴くことのできる一枚だと思うのだ。

3/9のランニング

2008-03-11 05:54:26 | ジョギング
土曜日に引き続き、日曜日もウォーキングとジョギングのセット。
土曜日よりも歩く時間を40分に短くし、2.5キロをジョグ。
相変わらず脛と足の裏が痛いが前日よりはしっかりと走ることができた。
徐々に慣らしていこう。今日からスクワットも開始した。筋力も徐々に付けていかなければ。

3/8のランニング

2008-03-09 16:35:15 | ジョギング
朝の冷気の中をウォーキングする。早春の風はまだまだ寒い。
うっかり手袋を忘れてきたことを少し後悔した。
3キロを30分かけて歩いた後で戻りの3キロをジョグ。
怪我して以来初めての3キロのランとなる。
膝は相変わらずだったが、やはり筋肉が落ちていて走っている間中両足の脛が激しい筋肉痛になってキックがうまくいかなかった。
逆に言えば、今まで使わなかった筋肉がようやく使われ始めたということで喜ばしいことだと思う。
しっかりとケアをしながら慎重に距離を延ばしていきたい。

J1第1節 FC東京対ヴィッセル神戸(調布・味の素スタジアム)1-1

2008-03-09 12:33:57 | サッカー
球春到来。
Jリーグの2008年シーズンが開幕した。これから12月までの長丁場を戦うレースの始まりだ。
今年はワールドカップの予選、北京オリンピックも控えており、過酷な日程との戦いでもある。

開幕戦はいやおうなしに興奮が立ち上がってくる。今年の東京の初戦の相手はヴィッセル神戸。
昨年は東京と同じく中位にとどまったが、弱点を補う補強に成功し今年は上位進出をうかがう。
東京からは鈴木規郎が移籍加入しており因縁浅からぬ相手。新星東京にとっては今期を占う上で初戦の相手としては申し分ない。

城福新監督になってから試合はおろか練習も見ていない。
テレビでプレシーズンマッチを観戦したぐらいで、あとはネットなどの情報ぐらいしかフォローしていない。
城福東京がどんなサッカーを見せてくれるのかわくわくしながらスタジアムへと向かった。

東京のシステムは事前の情報どおり、クリスマスツリー型といわれる4-3-2-1。
4バックの左に長友、トレス・ボランチには新加入の羽生、梶山、今野の豪華布陣。
トップの下に石川と新加入のエメルソン。ワントップは平山が先発した。
ベンチには鳴り物入りで入団が決まってからわずか2週間あまりで調整してきたカボレと
新加入のブルーノ・クワドロス、ユースから上がってきた新人の大竹の姿もある。

東京の変化を端的に表していたのが石川だろう。
原監督時代の右サイドに張り付いていたサイドの職人というイメージは微塵もない。
むしろ中で左でとボールのあるところに煩瑣に顔を出して前線をかき回す。
サイドをえぐっても安易にクロスをあげずに、中に切れ込んでアクセントをつけてからフィニッシュへと持ち込む。

また、梶山、羽生、エメルソンが中盤でしっかりとボールを繋ぎ前に運ぼうとする意識の高さが伺える。
長めのパスも足元に送るのではなくスペースに出して意中の選手を走らせようというインテリジェンスが漂う。
パスの繋ぎや選手間の連携にはまだぎこちなさ、拙さも残るが、
このスキルにオートマティズムが加わってくると随分と見ごたえのあるサッカーになりそうな予感がある。

得点は前半39分、エメルソンの蹴ったFKに羽生が合わせ、そこに今野が飛び込むというサインプレー。
セットプレーからのこの頭脳プレーも今までの東京にはなかったものだ。

弱点はやはり繋ぐ意識が強いとそれが目的化してしまうことだ。きちんとシュートで終わらないとカウンターの餌食になる。
この試合でもカウンターからの危ない場面が何度かあった。

試合は神戸もセットプレーをきっちりと決めてドローに終わった。
しかしながら、途中出場のカボレは大物の片鱗を十分にうかがわせるプレーを見せてくれたし、大竹も可能性を感じさせてくれた。
この戦い方が成熟していくのに時間がかかるということは我々にも容易に想像できる。
今年は焦れないで見守っていこうと思う。

最も美しいスポーツ、フットボール。今年もまた奇跡の一瞬を見届けるためにスタジアムへと通おう。