江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

法恩寺

2011-09-24 | まち歩き

本所にある日蓮宗のお寺です。太田道灌が長禄二年(1458年)に江戸城を築くにあたり城内鎮護の祈願所として建立されました。当時は本住院という名称でしたが、後に法恩寺に改称。神田柳原、谷中清水町への移転を経て、元禄八年(1695年)に現在地に移りました。古地図[1]と比較すると現在の境内は江戸時代よりもかなり小さくなっていますが、蔵前橋通りから続く参道とその両脇に並ぶ塔頭は、かつては二十の塔頭を抱えた頃の法恩寺を想像させるに十分な雰囲気を備えています。


法恩寺は鬼平犯科帳シリーズ(池波正太郎著、文藝春秋)には度々登場しており、現地の案内板にも鬼平に登場するお寺として紹介されています。最初に登場するのは、第一巻の「本所・桜屋敷」で、長谷川平蔵が法恩寺前の茶店に入る場面と、かつて西側に流れていた大横川(現在は埋めたてられ公園になっている)を船で行きながら法恩寺の大屋根を目にするという場面で登場しています。


法恩寺が登場するその他の作品

  • 藤沢周平著「冬の終りに」(竹光始末に収録、新潮社)
  • 藤沢周平著「凩の用心棒」(孤剣 用心棒日月抄に収録、新潮社)

[1]本所絵図、文久三年(1863年) ※人文社から復刻地図が出版されています。


法恩寺 東京都墨田区太平1-26-16

JR・東京メトロ半蔵門線 錦糸町駅から約900m 徒歩約12分


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永代橋

2011-09-17 | まち歩き

今は多くの橋が架かる隅田川ですが、江戸時代には千住大橋、大川橋(現吾妻橋)、両国橋、新大橋、永代橋の五つしか橋は在りませんでした。日光街道を通す千住大橋は江戸の北の郊外に位置していますから、江戸の中心部に住む人々が普段利用する橋は実質的には四つだったと言えると思います。


永代橋は五つの橋の中では最も下流に位置する橋で、東岸の深川と西岸の日本橋とを結んでいます。両国橋や新大橋を経由させずに登場人物を深川から日本橋へ、あるいは日本橋から深川へ渡す手段として永代橋は時代小説の作家には重宝されているようにも思われ、その証拠に多くの時代小説の中に永代橋は登場しています。藤沢周平著「赤い夕日」「殺すな」「川霧」(いずれも橋ものがたりに収録、新潮社)の中では、永代橋は単なる移動経路としてだけで無く、物語に不可欠な存在として印象深く登場しています。


現在の永代橋は大正十五年(1926年)に架けられたもので、上流の清洲橋、下流の勝鬨橋と共に国の重要文化財に指定されています。清洲橋が女性的で優美と言われる一方で永代橋は男性的と形容されています。


永代橋

東京メトロ東西線・日比谷線 茅場町駅から約650m 徒歩約9分

東京メトロ東西線・都営大江戸線 門前仲町駅から約700m 徒歩約9分


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富岡橋

2011-09-10 | まち歩き

深川の首都高速9号線の真下には、かつて油掘と呼ばれた川が流れていました。正式には十五間川という名前で、隅田川から富岡八幡宮の北側を通り、木場に至る運河でした。

富岡橋は油掘に架かっていた橋で、かつて存在したコンクリート橋の親柱が首都高速下の油掘川公園という小さな公園内に残されています。この親柱は近代の都市整備によって深川付近の清澄通りが整備された際に架けられた橋のものではないかと想像されます。

江戸時代の富岡橋はこの場所よりも西側の、現在の葛西橋通りよりも隅田川に近い場所に架けられていました。水路の多かった深川ですから、他の橋に混じり、特に注目されるような橋でも無かったように思われます。

そんな富岡橋ですが、宮部みゆき著「お勢殺し」(初ものがたりに収録、新潮社)の中では、夜遅くまで店を開けている奇妙な稲荷寿司の屋台の場所を示す橋として、作品中では重要な役割を果たしています。


富岡橋が登場するその他の作品

  • 藤沢周平著「霧の果て 神谷玄次郎捕物控」(「針の光」の章、文藝春秋)

旧富岡橋親柱(油掘川公園内) 東京都江東区門前仲町1-20-1

都営大江戸線 門前仲町駅から約120m 徒歩約2分


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下谷稲荷

2011-09-03 | まち歩き

時代小説を読んでいると、度々、下谷という地名が登場します。この下谷という地名は、本所や深川のように広域の地域を総称する地名で、ここからここまでが下谷と厳密な境界が在るわけではありません。そのため、普段、鉄道の駅名を地名代わりに使っている現代人の中で、江戸時代に下谷と呼ばれた地域をパッと思い浮かべられる人はそう多くは無いと思いますが、大体のエリアでいうと上野と浅草の間の地域といえます。台地になっている高台の上野に対して低い土地なので古くから下谷と呼ばれていたのだそうです。上野の上に下谷の下で、なるほどという感じですね。

下谷稲荷(現在は下谷神社)はそんな下谷に在る神社で、浅草通り沿いに立つ大きな赤い鳥居が印象的です。創建は天平二年(730年)と大変古く、程近い地下鉄銀座線・稲荷町駅の名前も、下谷稲荷の存在により、かつてこの地域が稲荷町と呼ばれていたことに由来します。


時代小説の中では、池波正太郎著「御老中毒殺」(剣客商売(一)に収録、新潮社)で、女剣士の三冬が驟雨を避けるために下谷稲荷の大鳥居脇の茶店で雨宿りをする場面で登場しています。


下谷稲荷 東京都台東区東上野3-29-8

地下鉄銀座線 稲荷町駅から約160m 徒歩約2分


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