江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

世継稲荷

2014-10-25 | まち歩き

地下鉄九段下駅から武道館方面へ上る九段坂。その九段坂より一つ北側に在る坂が中坂です。中坂はかなりの急坂ですが、江戸時代には九段坂の方が急で、中坂はむしろ緩やかな坂だと言われていました。江戸名所図会にもその様子は描かれており、九段坂が階段状に段を付けられた坂であったのに対して、中坂には段が無かったことが見て取れます。荷車は段のある九段坂を通ることが出来ないので、中坂の方にのみ描かれています。

 

江戸名所図会に目を凝らすと、当時の感覚では緩やかな方の中坂の中腹に「よつぎ…」の文字が添えられた神社が在るのが分かります。これが世継稲荷です。この辺り一帯は古くは田安郷と呼ばれていたため、田安稲荷と称されていましたが、二代将軍徳川秀忠が参詣した折に、橙(ダイダイ)の木が在るのを見て、これが「代々」に通じるとして「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛し、以来、世継稲荷と称されるようになりました。しかし、江戸後期の古地図[1]を見ると、そこには「田安イナリ」と記されており、ある時期を境に名前が変わったというよりも、二つの名前が一緒に存在していたようです。

 

現在の世継稲荷はというと、江戸名所図会や古地図に描かれた場所には、ビルに囲まれて築土神社が建ち、世継稲荷はその奥にあまり目立たずに建っています。江戸時代に無かった築土神社が在る訳は、かつては別の地に社を構えていた築土神社が、戦災で全焼したこと等を理由に、昭和二十九年(1954年)にこの地に遷座したためです。世継稲荷を探してこの地を訪れる人は、一瞬、「おや?」と思うかもしれませんが、築土神社の奥に在りますから、見落とさないようにして下さい。

 

世継稲荷は、みをつくし料理帖(高田郁著、ハルキ文庫)の主人公・澪が働く料理屋「つる家」の近くに在るため、同シリーズの中で時々登場しています。「こんがり焼き柿」(シリーズ第三弾「想い雲」に収録)の中では、店主・種市が、下足番の少女・ふきに聞かせたくない相談をするために、「世継稲荷で水をもらって来てくれ」とふきに命じ、ふきを遠ざけます。「賄い三方よし」(シリーズ第六弾「新星ひとつ」に収録)の中では、みりんを買い足すために中坂を訪れた澪が、世継稲荷の縁日で賑わう坂の途中でうずくまる武家の奥方らしい女を見つけ、心配のあまり声をかけます。

 

[1] 飯田町駿河台小川町絵図 文久三年(1863年)

 

世継稲荷 東京都千代田区九段北1-14-21

東京メトロ東西線・半蔵門線・都営新宿線 九段下駅から約100m 徒歩約2分

 

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