ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

音楽・本・映画・サッカーなど興味の趣くままに書いていきます。

台湾訪問記-3-

2008-05-05 00:25:06 | 
3/30(日)
ちょっとブランクが空いてしまったが、台湾旅行の続き。
高雄のホテルはちょっと高級なグランド・ハイライ・ホテル。
決して高いホテルを望んでいたわけではないのだが、現地の知人が手配してくれたホテルがこのホテルだった。
せっかくだから午前中はホテルでゆっくりと過ごす。ホテルのレストランでバイキング形式の遅めの朝食を採る。
ごく一般的な洋食もあれば、和食もあるが、台湾南部の名物、担仔麺(タンツーメン)なんかもあって、
いろいろと物色するうちにすっかり満腹になった。

新幹線の発着駅になっている左営は高雄の市街地からは10キロあまり離れていて、
最近開通したばかりの地下鉄で移動するのだが、これが開通記念で何と無料になっている。
そのためか、観光客や地元の人たちで朝の通勤電車並みに混んでいる。
しかも高雄の人たちは混んだ電車に乗り慣れていないせいか、ドア付近の人が降りないので、駅に着いても降りるのに一苦労だ。
日本人はつくづく公共マナー意識の高い民族だと思ってしまう。

その左営の高雄随一の観光名所である、蓮池潭に出かけてみる。
せっかく高雄まで来たことだし観光スポットのひとつぐらい行ってみようということだ。
ここは湖水公園になっていて、淡水湖に五重塔のような龍虎塔があって、それが風光明媚な風景を醸し出している、
・・・はずだったのだが、工事をしているようで湖の水が全部抜かれていた。
ちょっと興覚めではあったが、せっかくなのでこの極彩色の塔には昇ってみる。
龍の口から入って虎の口から出ると善人になるという言い伝えがあるそうだ。
う~ん。いまさら善人になどなれるのだろうか・・・。

夕方に新幹線で台北に戻る。天母地区にある地元の人たちがよく利用するという食堂に出かける。
ここの名物は刀削麺といって、こねたうどん粉を包丁でそぎ落とした、きし麺のような太さの麺だ。
トマトをベースによく煮込んだ牛肉入りの麺は程よい酸っぱさと、太い麺のもちもちとした食感の組み合わせが絶妙。
地元の人たちと一緒に食べる大衆台湾料理は、本当に美味しい。




台湾訪問記-2-

2008-04-10 23:02:02 | 
3/29(土)
午前中はホテルで朝寝を楽しんだ。
宿泊したホテルは郊外のリーズナブルなビジネスホテルといった風情だが、休憩料金の設定などいうのもあってちょっと??な雰囲気だ。
質素ながらしっかりとした朝食を食べてから出かける。


昨年開業したばかりの台湾高速鉄道に乗って、台北から高雄に向かう。
日本の技術で造られた日本の新幹線とほぼ同じ規格の新幹線が台北と高雄を2時間弱で結んでいる。
そのため、右側通行の台湾にあってこの新幹線だけは左側通行になっている。
時々仕事で乗る700系の東海道新幹線とほぼ同じ車内にいると、何だか東海道を下っているような錯覚に陥る。
とりわけ台中から台南にかけての田園地帯は日本の農村に近い風景といえなくもない。

高雄は北回帰線の南。台北が亜熱帯でまだまだ凌ぎやすいのに比べて、熱帯の高雄は30℃を超えている。
暑いということもあるが、港町である高雄は台北よりもどことなく開放的な雰囲気が漂っている。
東アジアというよりも東南アジアのとば口といってもいいのかもしれない。
到着してホテルにチェックインし一休みしてから街に出てみる。
街の大きさを実感するためには歩くに限る。
ホテルのフロントで手に入れた簡単な地図を片手に1時間ほど歩くと高雄の街の大きさがおぼろげながらにつかめてくる。
街中を歩いてから埠頭へと出てみる。埠頭では若いカップルたちが夕涼みをしながら語らいあっている。

