昨日見た「出雲」風ヘッドマークに触発されて本家の方を貼ってみる。
…とは言え、東京ブルトレで且つ山陰線京都口経由の「出雲」はワタクシにとっては縁が薄いんで、今回貼った2枚のみ。
アホな中学生が親父から借りたSR-T スーパーを必死に操作して撮ったんで、酷い写真だが笑って見逃して下さいな(苦笑)
で、↑は1987年4月2日に夕方の米子駅で撮った出雲2号…この日はJRになって2日目で、前日のJR開業日より山陰ひとり旅に出掛けたんだよ。
行程は4月1日の昼、京都から急行「丹後」のグリーンで城崎へ…今思えばキロ28に乗りたいからとは言え、中坊の癖にグリーン乗るかあ(苦笑)
そして、香住の親戚宅に1泊し2日目は快速「わかとりライナー」等を乗り継ぎ米子へ。
米子では↑の写真等を撮って夜まで過ごし晩、14系「だいせん」で帰路についた。
話は変わるが↑のDD51 1193はまだ生きてるらしいねえ…この当時は福知山区所属だったが今は宮原に籍があるらしいね。
嗚呼、出来れば再会したいもんだ。
↑はその後追い写真…車掌氏の苦笑いがナイス(わはは)
話は変わるがワタクシ、ブルトレ=14系14形のイメージが強いんだわ。
初めて乗ったブルトレも、この前年に憧れの14系「さくら」に乗って九州へ行ったし…そうそう、あれが初めてのひとり旅だったっけ。
で、この後に乗る「だいせん」も14系だな…そう言えば、どっちもスハネフ14に乗車したなあ(笑)
おまけ
↑は鳳電車区撮影会での1コマ…今回はあくまでも「出雲」なんで、横のヤツ等には触れないよ(わはは)
この時、カメラが調子悪くてこのカットより前の写真は全てコマ被り…故にDD51 1183単独の写真は無し、ふう。
そうそう、この1183号機も1枚目の1193号機同様、現在は宮原所属らしい…嗚呼、同じく再会したいもんだ。