江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

芝神明

2012-09-29 | まち歩き

芝神明(現芝大神宮)は、平安時代の寛弘二年(1005年)、一条天皇の時代に創建された約一千年の歴史のある神社です。伊勢神宮の御祭神天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)(内宮)と豊受大神(とようけのおおかみ)(外宮)をお祀りする、関東のお伊勢様として崇敬されてきました。

神社の背後には徳川家の菩提寺である増上寺が在りますが、元々は現在の増上寺の地に芝神明は在り、1590年に幕府の命により増上寺が現在地に移転した際に、芝神明も今の地に移転となりました。


東海道(現国道15号)沿いの江戸市中と品川宿の間に建つため、江戸から旅に出る人は道中無事を祈願し、これから江戸に入ろうという旅人は道中無事のお礼参りをしたそうです。また、現代のように気軽に旅行をすることが出来なかった時代、手軽にお伊勢参りが出来るということで多くの参拝客で賑わったそうです。


祭礼は毎年九月十一日から二十一日までの期間中に執り行われ、日本一長いお祭「芝神明のだらだら祭り」として知られています。川田弥一郎著「襲撃の刃」(江戸の検屍官に収録、祥伝社)の中では、だらだら祭りに出掛けた釘鉄銅物問屋の娘が、その帰り道で事件に巻き込まれます。


芝神明宮が登場するその他の作品

  • 藤沢周平著「天保悪党伝」、新潮社
  • 池波正太郎著「唖の十蔵」(剣客商売(一)、新潮社) 他
  • 池波正太郎著「老虎」(鬼平犯科帳(二)、文藝春秋) 他

芝神明(芝大神宮) 東京都港区芝大門1-12-7
都営浅草線・大江戸線 大門駅から約200m 徒歩約3分
山手線浜松町駅から約500m 徒歩約7分


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春慶寺

2012-09-22 | まち歩き

鬼平犯科帳シリーズ(池波正太郎著、文藝春秋)の主人公・長谷川平蔵の剣友・岸井左馬之助は、初登場でいきなり平蔵に切り掛かったり(第一巻「本所・桜屋敷」)、火付盗賊改方でもないのに平蔵の仕事を手伝ったりと、鬼平シリーズには欠かせない愛すべき登場人物ですが、その岸井左馬之助が寄宿先として十七歳から、そして一旦は江戸を離れるものの、三十九歳で江戸に戻り、妻帯するまで住んでいたのが春慶寺です。


創建は元和元年(1615年)で、約400年の歴史を持つお寺です。創建当時は浅草森田町の地に在りましたが、寛文七年(1667年)に本所押上村に移転しました。鬼平犯科帳シリーズの中では、「押上村の春慶寺」として度々登場しますが、今ならば、真上に東京スカイツリーを見上げる地に建つと言った方が分りやすいかもしれません。「東海道四谷怪談」の作者・鶴屋南北のお墓があるお寺としても知られています。


鬼平犯科帳第八巻「明神の次郎吉」は春慶寺が舞台となる作品です。この作品では、旅の途中で老僧から偶然預かった遺品を携えて盗人である明神の次郎吉が春慶寺に寄宿する岸井左馬之助を訪ねます。左馬之助は次郎吉を盗人とは知らぬまま恩人としてもてなし、春慶寺の寺男から借りた荷車に次郎吉を乗せて本所二ツ目の軍鶏鍋屋「五鉄」に連れて行きます。春慶寺から五鉄までは、ざっと3kmの距離がありますから、荷車を引くのは楽ではなかったはずです。左馬之助の律儀な面が表れている作品です。


春慶寺の正面には、テレビドラマの鬼平犯科帳で岸井左馬之助を演じた江守徹さんの名前で、「岸井左馬之助寄宿之寺」の碑が建てられています。


[1]参考:春慶寺パンフレット


春慶寺 東京都墨田区業平2-14-9

東京メトロ半蔵門線・都営浅草線 押上駅より約200m 徒歩約3分

東武伊勢崎線 とうきょうスカイツリー駅より約500m 徒歩約7分


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業平橋

2012-09-15 | まち歩き

業平橋(なりひらばし)は、都営浅草線の本所吾妻橋駅で地下鉄を降り、東京スカイツリーの方に歩いて間もなくのところに在ります。商店街の店舗に隠れていたスカイツリーは、ここで姿を現し、遠目にスカイツリーを何度も見ていた人でさえ、初めてこの地からスカイツリーを眺める際には、その巨大さに圧倒されます。どこにでも在るただの橋ですが、今やスカイツリーをカメラに収める絶好の場所となり、多くの人がここで足を止めるようになりました。


橋の名前は、平安初期の貴族・在原業平(ありわらのなりひら)にちなむ業平天神社という神社が、かつてこの橋の近くに存在したことに由来します。在原業平は、その作品が古今和歌集に入集されていることでも知られる歌人であり、平安時代の歌物語「伊勢物語」の主人公ともみられている人です。また、周辺の「おしなり商店街」のマスコット、「おしなりくん」のモチーフとなった人でもあります。ちなみに、おしなりくんは、押上の「おし」と業平橋の「なり」から命名されました。


