江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

亀久橋

2011-04-30 | まち歩き

深川の仙台堀に架かる橋で、明和江戸図(1771年)[1]には、“カメ久バシ”と記されています。現在のトラス橋は昭和四年の架橋で、東京都江東区の都市景観重要構造物に指定されています。春には亀久橋から下流の隅田川に向かって、仙台堀川両岸の桜並木が美しい花を咲かせ、行き交う人々の目を楽しませてくれます。

宮部みゆき著「白魚の目」「太郎柿次郎柿」(いずれも初ものがたりに収録、新潮社)の中で登場します。


[1]明和江戸図、明和八年(1771年)/古地図史料出版(株)復刻地図


亀久橋が登場するその他の作品

  • 池波正太郎著「剣士変貌」(剣客商売(十三)に収録、新潮社)
  • 池波正太郎著「霧の七郎」「密通」(鬼平犯科帳(四)に収録、文藝春秋)

亀久橋南詰 東京都江東区冬木20-3

東京メトロ半蔵門線・都営大江戸線 清澄白河駅から約1km 徒歩約12分


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仙台堀

2011-04-23 | まち歩き

江戸には二つの“仙台堀”が在ることを御存知でしょうか?


一つは深川の仙台堀川のことです。仙台堀川は、竪川、小名木川と同様に人工的に開削された川で、位置的には清澄庭園の南側を東西に流れています。名前は、かつて北岸に仙台藩の蔵屋敷が在ったことに由来します。


もう一つの仙台堀は、JR御茶ノ水駅周辺の神田川のことです。神田川は江戸城の外堀の役割と江戸市中の洪水防止を目的に、こちらも人工的に造られた川ですが、現在の飯田橋駅付近から秋葉原付近までの工事を仙台藩主・伊達政宗が行ったことから仙台堀と呼ばれるようになりました。


鬼平犯科帳(池波正太郎著、文藝春秋)第一巻に収録の「啞の十蔵」に登場する仙台堀は前者の深川の仙台掘のことです。そして、「浅草・御厩河岸」に“本郷・組屋敷がならぶ道をぬって一気に仙台堀に出る。(中略)御茶ノ水から江戸川に逃げようというのだ。”との描写で登場する仙台掘は後者のJR御茶ノ水駅周辺を流れる神田川のことです。ちなみに、ここに登場する江戸川は、東京都と千葉県の県境を流れる江戸川のことでは無く、神田川の中流域を指しています。つまりは仙台掘も江戸川もどちらも現在の神田川のことです。同じ本に二つの異なる仙台堀が登場するのはとても興味深いですね。


深川の仙台掘が登場するその他の作品

  • 池波正太郎著「待ち伏せ」「冬木立」(剣客商売(九)に収録、新潮社)
  • 藤沢周平著「冬の日」(花のあとに収録、文藝春秋)

御茶ノ水の仙台堀が登場するその他の作品

  • 池波正太郎著「一本眉」(鬼平犯科帳(十三)に収録、文藝春秋)

深川の仙台掘に架かる海辺橋 東京都江東区清澄3-3-32付近

東京メトロ半蔵門線・都営大江戸線 清澄白河駅から約500m 徒歩約7分


御茶ノ水の仙台掘(神田川)に架かる聖橋 東京都千代田区神田駿河台2-6-4付近

JR・東京メトロ丸の内線 御茶ノ水駅からすぐ

東京メトロ千代田線 新御茶ノ水B2出口からすぐ


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深川の仙台堀


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御茶ノ水の仙台堀


小伝馬町牢屋敷

2011-04-16 | まち歩き

捕物帳の類は犯人を暴くか捕まえるまでが重要で、犯人が牢獄に収監されてからを書くというのは、いじれる部分の自由度が低いだけに小説にしづらい題材だと思います。そうした中で、藤沢周平先生の「獄医立花登手控えシリーズ」(全四巻、講談社)は、牢屋敷で働く医者と牢に入れられている罪人達との間で巻き起こる事件を書いた、他の時代小説には無い設定の異色の作品です。

