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江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

境稲荷

2013-02-09 | まち歩き

境稲荷は、上野の不忍池の西方、東京大学池の端門の側に在るお稲荷様です。歴史は古く、文明年間(1469年~1486年)に、室町幕府第九代将軍の足利義尚により創祀されたという説[1]と、それ以前に創建され、足利義尚により再建されたという説[2]があります。社名は、忍ヶ岡と向ヶ岡の境に鎮座するところから、境稲荷と称されるようになりました。忍ヶ岡(忍岡とも云う)は、上野公園一帯の古称で、広義には上野の山である上野台地を指します。一方の向ヶ岡は、不忍池を挟んで西側の本郷台地を指し、現在も東京大学の北側には「向丘」の地名が在ります。境稲荷を挟んで、東が忍ヶ岡、西が向ヶ岡と理解すれば、だいたい合っていると思われます。現在も境稲荷は、その名に違わず、台東区と文京区の区界上に在ります。この例は偶然かもしれませんが、昔の境界が現在の行政区の境界になっている例はこの例以外にも存在し、かつての人の営みが案外に現代に残っていることに驚かされることがあります。


境稲荷は、池波正太郎著「鬼平犯科帳(十七)鬼火」(文藝春秋)の中で登場。長谷川平蔵の殺害を頼まれた高橋浪人が住む飯屋・三州屋が近くに在り、平蔵等は、境稲荷の社の鳥居の陰へ立ち、高橋浪人を見張ります。


[1] 境稲荷神社案内板

[2] 境稲荷神社と弁慶鏡ヶ井戸案内版、平成六年三月、台東区教育委員会


境稲荷 東京都台東区池之端1-6-13

東京メトロ千代田線 湯島駅から約600m 徒歩約8分

東京メトロ千代田線 根津駅から約650m 徒歩約9分


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