江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

魚籃観音堂

2014-04-19 | まち歩き

港区三田にある魚籃寺は、江戸の頃には魚籃観音堂の名で知られていました。その名は御本尊である魚籃観世音菩薩に因むものです。魚籃(ぎょらん)というのは魚を入れる籠のことで、魚籃寺の魚籃観世音菩薩の御尊像は、右手に魚を入れた竹籠をおさげになった乙女の姿をされています。


魚籃寺には、古くは「浄閑寺」と言われた時代もありました。江戸名所図会にも、「魚籃観音堂 同所浄閑寺といへる浄刹に安置す。」[1]と紹介されています。かつてこの地に浄閑寺というお寺が在り、魚籃寺がそのお寺の跡地に建てられたたためです[2]。元々この地に在った浄閑寺は、現在は荒川区南千住に在り、吉原遊女の屍が棄てられた「投げ込み寺」として知られるお寺です。「投げ込み寺」と呼ばれるようになった切っ掛けは、安政の大地震(1855年)で多くの遊女が亡くなり、その遺体が葬られたことがですが、それは江戸名所図会が発行された後のことです。


魚籃寺を訪れ、浄閑寺との縁を知り、更に浄閑寺が江戸名所図会の頃には、まだ「投げ込み寺」と呼ばれていなかったことに気付く。面白いものです。


鬼平犯科帳(九)「泥亀」(池波正太郎著、文藝春秋)に登場する、痔持ちの元盗賊・泥亀の七蔵は、引退後に魚籃観音堂境内の茶店の権利を買い取り、この茶店の亭主におさまっています。七蔵と魚籃観音堂は、鬼平犯科帳(二十一)「男の隠れ家」、同(二十二)「法妙寺の九十郎」「高潮」にも登場しています。


[1] 新訂江戸名所図解Ⅰ、ちくま学芸文庫、市古夏生・鈴木健一校正、1999年9月10日第一刷

[2] 魚籃観音菩薩と魚籃寺、三田山魚籃観寺


魚籃寺 東京都港区三田4-8-34

東京メトロ南北線・都営三田線白金高輪駅から約350m 徒歩約5分


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三田八幡

2014-04-05 | まち歩き

赤穂四十七士の墓所が在ることで知られる泉岳寺。その名が付いた京浜急行泉岳寺駅から国道15号に沿って三田駅の方に歩いてくると、左手に鳥居が在ります。ここが三田八幡、現在の御田八幡神社です。創祀は和銅二年(709年)の古い神社で、通称は八幡様。現在地に遷座したのは寛永五年(1628年)のことです。
本殿は、鳥居の先に在る二十段程の石段を上ったやや高台に建ちます。ここから下に見下ろす国道15号はかつての東海道で、大雑把に言えば、ここが昔の海岸線です。本殿を背に立てば、目の前には東京湾が広がる風光秀美な場所として江戸の頃には知られていました。前回、聖坂のところで御紹介した済海寺とは地図上では隣どうしです。しかし、実際には、切り立った崖が三田八幡と済海寺との間を遮り、簡単に行き来することは出来ません。地形的にも面白い場所です。


三田八幡は、鬼平犯科帳(十六)「見張りの糸」の舞台となる場所です。長谷川平蔵の密偵・相模の彦十が知人を訪ねて品川に行った折、盗人・稲荷の金太郎を偶然発見します。彦十が稲荷の金太郎を尾けていくと、稲荷の金太郎は三田八幡門前の茶店・大黒やに入っていきます。平蔵はここが盗人宿だとにらみ、見張ることにします。


三田八幡(御田八幡神社) 東京都港区3-7-16

京浜急行・都営浅草線泉岳寺駅から約400m 徒歩約5分


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