江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

枕橋

2013-04-27 | まち歩き

東京スカイツリーのそばを流れる川を北十間川と言います。その北十間川が隅田川に合流するところに架かる橋が枕橋です。江戸時代には、枕橋は源森橋とも呼ばれていました。古地図[1]には、「源森橋」の文字に添えて「枕橋トモ云」と記されており、むしろ「枕橋」の方が通称でした。現在では、「枕橋」の方が正式な橋の名前になり、一つ東隣の橋の名前が「源森橋」になりました。


枕橋は、その他に源兵衛橋(源兵エ橋)[2]とも呼ばれていました。従って、「枕橋」と「源森橋」と「源兵衛橋」は全て同じ橋を指すのですが、地図によって橋の名前が異なっていたり、現在の枕橋と源森橋の関係のように、元々は一つの橋を指す名前が二つの橋の名前に分かれたりしているので、事をややこしくしています。もっとも、特に有名でもない小さな橋ですから、そんなことを考えながら、この橋を渡る人は少なかろうとは思いますが。


枕橋は、鬼平犯科帳シリーズ(池波正太郎著、文藝春秋)第十二巻の「いろおとこ」の中で登場しています。また、同シリーズ第二巻の「蛇の眼」と「妖盗葵小僧」の中では、源兵衛橋の名で登場しています。面白いことに、いずれの作品にも、枕橋の北詰に在るとされる蕎麦屋「さなだや」が登場しています。


[1] 本所絵図、文久三年(1863年) ※人文社から復刻地図が出版されています。

[2] 隅田川向嶋絵図、安政三年(1856) ※人文社から復刻地図が出版されています。


枕橋南詰 東京都墨田区吾妻橋1-24-4

都営浅草線 本所吾妻橋駅から約400m 徒歩約5分


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長命寺

2013-04-13 | まち歩き

長命寺は、墨田区向島に在るお寺で、前回紹介した弘福寺の北隣に位置します。

「長命」という大変縁起の良い名前のお寺ですが、この名前は、三代将軍徳川家光公と関わりがあります。寛永(1924~44年)の昔に家光公が鷹狩りを行った際、急に病を催し、この寺で休息を取りました。庭前の井戸の水で薬を服用したところ、直ぐに体調が回復したため、その井戸の水に「長命水」の名を賜ると共に、当時は常泉寺と称されていたお寺の名を「長命寺」と改めるに至ったのだそうです。


長命寺は、日本人ならば誰しも一度は口にしたことがある桜もち発祥の地としても良く知られています。お寺の西側に在る和菓子屋「長命寺桜もち 山本や」さんは、享保二年(1717年)から桜もちを売る老舗です。古地図[1]にも、「名物サクラモチ」と記されているくらいですから、当時もさぞかし評判が高かったのでしょう。現在もその味を求めて多くの人が訪れます。


池波正太郎著「大川の隠居」(鬼平犯科帳(六)に収録、文藝春秋)の中では、長谷川平蔵が船で大川(隅田川)をさかのぼる際に、東岸に長命寺が望まれる場面が登場します。船を操る船頭の友五郎は、かつては盗みの世界に身をおいた者で、今は堅気になっているものの、ちょっとした遊び心から平蔵の役宅に盗みに入ります。平蔵は平蔵で、盗みに入られたからといって友五郎を直ぐに捕まえるような野暮はせず、逆に友五郎をだまして驚かせます。腕の良い盗人と、普段は鬼と呼ばれる平蔵が見せる遊び心がなんとも味わい深い、シリーズの中でも秀作の一編です。


[1] 墨田川向嶋絵図、政三年(1856年) ※人文社から復刻地図が出版されています。

[2] 参考:長命寺桜もちホームページ


長命寺 東京都墨田区向島5-4-4

京成線東京メトロ半蔵門線・都営浅草線 押上駅から約1,000m 徒歩約13分

東武スカイツリーライン とうきょうスカイツリー駅から約1,050m 徒歩約14分


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