この小説の主人公・立花登が働いていた牢屋敷は、現在の東京都中央区小伝馬町の、大安楽寺、身延別院、十思スクエア(旧十思小学校)、十思公園を含む一帯の地に在りました。江戸時代に入牢した者は数十万人を数えると言われ、その中には安政の大獄で捕らえられ命を落とした吉田松陰も含まれていました。

ちなみに大安楽寺は刑死者の慰霊のために大蔵財閥の大蔵喜八郎と安田財閥の安田善次郎により寄進され創建されたお寺ですが、大蔵喜八郎は堀部安兵衛と同じ、越後・新発田の御出身です。


小伝馬町牢屋敷が登場するその他の作品

  • 藤沢周平著「石を抱く」(竹光始末に収録、新潮社)
  • 藤沢周平著「冬の日」(花のあとに収録、文藝春秋)
  • 藤沢周平著「浮気妻」(よろずや平四郎活人剣(上)に収録、文藝春秋)
  • 川田弥一郎著「雪の足跡」(江戸の検屍官に収録、祥伝社)

十思公園 東京都中央区小伝馬町5-2

東京メトロ日比谷線 小伝馬町駅5番出口からすぐ


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十思公園(小伝馬町牢屋敷跡)


駒形堂

2011-04-09 | まち歩き

浅草の駒形橋の西詰にある御堂で、雷門から250メートルほど南方に離れた場所にポツンと建っていますが、れっきとした浅草寺の一部です。というよりも、この場所こそが浅草寺の草創ゆかりの聖地という方がむしろ正しく、浅草寺の御本尊の聖観世音菩薩様が魚網にかかって隅田川の中から示現なされた場所がここなのです。駒形堂は観音様の上陸を記念して、また隅田川を泳ぐ魚類の無事を祈念して建てられました。歌川広重の江戸名所百景にも描かれています。

剣客商売シリーズ(池波正太郎著、新潮社)のファンにとっては、駒形堂の裏に秋山小兵衛の行きつけの小料理屋「元長」が在ることで御馴染みの場所です(初登場は剣客商売(三)に収録の「嘘の皮」)。

現実の世界では、駒形堂の裏手に回っても「元長」が無い代わりに、東京スカイツリーの美しい姿を眺めることが出来ます。


駒形堂 東京都台東区雷門2-2

都営浅草線 浅草駅からすぐ 徒歩約1分


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閻魔堂

2011-04-02 | まち歩き

浅草橋の須賀神社の北隣には、江戸時代に華徳院という閻魔王を御本尊とするお寺が在りました。このお寺が閻魔堂です。下谷坂本の善養寺、内藤新宿の太宗寺と共に江戸三大閻魔のひとつに数えられ、閻魔詣が盛んだった当時、特に縁日が立つ日には参詣客で賑わったそうです。華徳院は現在は杉並区に在り、かつて閻魔堂が在った場所には、今は石碑が立っています。

古地図[1]には、この場所に「エンマ」と描かれています。南隣には「天王」と描かれていますが、これは須賀神社の古い名前の牛頭天王のことです。

藤沢周平著「化粧する女」(風雪の檻 獄医立花登手控え(二)に収録、講談社)の中で、房五郎の女房のおつぎが「お閻魔さまに決まってるじゃないか。その節はよろしくなんてさ。」と語る場面が出てきますが、作品中には、この“お閻魔さま”がどこのお寺なのかは具体的に記されていません。しかし、おつぎの住まいが閻魔堂に近い蔵前の三間町であったことを考えると、おつぎが言う“お閻魔様”は華徳院の閻魔様と考えても良いのではないかと思われます。


[1] 御江戸大絵図、天保十四年(1843年) ※人文社から復刻地図が出版されています。


閻魔堂の石碑 東京都台東区浅草橋2-28-14 玩具会館横

JR・都営浅草線 浅草橋駅から約350m 徒歩約5分


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閻魔堂の石碑


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須賀神社(旧称 牛頭天王)