江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

長徳寺

2013-08-31 | まち歩き

今回は江戸を離れ、久し振りに番外編をお送り致します。

 

長徳寺は、越後新発田三ノ町(現新潟県新発田市大栄町)に在るお寺で、以前に御紹介した周円寺とは程近い位置関係にあります。創建は天正十三年(1585年)。新発田出身の赤穂浪士・堀部安兵衛の生家・中山家の菩提寺で、地元では、安兵衛が植えたとされる松が在るお寺として広く知られています。

 

現在の安兵衛手植えの松は二代目の松です。初代の松は、樹齢約300歳の大木で、幹には大きな洞(うろ)が在りました。小さな子供には、立派な枝振りよりも、何か出てきそうな、その洞の方が気になったものです。平成九年(1997年)に、老齢により惜しくも伐採されてしまいましたが、その実生から、現在の二代目の松が育てられました。

 

毎年8月13日には、ここ長徳寺でもお盆のお墓参りの日を迎えます。城下町新発田のお墓参りは他とはちょっと変わっていて、日が落ちて、暗くなってからお墓参りをします。地元では、それが当たり前なので、進学や就職、結婚等で新発田を離れて、初めて他とは違うということに気付く新発田っ子も多いようです。夜のお墓参りには、ぼんぼりを持参して、それをお墓の前に立てて、蝋燭を灯します。お墓参りの静寂な雰囲気と線香の香りの中で灯る沢山のぼんぼりは美しいもので、故郷自慢になる風習の一つだと思われるのですが、地元の人にとっては、毎年の恒例行事なので、あらためて「幻想的だなぁ」と浸ることはありません。

 

長徳寺は、池波正太郎著、堀部安兵衛(上)(新潮社)の中に登場し、主人公の安兵衛は、長徳寺の和尚から読書と習字の教えを受けるのが日課となっています。

 

長徳寺 新潟県新発田市大栄町2‐7‐22

JR羽越線・白新線新発田駅から約1.3km 徒歩約17分

 

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右側の囲いの中に立つ松が二代目安兵衛手植えの松

 


日比谷稲荷

2013-08-17 | まち歩き

日比谷稲荷(現日比谷神社)は東新橋に在る神社です。新橋に在るのに、“日比谷”とは、これいかに?と思う人もいるかもしれませんが、理由は単純で、元々は日比谷(現在の日比谷公園の中)にお社が在ったためです。その頃は、日比谷稲荷明神旅泊(さば)稲荷明神と称されており、神社の社号“日比谷”が変わること無く、今に至りました。


日比谷稲荷は、慶長十一年(1606年)に、江戸城日比谷御門の造営に伴い、現在の新橋地区に移動してきます。古地図[1]と現在の地図を対比すると、現在のJR新橋駅東口の辺りであったと思われます。古地図には、日比谷稲荷の前の通りに「日カゲ丁通リ」の文字が見えますが、江戸名所図会によれば、これは、町幅が至って狭かったために、土地の人が本来の町名とは別に、「日蔭町」と呼んだからだそうです。


時が移り、昭和三年(1928年)には、関東大震災の影響で都市計画区割整理の対象となり、現JR新橋駅烏森口から徒歩数分の場所に移動となります。そして、つい最近の平成二十一年(2009年)には、新たな道路(環状二号線)の建設に伴い、再び引っ越すこととなり、国道15号線脇の東新橋の現在地に新たなお社を構えることになりました。


日比谷稲荷は、池波正太郎著「暗剣白梅香」(鬼平犯科帳(一)に収録、文藝春秋)の中で、名前は出ていないものの、「日蔭町通りの稲荷社」として登場しています。また、中島要著「刀圭」(光文社)の中では、主人公・井坂坂圭吾と同じ長屋に住み、圭吾を支えるタキが芝に向かう途中で、薬種問屋千歳屋の若旦那・生三郎に呼び止められ、日比谷稲荷前の茶店に入るという場面が登場しています。


[1]芝口南西久保愛宕下之図 蔓延二年(1861)


日比谷稲荷 東京都港区東新橋2-1-1

JR新橋駅・都営地下鉄浅草線新橋駅から約350m 徒歩約5分


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高尾稲荷

2013-08-03 | まち歩き

高尾稲荷は、日本橋箱崎町に在る稲荷神社です。「高尾」は、吉原の遊女・二代目高尾太夫のことで、隅田川の三又(現在の清洲橋辺り)の船上において、仙台藩三代藩主・伊達綱宗に斬られ、命を落とした人です。「太夫」というのは、吉原の遊女の最高位で、容姿端麗であることはもちろん、芸事に通じ、教養も備えていなければなれない特別な遊女でした。その特別な遊女を綱宗が高尾太夫を斬り殺した訳は、綱宗が大金を積んで高尾太夫を身請けしたにもかからず、高尾太夫には意中の人がいて、綱宗に従おうとせず、それに綱宗が腹を立てたからと伝えられています。


高尾稲荷は、高尾太夫の遺体が引き揚げられた地に、彼女の神霊高尾大明神を祀ったのが起源と言います。明治の頃までは、現在地よりも100メートルほど離れた、豊海橋の北詰に社殿が在りましたが、かつてこの地に在った三井倉庫の建設に伴い、社殿は御神体と共に現在の地に移設されました。


大江戸釣客伝(夢枕獏著、講談社)の中では、高尾太夫について、絵師・多賀朝湖(後の英一蝶)と俳諧師・宝井其角が、

「吉原でしくじった伊達様の例もあらあ-」

「三浦屋の高尾太夫に入れあげて、身請けしたはいいが、太夫には間夫がいた。怒った伊達様が太夫を逆さ吊りにして、切り殺したってえことになったら-」

と会話する場面が登場しています。


高尾稲荷神社 中央区日本橋箱崎町10-7

東京メトロ東西線・日比谷線 茅場町駅から約700m 徒歩約9分


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