港区三田にある魚籃寺は、江戸の頃には魚籃観音堂の名で知られていました。その名は御本尊である魚籃観世音菩薩に因むものです。魚籃(ぎょらん)というのは魚を入れる籠のことで、魚籃寺の魚籃観世音菩薩の御尊像は、右手に魚を入れた竹籠をおさげになった乙女の姿をされています。
魚籃寺には、古くは「浄閑寺」と言われた時代もありました。江戸名所図会にも、「魚籃観音堂 同所浄閑寺といへる浄刹に安置す。」[1]と紹介されています。かつてこの地に浄閑寺というお寺が在り、魚籃寺がそのお寺の跡地に建てられたたためです[2]。元々この地に在った浄閑寺は、現在は荒川区南千住に在り、吉原遊女の屍が棄てられた「投げ込み寺」として知られるお寺です。「投げ込み寺」と呼ばれるようになった切っ掛けは、安政の大地震(1855年)で多くの遊女が亡くなり、その遺体が葬られたことがですが、それは江戸名所図会が発行された後のことです。
魚籃寺を訪れ、浄閑寺との縁を知り、更に浄閑寺が江戸名所図会の頃には、まだ「投げ込み寺」と呼ばれていなかったことに気付く。面白いものです。
鬼平犯科帳(九)「泥亀」(池波正太郎著、文藝春秋)に登場する、痔持ちの元盗賊・泥亀の七蔵は、引退後に魚籃観音堂境内の茶店の権利を買い取り、この茶店の亭主におさまっています。七蔵と魚籃観音堂は、鬼平犯科帳(二十一)「男の隠れ家」、同(二十二)「法妙寺の九十郎」「高潮」にも登場しています。
[1] 新訂江戸名所図解Ⅰ、ちくま学芸文庫、市古夏生・鈴木健一校正、1999年9月10日第一刷
[2] 魚籃観音菩薩と魚籃寺、三田山魚籃観寺
魚籃寺 東京都港区三田4-8-34
東京メトロ南北線・都営三田線白金高輪駅から約350m 徒歩約5分