待乳山聖天(まつちやましょうでん)は、大聖歓喜天(聖天様)を御本尊とする寺院です。浅草寺の子院の一つで、待乳山本龍院が正式な名称です。山谷堀に架かっていた旧今戸橋の少し南に位置し、隅田川沿いの低地には珍しい小高い丘の上に建っています。高い建物が珍しく無くなった現代においては、ここが丘であることを見落としてしまいそうですが、江戸の頃には、柳橋辺りから猪牙船を仕立てて吉原へ遊びに行くときには、隅田川から山谷堀へ入る少し手前で、高台にある、この待乳山聖天の建物が良く見えたことだろうと思います。標高は10メートルにも満たない丘で、高さは隅田川の対岸に先日オープンした東京スカイツリーに遥かに及びません。しかし高い建物が無かった江戸時代には、人々はここからの眺めを大いに楽しんだとのことです。
境内に一歩足を踏み入れると、各所に配された大根と巾着の意匠に気付きます。これらは祈願することによって得られる御利益を端的に表したもので、大根は体を丈夫にして頂き、良縁を成就し、夫婦仲良く末永く一家の和合を御加護頂ける功得を表し、巾着は財宝で商売繁盛を表しています[1]。聖天様にお供えするための大根が売店で販売されていますが、時にはお供えしてあった大根をお下がりで頂戴する幸運に恵まれることもあります。お庭も立派なので、お参りのついでに是非御覧頂きたいと思います。
作家・池波正太郎先生の生家は、待乳山聖天のすぐ南に在りました。生家は先生が生まれた年の9月に関東大震災が起こり消失してしまいますが、先生は少年期・青年期を通して台東区で暮らし、エッセイの中では、「大川(隅田川)の水と待乳山聖天宮は私の心のふるさとのようなものだ」と記しているそうです[2]。先生の作品の中では、「秘密」(剣客商売(九)に収録、新潮社)の中に待乳山聖天(作品の中では「真土山の聖天宮」)は登場しています。
待乳山聖天が登場するその他の作品
- 池波正太郎著「妖盗葵小僧」(鬼平犯科帳(二)に収録、文藝春秋)
- 池波正太郎著「五年目の客」(鬼平犯科帳(四)に収録、文藝春秋)
- 池波正太郎著「密告」(鬼平犯科帳(十一)に収録、文藝春秋)
[1] 参考:待乳山聖天ホームページ
[2] 参考:待乳山聖天公園内石碑、平成19年11月、台東区
待乳山聖天 東京都台東区浅草7-4-1
東京メトロ銀座線・都営浅草線 浅草駅より約850m 徒歩約11分
各所に配された大根と巾着の意匠