江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

高田馬場

2015-11-21 | まち歩き

高田馬場は、江戸時代の高田、現在の西早稲田に存在した馬場です。JR山手線の高田馬場の駅名の由来となった史跡で、高田馬場駅からは早稲田通沿いに東に1キロメートルほど行ったところに在りました。現在はビルが立ち並び、馬場の痕跡は全くありませんが、地図や航空写真を眺めると、馬場の形をトレースするように道路が長方形を形作っており、ここに馬場があったことが分かります。面白いことに、駅名や地名の由来になったにもかかわらず、馬場があった場所は、行政区上の高田馬場の外に存在しています。

高田馬場が築かれたのは寛永十三年(1636年)で、江戸の馬場のうちで最も古いものの一つです。享保年間(1716年~1735年)には、馬場の北側に松並木が植えられ、8軒の茶屋が在ったとされています。馬術の訓練場としてだけでなく、雑司ヶ谷の鬼子母神を参拝する人々が途中に立ち寄る遊び場でもあり、江戸名所図会によれば、賭的、大的、小的、騎射、能囃子、土佐(土佐浄瑠璃)、外記(外記浄瑠璃)、放火(曲芸)等が出て賑わったそうです。また、高田馬場を有名にした出来事に、赤穂四十七士の一人である堀部安兵衛が義理の叔父・菅野六郎左衛門の決闘の助太刀をして名を挙げた「高田馬場の決闘」があります。この事件は、安兵衛が堀部家の養子となる以前のことで、安兵衛はまだ生家の中山姓を名乗っていました。

高田馬場が登場する時代小説の一つには、堀部安兵衛の少年時代から吉良邸討入りまでを痛快に記した「堀部安兵衛(上)、(下)」(池波正太郎著、新潮社)があります。「堀部安兵衛」は、池波作品の中でも、傑作の一つに数えるに相応しい作品で、特に高田馬場の決闘の場面は、同作品の中で最も素晴らしい部分と言えます。

 

高田馬場が登場するその他の作品

  • 鬼平犯科帳(七)、隠居金七百両、池波正太郎著、文藝春秋
  • 鬼平犯科帳(二十二)、法妙寺の九十郎、池波正太郎著、文藝春秋
  • おもかげ橋、葉室麟著、幻冬社

 

高田馬場(西早稲田交差点にある説明板) 東京都新宿区西早稲田3-1−1
東京メトロ東西線早稲田駅から約750m 徒歩約10分
JR・東京メトロ東西線高田馬場駅から約1.2㎞ 徒歩約15分

 

西早稲田交差点から眺めるかつての高田馬場。西早稲田交差点が馬場の東南の角にあたる。