業平橋は、池波正太郎著「敵」(鬼平犯科帳(四)に収録、文藝春秋)の中で、密偵になる以前の大滝の五郎蔵が、業平橋を渡ったところで尾行されている気配を感じて身を隠すという場面で登場しています。鬼平の時代には、業平橋の下には横川が流れていましたが、現在は埋め立てられて、大横川親水公園として生まれ変わり、墨田区民の憩いの場所となっています。


業平橋 東京都墨田区東駒形4-15-18

都営浅草線 本所吾妻橋駅から約250m 徒歩約4分


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白鬚明神

2012-09-08 | まち歩き

白鬚明神(現白鬚神社)は、東向島・墨田・堤通・京島・八広・押上地区の氏神様で、向島で最も古い由緒ある神社の一つです。社伝では、平安時代の比叡山の僧、慈恵大師が天暦五年(951年)に関東に下った際、近江国(現在の滋賀県)に鎮座する白鬚大明神の分霊を、ここに祀ったと伝えられています。祭神は道案内の守神として知られる猿田彦命(さるたひこのみこと)で、道案内の神というところから、後世、お客様を我が店に案内して下さる神としての信仰が生まれ、千客万来・商売繁昌などが祈願されました。社前の狛犬は、文化十二年(1815年)に山谷の料亭と吉原から奉納されたもので、当時の信仰のほどが偲ばれるものです。


時代小説の中では、池波正太郎著・剣客商売(一)の「女武芸者」の中で、主人公・秋山小兵衛が住む鐘ヶ淵周辺を「あたりには木母寺・梅若塚・白鬚明神などの名所旧跡が点在して」と形容する際に登場しています。


白鬚神社は隅田川七福神の寿老神(「人」の代わりに「神」の字があてられています)としても知られています。これは向島百花園が開かれた文化元年(1804年)に、文人達が向島百花園の福禄寿と付近の寺社の神様を合わせて七福神が出来ないかという話になった際に、寿老人を祀る適当な寺社が見つからなかったため、白鬚ならば白い鬚の御老人に違いないと寿老人にこじつけられたためです。小説には書かれていない秋山小兵衛最晩年の頃の話です。


白鬚明神(白鬚神社) 東京都墨田区東向島3-5-2

東武伊勢崎線東向島駅から約700m 徒歩約9分


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木母寺

2012-09-01 | まち歩き

木母寺(もくぼじ)は東京都墨田区の隅田川沿いに建つ天台宗のお寺で、境内には能の「隅田川」で知られる旧跡「梅若塚」が在ります。「隅田川」は、人買いに連れ去られ、幼くしてこの地で命を落とす梅若丸と、我が子の行方を探し、ついには物狂いになってしまう母の悲哀の物語で、これを原点とした「隅田川物」と呼ばれる作品が歌舞伎や人形浄瑠璃でも演じられています。


木母寺の起源は、平安中期の貞元元年(976年)に梅若丸の墓所である塚が築かれたことで、これが後の梅若寺となり、慶長十二年(1607年)に改名により木母寺となります。明治元年(1868年)には幕府の保護を失い廃寺となり、梅若塚は梅若神社になりますが、明治二十一年(1888年)に再興が成し遂げられ、梅若神社も仏式に復帰します。そして昭和51年(1976年)に防災拠点建設事業の実施により、旧地より150mほど西側の現境内に移転し、今に至ります。


木母寺は、池波正太郎著・剣客商売シリーズの記念すべき第一巻第一話「女武芸者」の中で、主人公・秋山小兵衛が住む鐘ヶ淵周辺を「あたりには木母寺・梅若塚・白鬚明神などの名所旧跡が点在して」と形容する際に登場しています。木母寺と鐘ヶ淵は江戸全体を描いた古地図の中では、右下隅にかろうじて描かれる江戸の郊外に位置しており、例えば浅草・駒形堂裏の小料理屋「元長」からは、およそ3.5km、本所・亀沢町に住む医師で碁敵の小川宗哲先生宅からはおよそ5kmと江戸中心部からは結構な距離にあります。自動車や鉄道が無かった時代、鐘ヶ淵と江戸中心部を行き来するのは結構大変だったはずですが、それにも関わらず、小兵衛も息子・大二郎もその他の登場人物もこの距離を苦にもしていません。剣客は実は健脚でもあったのです。


木母寺が登場するその他の作品

  • 池波正太郎著「殺しの波紋」(鬼平犯科帳(十三)に収録、文藝春秋)
  • 高田郁著「みをつくし料理帖、天の梯」(天の梯に収録、ハルキ文庫)

木母寺 東京都墨田区堤通2-16-1

東武伊勢崎線 鐘ヶ淵駅より約650m 徒歩約8分


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