夕方から「六合夜市」という観光マーケットに出かけてみる。
夜市とは言っても観光客相手であるせいか、本来市場にある猥雑さはない。
いわゆる飲食店やみやげ物を売る屋台が延々と並んでいるだけだ。
台湾の夜市ではアルコールを供しない。だから非常に健全である。
子連れでも危ないという感じがしないのだ。だから老若男女が思い思いに楽しんでいる。
屋台で台湾名物の炸醤麺を食べる。その後もチャーハンや餃子やらをちょっとずつ食べているうちに胃袋も満足してくる。
最後は足裏マッサージをしてもらって疲れもすっかり癒された。

高雄はおおらかな街だ。

台湾訪問記-1-

2008-04-06 13:21:59 | 
3/28(金)
約6年半ぶりの台湾。仕事で何度か訪れた土地だが、プライベートでの訪問は初めて。

かつて仕事ではもっぱら日本アジア航空のEG201便を利用して台北に飛んでいた。
中国が日本の航空会社の台湾への乗り入れを拒否したために
日航が設立した日本アジア航空が台湾線に就航していたという歴史的な経緯があるそうだが、
この4月から日本アジア航空が日航に吸収され日航の運行になるため、
4月を跨いでのこの旅は行きがEG便、帰りがJL便ということで、EG便に乗る最後の機会となる。
まあ、これも何かの巡り合わせということだろう。
搭乗後、機長から長年のご愛顧に感謝したいという機内アナウンスが流れる。
3時間半ちょっとのフライトの後、台北郊外にある桃園国際空港に到着した。

台北は、ここ数日の東京の気温より少し高い程度かなという感じ。日本の初夏の陽気だ。
台北の市街よりも北にある天母地区のホテルに荷物を降ろしたあと、早速路線バスに乗って台北市街へと出かける。
ここのところ台湾経済は回復基調にあるらしく、また先日の総統選挙の直後ということもあってか、
バスの車窓から眺める台北の街には活気が感じられる。

台北のランドマークになっている「TAIPEI101」という高層ビルを訪れる。
7年前にはなかったビルで、世界一の高層ビルとしてオープンしたそうだ。
台湾繁栄の新しい象徴というところだろう。ビルのうえから眺める夕方の台北市内は靄に霞んでいる。
黄砂の影響か無数のバイクの排気ガスなのか、台北はいつも霞んでいる。

夕食は台北中心部にある驥園川菜餐廳という四川料理の店。
この店の特徴は土鍋で鶏を丸ごとぐつぐつと煮込んだ「砂鍋土鶏」。
お店の入り口のにはいくつもの土鍋がぐつぐつの煮立っている。
コラーゲンたっぷりのスープが絶品。ちょっと置いておくと薄く膜が張るほどコクがある。
台湾はとにかく食べ物のうまいところ。食事にかかる費用も比較的安く、おいしいものが手軽に食べられるところがいい。

京都・壬生を巡る旅

2007-03-25 10:36:10 | 
ひょんなことから、京都で数時間を過ごすことになった。滞在時間は4時間弱。
この限られた時間ではあちこち欲張って廻ることは出来ない。
思い立ったのが、新選組ゆかりの壬生界隈。
徒歩でも廻れる範囲だから数時間の滞在にはうってつけだ。
近藤勇生誕地のほど近くに住んでいる私としては一度は訪れてみたい場所だった。

四条大宮に降り立ってまず目指したのは光縁寺。
新選組副長の山南敬介の墓がある。山南家とこの寺の家紋がたまたま同じだったことから住職との交流が始まり、
彼がこの地で自刃してこの寺に葬られた。朽ちかけた小さな墓石が印象的だった。
他にもここには藤堂平助、伊東甲子太郎、谷三十郎、野口健司など多くの新選組隊士たちが眠っているという。

