江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

六間堀・五間堀

2011-10-29 | まち歩き

六間堀は竪川と小名木川とを南北につなぐ運河で、隅田川のやや東側を流れていました。五間堀は六間堀から分かれる堀割で、現在の都営新宿線森下駅のやや北側で東側に分岐していました。六間堀と五間堀を合わせるとアルファベットのYのような形をしており、Yの右側の斜め線が五間堀、残りが六間堀になります。

名前は川幅がそれぞれ六間と五間だったことに由来します。一間はおよそ1.8mですから、今風に言えば、六間堀は“11m級運河”、五間堀は“9m級運河”というところでしょうか。江戸の街には、このような単純な名付けが結構多いように思います。

現在は六間堀も五間堀も埋め立てられて消失しています。一部が公園になったりはしていますが、実際に現地に足を運んでも、一見しただけではどこに堀割が在ったのかは分りません。しかし注意深く眺めてみると、かつて掘割に架かっていた橋の部分の土地は高く、逆に水路だった部分は土地が低くなっていたりして、所々に土地の記憶を見付けることが出来ます。また、掘割は埋め立てられても、かつての掘割に沿って道が残り、その道に面して家々が建てられているので、Google Earth等の航空写真で本所・深川を上空から眺めると、かつてのY字の掘割の形が今もはっきりと分ります。大都会東京にナスカの地上絵を見ているようで、とても不思議ですから、是非一度トライしてみて欲しいと思います。


佐伯泰英著、居眠り磐音江戸双紙シリーズ(双葉社)の主人公・坂崎磐音が住む金兵衛長屋はこの六間堀近くの六間堀町に在ります。


六間堀が登場するその他の作品

  • 藤沢周平著「凩の用心棒」(孤剣 用心棒日月抄に収録、新潮社)
  • 藤沢周平著「みな殺し」(愛憎の檻 獄医立花登手控え(三)に収録、講談社)
  • 藤沢周平著「戻って来た罪」「見張り」「待ち伏せ」「影の男」「女の部屋」「別れゆく季節」(いずれも人間の檻 獄医立花登手控え(四)に収録、講談社)
  • 池波正太郎著「寒月六間堀」(鬼平犯科帳(七)に収録、文藝春秋)

五間堀が登場する作品

  • 藤沢周平著「影の男」(人間の檻 獄医立花登手控え(四)に収録、講談社)
  • 池波正太郎著「寒月六間堀」(鬼平犯科帳(七)に収録、文藝春秋)

六間掘跡(森下駅A2出口近くの公園) 東京都江東区新大橋3-18-2

都営新宿線・大江戸線 森下駅A2出口からすぐ


五間堀跡(五間堀公園) 東京都江東区森下2-30-4

都営新宿線・大江戸線 森下駅A5出口からすぐ


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六間堀跡:橋の部分は高く、水路の部分は低いかつての地形が残っています。


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五間堀跡:堀割の一部は公園になっています。


今川橋

2011-10-22 | まち歩き

今川橋は日本橋三越の前の大通りを神田方面に500m程進み、以前に龍閑橋のところで紹介した龍閑川(竜閑川の表記もある)を渡る所に架かっていた橋です。今では橋は無く、少し先の交差点に今川橋の名前が付けられていることくらいが、かつてこの地に橋が在ったことを示す数少ない証となっています。


今川橋は、池波正太郎著「罪ほろぼし」(剣客商売(十二)に収録、新潮社)の中で登場していますが、併せて注目して欲しいのは、「八丁堤」という火除けの土手の存在です。と言うのは、この火除けの土手は、明暦の大火の後に防火を目的に築かれた長さ八丁(約870m)の土手なのですが、龍閑川は後年にこの火除けの土手の側に生まれた広道(明地)を開削して造られたもの[1]だからです。


今は川も土手も橋も在りませんが、かつての川沿いには何ヶ所か案内板が設置してありますので、散歩をしながら龍閑川や今川橋等の由来を知ることが出来ます。


今川橋が登場するその他の作品

  • 藤沢周平著「老賊」(風雪の檻に収録、講談社)

