江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

閻魔堂

2013-09-28 | まち歩き

元ビートルズのジョン・レノンはこう歌いました。

"God is a concept by which we measure our pain"(神とは、我々の苦悩を測る、一つの概念である/God(神)より)

また、こうも歌いました。

"there's no heaven, No hell below us, Above us only sky"(天国なんて無く、地面の下に地獄も無く、見上げれば空があるだけ/イマジンより)


確かにその通り。特に体制に属することを好まないロックな人には、ドンピシャで心に飛び込んでくる詩です。


その一方で、「悪いことをしたら、ばちが当たって、地獄に落ちる」という感情は、おそらく多くの日本人が知らず知らずに有しているものでしょう。巷では、子供向けに「地獄」(風濤社)という絵本も売れているそうで、日本人にとっての地獄は割合に身近です。この地獄で一番偉い仏様で、死者の生前の罪を裁くのが閻魔様です。インドから伝来した仏様なのですが、日本では、地蔵菩薩、すなわち童話「かさ地蔵」などでも御馴染みの「お地蔵様」の化身とされています。嘘をついた子供には、「閻魔様に舌を引き抜かれるぞ」と叱るのがお約束の恐い仏様なのですが、小さな頃から御馴染みのせいか、赤ら顔が何となくユーモラスで、恐いというよりは身近に感じる仏様です。


深川の旧富岡橋北詰には、閻魔堂(ゑんま堂)で知られる法乗院というお寺が在り、ここには日本で最大とされる、閻魔大王の座像が安置されています。以前に御紹介した陽岳寺の隣に在るお寺で、江戸初期の寛永十八年(1641年)よりこの地に建ちます。
宮部みゆき著「〈完本〉初ものがたり[1]」(PHP研究所)の最初の一編「お勢殺し」の冒頭には、この閻魔堂が登場しています。


[1] 「〈完本〉初ものがたり」は、旧作に新作三編を加えて完本としたもので、2013年7月にPHP研究社から発行されました。旧作も最初はPHP研究社から刊行されましたが、現在は新潮社から発行されています。


[2] もう一つの閻魔堂については、こちらからどうぞ。浅草華徳院の閻魔堂


法乗院ゑんま堂 東京都江東区深川2-16-3

東京メトロ・都営大江戸線 門前仲町駅から約300m 徒歩約4分


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芭蕉庵

2013-09-14 | まち歩き

松尾芭蕉は、「古池や蛙飛びこむ水の音」など、日本人ならば一度は耳にしたことのある俳句を詠んだ江戸前期の俳人です。「奥の細道」などで日本各地を旅して、多くの名句を読んだことは改めて説明するまでも無いでしょう。出身は現在の三重県伊賀市で、生まれは寛永二十一年(1644年)。江戸に下った後、延宝八年(1680年)から没する元禄7年(1694年)までは、深川の、小名木川に架かる萬年橋の北詰に芭蕉庵と呼ばれる居を構え、ここを本拠としていました。前述の「古池や~」はこの芭蕉庵で詠まれたもので、「奥の細道」などの旅へも、ここから旅立ちました。


松尾芭蕉没後、芭蕉庵があった場所は武家屋敷となり、その旧跡は時代の流れの中で失われてしまいますが、現在は跡地に芭蕉稲荷神社が祀られ、ここが芭蕉庵であったことを今に伝えています。すぐ近くの、小名木川と隅田川が交わる部分の高台には、松尾芭蕉の像がある芭蕉庵史跡展望庭園という小さな公園があり、ここから隅田川を一望できます。現在の隅田川は高い堤防に囲われ、かつて芭蕉庵であった芭蕉稲荷神社からは、今は小名木川や隅田川の水面を望むことは出来ませんが、江戸時代には芭蕉庵史跡展望庭園から望むような風流な景色を楽しめたのだろうと想像されます。


時代小説の中では、芭蕉庵は、夢枕獏著「大江戸釣客伝(上)」(講談社)の中で登場し、「松尾芭蕉は、深川の、このすぐ近くにある芭蕉庵を仮の宿として住んでいる」と紹介されています。


芭蕉庵が登場するその他の作品

  • 葉室麟著「一蝶幻景」(乾山晩秋に収録、角川書店)

芭蕉庵跡(芭蕉稲荷神社) 東京都江東区常盤1-3-12

東京メトロ半蔵門線・都営大江戸線 清澄白河駅から約450m 徒歩約6分

都営新宿線・大江戸線 森下駅から約600m 徒歩約8分


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芭蕉庵の旧跡に建つ芭蕉稲荷神社


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芭蕉史跡展望庭園の松尾芭蕉像とここから望む隅田川。江戸時代には奥に見える清洲橋は無く、従って松尾芭蕉も目にすることはありませんでした。