江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

猿江橋

2012-12-29 | まち歩き

藤沢周平著「吹く風は秋」(橋ものがたりに収録、新潮社)は、博打打ちの弥平と、弥平が偶然知り合うことになる女郎の物語です。作品の冒頭で、七年前に江戸から逃げた弥平が再び江戸の地を踏む際に、そして、作品の終わりで弥平が再び江戸を離れる際に渡る橋が猿江橋です。


猿江橋は、小名木川と横川(現在の大横川)とが十文字に交差するところに架けられている橋で、現在の橋は昭和五十二年(1977年)に架けられた長さ40mに満たない橋です。この交差部には他に扇橋新高橋の二つの橋が在り、現在は、それぞれの橋は交差部からやや離れているものの、江戸時代には、丁度交差点に設けられた横断歩道の様にまとまって架けられていました。小名木川の北岸沿いに横川を渡る橋が猿江橋、小名木川の南岸沿いに横川を渡る橋が扇橋、そして横川の西岸沿いに小名木川を渡る橋が新高橋です。弥平は下総(現在の千葉県)から江戸に入り、小名木川の北岸沿いに正面に夕焼けを見ながら、この猿江橋を東から西へ渡りました。そして、再び江戸を離れる時には、ひややかな秋風を受けながら、正面にまぶしい朝日を見て、この橋を逆に渡ったのです。


因みに、扇橋は、鬼平犯科帳シリーズ(池波正太郎著、文藝春秋)に登場する密偵・小房の粂八が営む船宿“鶴や”近くの橋として、新高橋は、宮部みゆき著「ぼんくら」(新潮社)の舞台となる鉄瓶長屋近くの橋としてそれぞれ登場しています。


猿江橋西詰 東京都江東区森下5-13-2

都営新宿線菊川駅から約550m 徒歩約7分


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妻恋明神

2012-12-22 | まち歩き

妻恋明神(現在の妻恋神社)は蔵前橋通を挟んで神田明神の北側に在る神社で、近くの妻恋坂の名前の由来となったことでも知られています。

「古事記」や「日本書紀」に登場する日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征のおり、三浦半島から房総へ渡るときに大暴風雨に遭い、妃の弟橘媛(おとたちばなひめ)が夫の身代わりとして海中に身を投げて海神を鎮め、尊の一行を救ったとの伝説があり、尊の妃を慕われる心を哀れんで、尊と妃を祀ったのが、妻恋神社の起こりと伝えられています。


鬼平犯科帳(池波正太郎著、文藝春秋)に登場する、元盗賊の引き込み役の絵師・石田竹仙は妻恋明神の裏手に住んでおり、作品中では「石田竹仙家の裏手は、細い道をへだてて、幕府の組屋敷の土塀になっている。玄関は立舟坂に面して妻恋町の町家と向かい合ってい、南側は垣根ごしに妻恋明神の杉木立をのぞむという・・・」と記されています。

余談ですが、ここに登場する「立舟坂」は、近くにその名の坂が無いことから、妻恋神社の東に在る「立爪坂」のことではないかと想像されます。


参考

[1] 妻恋神社ホームページ

[2] 妻恋神社案内板、昭和五十九年三月、文京区教育委員会


妻恋神社 東京都文京区湯島3-2-6

東京メトロ銀座線 末広町駅から約450m 徒歩約6分

JR御茶ノ水駅から約500m 徒歩約7分


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立舟坂は立爪坂のことか?


妻恋坂

2012-12-15 | まち歩き

妻恋坂は、蔵前橋通を隔てて神田明神の北側に在る坂道です。今は表通りから一歩中に入った、さほど道幅が広くは無い路地といった趣ですが、蔵前橋通が存在しなかった江戸時代には、本郷へ抜ける道として人通りは多かったのではないかと想像されます。坂上に在る妻恋神社(妻恋稲荷)にちなんで妻恋坂と呼ばれるようになりました。


妻恋坂は、本郷台地の東端に在る坂の一つで、大雑把には、坂下の昌平橋通より東側は低地、西側は台地となります。「山の手の坂、下町の橋」とも言われるように、台地の部分は坂が多く、道も地形なりに通っているのに対し、本所や深川のような下町[1]では水路と共に橋が多く、道も規則正しく並んでいるのが対象的です。普段、電車やタクシーを使って移動していると、地形的な高低はあまり気にならないものですが、通り一本隔てて東と西で地形の表情ががらりと変わるのは、なんとなく不思議な感じがします。


妻恋坂は、鬼平犯科帳(池波正太郎著、文藝春秋)の中では、長谷川平蔵が度々人相書きを依頼する、元盗賊の引き込み役の絵師・石田竹仙が近くに住む坂として登場しています(鬼平犯科帳(十七)「権兵衛酒屋」)。


[1] 商工業が盛んな町人の住む町を「下町」といいますが、地形的には、台地の上を意味する「山の手」に対して、低地の部分を「下町」といいます。


妻恋坂下 東京都千代田区外神田6-4-7

東京メトロ銀座線 末広町駅から約250m 徒歩約4分


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石町時の鐘

2012-12-08 | まち歩き

藤沢周平著「海鳴り(下)」(文藝春秋)の結末近くで、主人公・小野屋新兵衛は、自身にとって、とても大切な朝に、遠くで本石町の鐘が鳴るのを聞きます。


宮部みゆき著「消えずの行灯」(本所深川ふしぎ草子に収録、新潮社)の中では、「(主人公・おゆうが)床の中にもぐりこんでから聞く本所横川町の鐘は、石町の鐘の音よりも、心持ち重たげに感じられた。」と記されています。