[1] 参考:千代田区教育委員会案内板


今川橋跡 東京都中央区日本橋室町4-2-9付近

JR神田駅から約250m 徒歩4分


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今川橋が在った場所。龍閑川は手前から奥に見える細い通りのところを流れていました。


深川神明宮

2011-10-15 | まち歩き

深川神明宮は深川に在る神社で、都営新宿線の森下駅を南に少し歩いたところに在ります。

今からおよそ四百年前、深川の地は未だ葦の茂る三角洲で住む人は居ませんでした。深川の地を開拓したのは、摂津国(現大阪府)から来た深川八郎右衛門とその一族で、八郎右衛門が開拓民の幸せと深川の地の発展を願い神明を勧進したのが深川神明宮の始まりです。

深川の地名は、徳川家康がこの地を巡視した際に、地名が無かったこの地を八郎右衛門の姓「深川」を以って地名にするように命じたことに由来します。


深川神明宮は藤沢周平著「凩の用心棒」(孤剣 用心棒日月抄に収録、新潮社)の中で、その門前に青江又八郎の用心棒仲間の米坂が雇われた呉服屋が在る場所として登場しています。かつて西側を流れていた六間堀とそこに架かる中ノ橋も登場しており、要注目です。


深川神明宮が登場するその他の作品

  • 藤沢周平著「影の男」(人間の檻 獄医立花登手控え(四)に収録、講談社)(作品中では神明社)

深川神明宮 東京都江東区森下1-3-17

都営新宿線・大江戸線 森下駅より約150m 徒歩約2分


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亀戸天神

2011-10-08 | まち歩き

学問の神様と言えば、菅原道真公を祀る太宰府天満宮が有名ですが、亀戸天神も菅原道真公を祀る学問の神様です。二つの神社には関係があり、大宰府天満宮の神職が飛梅の木で菅原道真公の像を作り祀ったことが亀戸天神の創建と言われています。社殿、回廊、心字池、太鼓橋なども太宰府天満宮にならい造営されたものです[1]


亀戸天神は歌川広重の浮世絵「亀戸天神境内」(名所江戸百景)にも描かれた藤の名所として広く知られ、春の連休の頃には沢山の見物客で賑わいます。池には沢山の亀がいて、晴れた日の甲羅干しの様子はちょっと壮観ですが、神社の名前と亀が沢山いることは無関係・・・ではないでしょう。きっと。


亀戸天神は藤沢周平作品の中では「冬の終りに」(竹光始末に収録、新潮社)、「殺すな」(橋ものがたりに収録、新潮社)等で登場する他、池波正太郎の剣客商売シリーズ(新潮社)にも度々登場しています(剣客商売(一)「剣の誓約」、剣客商売(五)「雨避け小兵衛」、剣客商売(六)「鷲鼻の武士」「金貸し幸右衛門」等)。


[1]参考:亀戸天神公式ホームページ


亀戸天神 東京都江東区亀戸3-6-1

JR総武線亀戸駅から約1km 徒歩約15分

JR総武線・地下鉄半蔵門線 錦糸町駅から約1km 徒歩約15分


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新辻橋

2011-10-01 | まち歩き

本所を東西に流れる竪川は江戸城から見ると前後方向の“縦”に流れているから“たてかわ”、深川と本所を南北に流れる横川(現在は大横川)は、左右方向の“横”に流れているから“よこかわ”という名前が付いたそうです。

新辻橋は竪川と横川が交わる場所に架けられている橋で、現在の橋は昭和5年に架けられたものです[1]。現在は竪川と横川の交差部よりも東側の竪川と北側の横川が埋め立てられて公園化されたため、この橋の下に川は流れていません。


池波正太郎著「本所・桜屋敷」(鬼平犯科帳(一)に収録、文藝春秋)の中では、長谷川平蔵の乗る小船が大川(隅田川)から竪川に入り、新辻橋の手前で左に折れ、横川に入る場面が書かれています。


[1]墨田区ホームページ


新辻橋北詰 東京都墨田区江東橋1-2

JR錦糸町駅から約700m 徒歩約9分


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