光縁寺から歩いて数分のところに新選組の屯所だった前川邸、向かいに八木邸がある。
前川邸は非公開だが、休日は新選組グッズを売る土産店として公開している。
近藤や土方ら試衛館組が前川邸に寝起きしており、芹沢鴨や新見錦らは八木邸で生活していたそうだ。

八木邸(壬生屯所)は公開されており、芹沢鴨、平山五郎が土方、沖田らに惨殺された座敷にも入ることが出来る。
まさにその暗殺の現場となった座敷でボランティアのガイドに話を聴くのだが、
「ちょうどお嬢さんが座ってはるこのあたりに芹沢鴨が寝てはって、めった刺しにされたんですね。」
と説明されると、そこに座っていた女の子が複雑な表情を浮かべている。
鴨居にはそのときの刀傷と逃げ出した芹沢が躓いたという文机が残っており、
140年の時を超えてなお残る生々しさが印象的だった。

八木家の現当主はこの地で和菓子屋さんを営んでおり、
屯所餅という上品な甘さのお菓子と抹茶のもてなしを受けて一息ついた。

傘をささなくてもいいほどの、春の小雨が降ったりやんだり。
どんな季節のどんな天気でも京都はそれに合った風景を見せてくれる。

屯所のほど近くには壬生寺がある。
広い境内では新選組隊士たちがいわゆる兵法訓練を行っていたそうで、
ここで大砲も放っていたというから驚く。
映画「壬生義士伝」のワンシーンで見たのはここのことだったのかと合点する。
境内の隅には、壬生塚があり、芹沢鴨、平山五郎、河合耆三郎ら隊士の墓がある。

五条通を越えて南下する。
細い路地、人々の普段の営みのあるなかにかつての花街、島原がある。
浅田次郎の作品でも有名な「輪違屋」。島原太夫、いわゆる"こったい"の置屋である。
今でもその伝統を引き継いでお茶屋として営業しており、したがって観光客には非公開。
まあ私ごときが一見で入れるような世界ではない。
一度は体験してみたいけれどもこちらの見識や作法のなさまで見抜かれそうで、
こういう遊びは遊ぶ側の人間的な度量というか器の大きさも試されることだろう。
古くからの住宅街にひっそりと佇んでいるのが印象的だった。

更に南下していくと角屋がある。置屋に対する揚屋。
置屋から太夫や芸妓を呼んで遊宴を開いていた、今で言う高級料亭。
国の重文にも指定されている非常に格調の高い宴会場で一般にも公開されている。
普段は非公開だという2階の広間がたまたま特別公開されていたので上がってみた。
蝋燭の煤で天井も壁も真っ黒に煤けている。
襖や格子の障子、鴨居にも装飾が施されており、その贅沢さと往時の文化的な成熟度が伺える。
かつて幕末の勤皇の志士たち、坂本龍馬、西郷隆盛、山縣有朋、伊藤博文、大隈重信らも饗宴を開いたという。
新選組もここを訪れており、床柱には刀傷も残っている。

わずかな滞在時間だったが、とても有意義な壬生・島原の旅だった。
京都は今までにも何度か訪れたことがあるが、幕末にまつわる地を訪れたのは初めてだった。
壬生も島原もその歴史が普段の生活の場所に溶け込んでいる。
有名な神社仏閣ばかりではなく、
こうした細い路地裏に普段の営みと長い歴史が寄り添っているところもまた京都の面白いところだ。

別府温泉へ

2007-02-11 23:54:55 | 
友人に別府の泥湯温泉に連れて行ってもらった。
明礬温泉は別府の奥座敷ともいうべき温泉町。
出かけた別府温泉保養ランドは昭和の感じのする古い建物。別府の温泉がひなびた温泉であることをうかがわせる。
泥湯までは通路を抜けていく。すると更にひなびた作りの風呂があって
まずはコロイド硫黄の溶け込んだ白濁した湯につかる。
そこで体を温めてから更に奥に行くと露天の泥湯がある。
ぬるぬるとしたきめの細かい泥が沈んでいて、強い硫黄の匂いが鼻をつく。
ちょっとぬるいお湯で寒かったが、泥をしっかりと体中にすり込むと何だか効いたような気がする。
風呂上りも体中から硫黄の匂いが漂ってきたのには少し閉口したが、なんとも得がたい経験をした。
さすがに世界有数の温泉町別府は奥深い。