これらの作品に登場する鐘は、お寺の鐘ではなく、江戸の街に暮らす人々に時を知らせる時の鐘です。「海鳴り」に登場する本石町の鐘と「消えずの行灯」に登場する石町の鐘は、石町という町名が、後年、本石町と呼ばれるようになっただけの違いで、どちらも同じ鐘を指しています。


本石町は日本橋の町名の一つで、本石町の鐘は、現在の日本橋室町四丁目付近に在りました。商業ビルが建ち並ぶ現在のこの地には、当然ながら鐘楼は現存しませんが、少し離れた十思公園(小伝馬町牢屋敷跡)に、宝永八年(1711年)に鋳造された実物の本石町の鐘が移設されて残っています。数々の火事や関東大震災に耐え、戦争中の軍需金属資源の供出をも免れて、今なお、当時の鐘が現存しているのは、ある意味では驚きです。


本石町の時の鐘は、江戸市中に在った幾つかの鐘、例えば「消えずの行灯」に登場する本所横山町の時の鐘もその一つですが、その中でも最初に設置された鐘と言われています。本石町の鐘が撞かれた後に、その音を本所横川町の鐘など、周辺の鐘が引き継いで、江戸の隅々へ時を知らせていったので、本石町と周辺の町内とでは、少し時間にずれが在ったそうです。


もう一つ、時刻に関する話題を紹介すると、江戸時代には、日の出の30分程前を「明け六つ」、日没の30分程後を「暮れ六つ」と称し、昼と夜をそれぞれ六等分して、一刻(とき)とする不定時法という時間の定義を採用していました。一刻は約2時間ですが、同じ一刻でも昼と夜では長さが異なり、季節によって長くなったり短くなったりしていたというわけです。電気も電灯も無かった時代ですから、人の生活リズムはお天道様に寄り添わざるを得なかったのでしょうが、自然の理に適っていて、案外、今よりも暮らしやすかったかもしれません。


時の鐘(十思公園内) 東京都中央区小伝馬町5-2

東京メトロ日比谷線 小伝馬町駅5番出口からすぐ


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昌平橋

2012-12-01 | まち歩き

昌平橋は神田川に架かる橋です。大よその位置としては、上流北岸側に神田明神湯島聖堂が在り、上流南岸がお茶の水、下流北岸が電気街で有名な秋葉原です。橋の上に立って、上流側を眺めると、右手に総武緩行線の鉄橋が見え、左手には神田川に沿って中央線の赤レンガ高架橋が見えます。この赤レンガ高架橋をやや東京方面に行った、昌平橋下流の万世橋南岸には、2006年まで旧万世橋駅舎を利用した交通博物館が在りました(交通博物館が閉館した時に寂しい思いをした人は少なくないと思いますが、嬉しいことに、跡地に建設が進む商業施設と共に、旧万世橋駅舎に現存するホームや階段も整備されつつあり、2013年夏に一般公開される予定になっています)。


この地に最初に橋が架けられたのは寛永年間(1624年~1645年)と伝えられています。かつては橋の南西の淡路坂の上に在った一口稲荷社(いもあらいいなり(現在の太田姫稲荷神社))に因み、「一口橋(いもあらいばし)」や「芋洗橋」と呼ばれましたが、湯島聖堂が建設された際、孔子の生誕地である魯国の昌平郷にちなんで昌平橋と改名されました。明治維新後に橋の北西に在る相生坂に因んでか、相生橋と改められますが、明治六年(1873年)に洪水により落橋し、明治32年(1899年)に再架設された際に再び昌平橋の名称が付けられました。現在の橋は昭和三年(1928年)に架け替えられたものです。


昌平橋は、藤沢周平著「刺客 用心棒日月抄」(薄暮の決闘の章、新潮社)の中に登場。主人公・青江又八郎と敵対する筒井杏平は、筋違橋と昌平橋の間に在る加賀原(現在の秋葉原電気街の辺りに在った空地)のそばを決闘場所に指定します。


昌平橋が登場するその他の作品

  • 藤沢周平著「天保悪党伝説」(泣き虫小僧の章、新潮社)
  • 池波正太郎著「辻斬り」(剣客商売(二)に収録、新潮社)
  • 池波正太郎著「唖の十蔵」(鬼平犯科帳(一)に収録、文藝春秋)
  • 池波正太郎著「密偵」(鬼平犯科帳(二)に収録、文藝春秋)
  • 池波正太郎著「夜鷹殺し」(鬼平犯科帳(四)に収録、文藝春秋)
  • 池波正太郎著「泥亀」「白い粉」「狐雨」(鬼平犯科帳(九)に収録、文藝春秋)
  • 池波正太郎著「二つの顔」(鬼平犯科帳(十二)に収録、文藝春秋)
  • 波正太郎著「見張りの日々」(鬼平犯科帳(十七)に収録、文藝春秋)
  • 池波正太郎著「雪の果て」(鬼平犯科帳(十九)に収録、文藝春秋)

昌平橋北詰 東京都千代田区外神田2-1-16

JR御茶ノ水駅・東京メトロ千代田線 新御茶ノ水駅から約300m 徒歩約4分

JR秋葉原駅から約400m 徒歩約5分


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