江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

柴又帝釈天

2015-01-24 | まち歩き

柴又帝釈天は、映画「男はつらいよ」の舞台として全国に知られる葛飾柴又に在るお寺です。正式名称は題経寺。帝釈天というのは通称で、本来は仏教の重要な神様の一人を指しますが、ここではお寺そのものが帝釈天と呼ばれています。故渥美清さん演じるフーテンの寅さんが自己紹介をする際の啖呵「帝釈天で産湯を使い」はお馴染みの台詞です。また、「男はつらいよ」の第1作で寅さんが好きになったのは、帝釈天の御前様の娘さんでした。

帝釈天の名は、寅さんと共に、多くの人に知られています。反面、帝釈天がどこに建つかは、その名前ほどには知られていないのではないかと想像します。「男はつらいよ」の人情味あふれるストーリーから、東京中心部の下町を想像する人もいるかもしれません。しかし、それは「はずれ」です。答えは東京の一番東端。日本橋からだと直線距離でも12キロメートル以上も離れた場所に建っています。帝釈天の裏を流れる江戸川を、細川たかしさんのヒット曲でも知られる「矢切の渡し」で渡れば、向こう岸は千葉県です。

現代の世であれば、東京の中心部から電車や車を使って簡単に帝釈天を訪ねることが出来ますが、江戸の頃だったら、そうそう気軽に訪ねられる距離ではなかったはずです。みをつくし料理帖(高田郁著、ハルキ文庫)の中では、その距離にも関わらず、主人公・澪と同じ長屋に住む大工の伊佐三は、麻疹にかかった息子・太一の回復を願い、帝釈天に一粒符という御守りをもらい受けに行きます(花散らしの雨、一粒符「なめらか葛饅頭」に収録)。また、みをつくし料理帖の中には、この他にも帝釈天が登場する作品があります。内容が分かってしまうので、詳しくは書けないのですが、とても印象深い形で帝釈天が登場しています。尚、作品に登場している一粒符は実在するもので、実際に帝釈天で求めることが出来ます。

 

みをつくし料理帖ゆかりの地

 

柴又帝釈天 東京都葛飾区柴又7-1-3
京成線柴又駅から約300m 徒歩約4分。 

 

飲む御守り「一粒符」


足軽長屋

2015-01-10 | まち歩き

今回は久し振りの新発田藩編をお送りします。

足軽長屋は、新発田藩主溝口家の下屋敷である清水谷御殿(現清水園)と新発田川を挟んで向かいに建つ八戸の棟割長屋で、その名の通り、足軽と呼ばれる下級武士が住んでいました。この足軽長屋から100メートルほど北に行った、新発田川と諏訪神社前の通りが交差する辺りに、かつて「上人数溜」と呼ばれる広場が在りました。この広場は、当時の主要道であった会津街道に通ずる要所に築かれたもので、いざという時に新発田城下を守る軍勢が集う場所としての役割があり、足軽長屋はこの上人数溜の外側に配置されました。現在の足軽長屋は、幕末まで残っていた4棟のうちの1棟で、昭和44年(1969年)に国重要文化財に指定される少し前まで、住居として使われていました。

池波正太郎著「雲霧仁左衛門」(新潮社)の中に登場する盗賊・州走りの熊五郎は、雲霧一味の盗賊のうちでも、三本の指に入る男で、元は新発田藩溝口家の江戸藩邸に足軽奉公をしていました。故郷は「越後」としか書かれていませんが、おそらく新発田の人なのでしょう。江戸藩邸に奉公する前は、足軽長屋に住んでいたかもしれないと想像が膨らみます。盗賊仲間の山猫の三次とは故郷が同じなので、三次も新発田の人かもしれません。

池波作品には、良い役から悪役まで、しばしば新発田にゆかりのある人物が登場します。例えば、「堀部安兵衛」(新潮社)の主人公・堀部安兵衛や、剣客商売番外編「ないしょないしょ」(新潮社)の主人公・お福がそうであり、他の剣客商売シリーズにも、新発田に関わりの有る脇役が登場します。池波先生が、取材旅行で新発田を訪れた際のことは、「ないしょないしょ」巻末の解説に記されており、池波先生は新発田の地理にも精通していたようです。足軽長屋は新発田駅からも遠くなく、新発田駅から堀部安兵衛ゆかりの長徳寺やお福の奉公先が在った周円寺裏を訪ねるには、先に記した上人数溜を通ることになるので、池波先生は必ずや足軽長屋や清水園も御覧になっていたことと思われ、だとすれば、州走りの熊五郎を登場させたときには、頭の片隅に足軽長屋のことが浮かんだのではないかと思います。

足軽長屋(清水園) 新潟県新発田市大栄町7-9-32
JR羽越線・白新線新発田駅から約650m 徒歩約9分