グアム旅行最終日

2006-09-27 21:55:00 | 
最終日。目覚まし時計に起こされたのは夜中の2時半。
眠気眼で最後の荷物を詰め込んで、チェックアウトをし迎えのバスに乗って空港へ。
搭乗手続きを終えて5時ごろにイミグレーションを通過。早朝日本に戻る便が多く、空港は日本人であふれかえっていた。
人のことは言えないがみんな朝からご苦労様という感じである。
6時発の飛行機に乗って関西空港に到着したのが8時ごろ。
午後には家に帰り着き、なんだか今朝まで常夏の島にいたのが夢のようである。

グアムは外国としての驚きや意外性というのには乏しかったが、短時間で行けるのでのんびりと時間が使えるような気がする。
今回は初めてでバタバタとしてしまったが、次回はもう少しのんびり過ごせるのではないかと思う。
島の空気に合わせてゆったりと過ごしてみたい。

グアム旅行4日目

2006-09-26 21:37:31 | 
晴れのち雨のち晴れ。

グアムでの最終日。
朝はゆっくりと起きて、トロリーバスに乗って10時の開店と同時にマイクロネシア・モールに入る。
おそらくグアム唯一であろうデパート、Macy'sが入っていることもあって観光客だけではなくて地元の人たちも数多く利用するのであろう。
確かにグアム最大のモールではあるが、どことなく庶民的。
なんとなく垢抜けない感じが地方都市のショッピングセンターの風情。

いわゆるショッピング・モールとかアウトレット・モールというのはアメリカで発達した商業施設。
今から15年以上も昔、初めてアメリカを旅行したときに行って度肝を抜かれたことがあるが、今や日本でもポピュラーな存在になった。
このマイクロネシアモールもさすがに館内は広くて途中で歩きつかれて休んでしまった。
目的のない買い物はどうも苦手だ。私が買ったのはTシャツ一枚きり。
子供たちも歩きつかれて、プール、プールの大合唱になってしまった。

午後からホテルのプールに出かけたがスコールで肌寒くなってしまい、早めに引き上げて部屋で夕方まで休憩。
夕方ラナイから美しいサンセットを見ることができた。東の空には虹も出ていた。
最後にラッキーなものを見られて、グアムの締めくくりを彩ってくれた。
夕飯はホテル近くに地元のチャモロ料理を食べに出かける。
ビールのほろ酔いでぶらぶら歩いてホテルへ。明日は2時半起きだ。
せっかくの最後の夜も荷造りで終わり。せめてバーで一杯といきたかったがまた今度。

グアム旅行3日目

2006-09-25 21:09:15 | 
晴れ。

グアムは日本から3時間ちょっとで来られる常夏のリゾートということもあって、日本人には最も身近な「外国」なのだが、
その手軽さもあってかへそ曲がりの私には逆に遠いところだった。
そのうち行けるだろうということもあったし、若い頃はリゾートでのんびりなんてという思いもあった。
ハワイも35を過ぎてから初めてだったし、グアムも今回が初体験である。
しかし、グアムはハワイに比べると圧倒的に田舎である。人口は20万人もいないそうである。
タモン湾沿いのリゾートホテル地帯が島随一の繁華街で、そこすらも密集した繁華街という感じではない。
散在するホテルのまわりに点々と飲食店や土産物屋が並んでいるという感じ。
タモン地区を離れると民家が点在しているだけで、産業らしい産業もない。観光と米軍基地だけで成り立っているような島なのだ。
だからホノルルのような都会的なリゾートというのを想像していくと期待を裏切られることになる。
実際島随一のタモン北部界隈を歩いてみたが正直拍子抜けしてしまった。
したがって大きなホテルに泊まりそこで一日過ごすというのがグアムの正しい過ごし方のようである。

