江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

王子権現

2016-01-30 | まち歩き

王子権現(現王子神社)は、北区王子にある神社です。創建の頃は詳らかではありませんが、源義家が奥州征伐の折に慰霊祈願を行ったという故事が伝えられる大社です。元亨二年(1322年)に領主豊島氏が、石神井川沿いの高台に紀州(現在の和歌山県)の熊野三社権現から王子大神を勧請し、改めて「若一王子宮(にゃくいちおうじぐう)」として奉斉し、熊野にならって景観を整えたと言われています。これにより、この地は王子と呼ばれるようになりました。王子権現の下を流れる石神井川は、この地域では音無川と呼ばれており、これも紀州の地名を擬したとの説があります。実際、熊野三社の一つである熊野本宮大社のすぐそばには、音無川という川が流れており、ここに由来があると考えても不自然ではありません。
戦国時代には、豊島氏に代わり小田原の北条氏が領主となり、江戸時代に入ると徳川家との関係が深まります。八代将軍・徳川吉宗は、紀州徳川家の出身であったため、紀州ゆかりの王子権現を度々訪れ、飛鳥山に桜を植樹して寄進しました。これが後に花見の名所として賑わうようになる、現在の飛鳥山公園です。

王子権現は、鬼平犯科帳シリーズ(池波正太郎著、文藝春秋)には、比較的多く登場しており、なぜだか王子権現の周りには多くの悪者がいます。主人公・長谷川平蔵の暗殺を請け負った金子半四郎は王子権現近くの植木屋の離れに住み(第一巻「暗剣白梅香」)、平蔵が王子権現で見た女は元掏摸(第二巻「女掏摸お富」)で、平蔵の妻女・久栄を強請る近藤勘四郎は王子権現近くの百姓家を隠れ蓑とする盗人宿に潜伏し(第三巻「むかしの男」)、王子権現近くの山吹屋という料理茶屋で働くお勝は素性が知れず(第五巻「山吹やお勝」、第八巻「白と黒」)、王子権現の裏参道近くの木陰では娘が男に強姦され、さらに二人が死ぬ殺人事件が起きます(第十四巻「浮世の顔」)。また、平蔵が王子権現の料理茶屋で従兄の三沢仙右衛門から耳にした「権兵衛酒屋」では、何者かに店が襲われるという事件が起きます(第十七巻「権兵衛酒屋」の章)。

 

王子権現(王子神社) 東京都北区王子本町1-1-12
JR京浜東北線・東京メトロ南北線王子駅から約350m 徒歩約5分
都電荒川線王子駅前駅から約300m 徒歩約4分

 


穴八幡宮

2016-01-09 | まち歩き

穴八幡宮は、新宿区西早稲田に在る神社です。北は早稲田大学早稲田キャンパスに、南は早稲田大学戸山キャンパスに挟まれる形で、早稲田通りと諏訪通りが分岐するところの高台に建ちます。牛込の総鎮守で、江戸名所図会には、高田八幡宮の名で記されるとともに、「世に穴八幡とよべり」との添え書きがあり、切絵図[1][2]にも穴八幡の名が記されていますので、当時から穴八幡の名は広く用いられていたものと想像されます。

この穴八幡の「穴」という名。何とも興味を引かれますが、この「穴」とはいったい何のことでしょうか。答えは、穴八幡宮の建つ台地に開いた洞穴を示しています。穴八幡宮が配布する「穴八幡宮参拝の栞」では「神穴」と紹介される穴で、寛永十八年(1641年)に、宮守(江戸名所図会では社僧(=神社で仏事を修めた僧侶))の草庵を作るために山裾を切り開いたときに発見されました。この神穴は、現在は、出現殿(平成十八年竣工)という建物内部に祀られています(非公開)。

穴八幡は、鬼平犯科帳(二十二)「迷路」(池波正太郎著、文藝春秋)にも登場する神社です。迷路の「法妙寺の九十郎」の章では、主人公長谷川平蔵の息子辰蔵が、剣術の稽古帰りに穴八幡前の茶店で甘酒を飲む場面があります。稽古嫌いの辰蔵でしたが、最近は腕を上げ、茶店帰りの夜道で突如曲者に襲われるものの、難なくこれを撃退します。

穴八幡が登場するその他の作品

  • 鬼平犯科帳(七)、隠居金七百両、池波正太郎著、文藝春秋
  • 鬼平犯科帳(十)、追跡、池波正太郎著、文藝春秋

 

[1] 大久保外山高田辺之図(嘉永四年/1851年)
[2] 牛込市谷大久保江図(嘉永七年/1854年)

 

穴八幡宮 東京都新宿区西早稲田2-1-11
東京メトロ東西線早稲田駅から約200m 徒歩約3分