江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

関東郡代

2016-02-13 | まち歩き

さほど歴史に強くなくても、奉行という江戸時代の役職については広く知られていることと思います。例えば、時代劇「遠山の金さん」や「大岡越前」で知られる町奉行は、正確なことは分からないまでも、警察と裁判所の機能を合わせ持つ役所であることが想像できますし、勘定奉行はその名から財政を司る役所であることが、寺社奉行はお寺や神社を管理する役所であることが想像できます。一方、代官という役職も広く知られていることと思います。代官というのは、君主や領主に代わり、任地の事務を行う人やその地位を指しますが、それを知らなくても、「越後屋、お主も悪よのう。ハハハ。」、「そう言うお代官様こそ。フフフ。」という具合に、力を持ったお役人ということは想像が付くのではないかと思います。

ところが、郡代という役職については、奉行や代官に比べると、はるかに知名度が低いのではないかと思われます。この郡代という役職は、時代によって違いはあるものの、一般には、郡単位の広い地域を治めた代官のことを指します。江戸時代中期以降は、関東・美濃・西国・飛騨の四カ所に置かれていました。良い例えかどうかは分かりませんが、今風に言えば、関東信越○○局のような地方行政官と考えると、なんとなくイメージがつかめるのではないかと思われます。

四つの郡代の一つである関東郡代屋敷は馬喰町に在りました。現在の位置関係では、神田川に架かる浅草橋の南詰にあたり、その跡地には、交番や女学校等が建ちます。郡代の役職は、寛政四年(1792年)まで伊那氏が代々世襲で受け持ち、関東広域の年貢の徴収、治水、勧農、新田開発、紛争の処理、教育の管理等を担っていました。

新田次郎著、「怒る富士(上)(下)」(文藝春秋)は、富士山の宝永大噴火(宝永四年/1707年)で被災した民を救うために、関東郡代・伊那半左衛門が奔走する長編時代小説です。作品は新田先生によるフィクションではありますが、史実を元に丁寧に書かれた小説であるため、300年前に起きた富士山の噴火と関東郡代の関わり、当時の権力者たちの関係を知るには良い本です。また、関東郡代とは関係ありませんが、郡代という役職が印象的に登場する作品の一つとしては、藤沢周平著「風の果て(上)(下)」(文藝春秋)があります。

 

関東郡代屋敷跡(久松警察署東日本橋交番) 東京都中央区日本橋馬喰町2-7-2
JR総武快速線馬喰町駅から約100m 徒歩約2分
JR総武線・都営地下鉄浅草線浅草橋駅から約240m 徒歩約3分

 

 

写真奥のビル群の辺りが関東郡代屋敷が在ったところ

 

 

東日本橋交番脇に立つ案内板