2日目はパシフィック・アイランド・クラブ(PIC)という大型のリゾートホテルのプールで一日を過ごす。
途中ホテルを抜け出して車で海に出かけボートで沖まで出てシュノーケルで熱帯魚を観察するというアクティビティ・プランに参加した。
食パンをちぎって撒くと美しい色の魚たちがいっせいに寄ってくる。
私はダイビングはやったことがないのだがなるほどダイビングにはまる人たちの気持ちが分かるような気がする。
PICで一日プールで遊んで子どもたちは満足。親はぐったり。

同行の両親は島内観光で一日を過ごし、夕方合流してニッコー・ホテルのサンセット・ビーチ・バーベキューに出かける。
フラダンスと迫力あるファイヤーダンスを楽しむ。
それにしてもこのニッコー・ホテルのガーデンから眺めるサンセットはすばらしい眺めだ。
パームツリーの向こうに広がる海とスコールがあがったばかりの空にぽっかりと月が浮かんでいて絵のような風景だ。
明日は最終日。子ども達はまだ泳ぐ勢いだ。・・・・。

グアム旅行2日目

2006-09-24 21:15:38 | 
晴れ。

飛行機はまったく揺れず、3時間ちょっとのフライトはあっという間だった。
機内では聴こうと思って何枚もダウンロードしてきたi-podの中身を間違えて全部消してしまいがっくり。
くそ~、リゾートミュージック満載にしておいたのにい・・・。
おまけに読もうと思って空港で買った雑誌のNumberも機内に置き忘れ。まったくおっちょこちょいといったらない。

グアム到着は夜中の1時。入国手続きを経てバスに揺られて真夜中のホテルにチェックインし、シャワーを浴びてベッドにもぐりこんだのは3時近く。
もう少し何とかならならないのかなあこのスケジュール。

朝は結局7時半には子どもに起こされる。
宿泊先はタモン北部の中心部に建つロケーションの良い、アウトリガー・グアム・リゾート。バリテイストのシックな内装の高級ホテルだ。
朝食後早速子どもたちに急かされ、ホテルのプールへ。プールの前はタモン・ビーチで白い砂浜とコバルト色に透き通る美しい珊瑚海が広がる。
昨夜遅かったのでプールサイドの木陰でついつい午睡をむさぼる。これがとても気持ちが良かった。
どたばたと過ぎたグアムでの1日目。明日も一日プールに付き合わされるので今日はもう寝よう。とにかく疲れた。

グアムへ

2006-09-24 21:12:18 | 
ここしばらく、風邪を引いたり仕事が忙しかったりで更新が滞っていたが、風邪を引きづりつつ多忙の合間をついて遅めの夏休みをとってグアムへ。
2年ぶりの海外。子どもを連れての海外は必然的に子どもを主体とした旅になる。
溜まったマイルを使って今回は手軽なグアムを選んだ。
グアム自体初めてだし、一回は行ってみようというわけだ。
今回は初めて羽田から関空経由のフライトを利用した。
悪名高い成田へのアクセスを考えると関空というのは非常に便利がいい。
東京から海外に出かけるのに成田を使わずに関西空港やソウルの仁川空港あたりを使うというのは賢い選択かもしれない。
ただし今回は乗継が悪く関空で6時間近くも待たされる羽目になってしまった。
待ち時間は関空のフードコートではひたすらビールを飲み、バスで5分の展望台に出かけたりしながら時間をやり過ごし何とか夜の便で出発。
グアム到着が現地時間の夜中の1時ということで強行軍で先が思いやられるが、いつものようにばたばたと出発した。