江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

泉岳寺

2011-11-26 | まち歩き

東京都港区に在る曹洞宗のお寺で、品川駅から北へ1km程のところに在ります。

忠臣蔵の浅野内匠頭と赤穂浪士のお墓が在ることで知られており、泉岳寺を訪れる人は、やはり忠臣蔵関連を目的として来られる方が多いのでは無いかと思われます。境内には赤穂義士記念館という赤穂浪士に関する資料館が在るほか、赤穂浪士にゆかりのものが点在しており、毎年12月14日の討入りの日と4月1日~7日には義士際が開催されます。

境内には学寮(僧侶を養成するための学問所)が在り、泉岳寺と吉祥寺(東京都文京区)と清松寺(東京都港区)のそれぞれの学寮が統合して発展したのが現在の駒澤大学です。

泉岳寺の名称は都営浅草線や京急線を通勤・通学の足に使っている人にとっては駅名としか意識していない人も案外多いかもしれませんが、もう直ぐ討入りの日がやって来ますから、たまには泉岳寺駅で途中下車をして、泉岳寺をお参りしてみてはいかがでしょうか。


泉岳寺は赤穂浪士が本懐を遂げた後に目指した地ですから、忠臣蔵を題材とした時代小説には必ずや登場していると思います。例えば池波正太郎著「堀部安兵衛(下)」にも討入り後の赤穂浪士が泉岳寺の浅野内匠頭の墓前に吉良上野介の首をささげる場面が登場しています。


泉岳寺 東京都港区高輪2-11-1

都営浅草線・京浜急行 泉岳寺駅から約160m 徒歩約2分


Dsc_9115


浅野内匠頭邸

2011-11-19 | まち歩き

前回、忠臣蔵の吉良上野介の屋敷は本所(現東京都墨田区)に在ったことを御紹介しましたが、それではもう一方の当事者、浅野内匠頭の江戸屋敷はどこに在ったか御存知でしょうか? 答は築地で、現在の聖路加国際病院のところに在りました。聖路加国際病院の西側に築地川公園という公園が在りますが、ここにはかつて築地川と呼ばれた川が流れており、浅野家の屋敷はその川に面して建っていました。忠臣蔵の一連の事件が起こる数年前の地図[1]を開くと、現在の聖路加国際病院の位置に、築地川に面して「アサノ」と書かれています。

松の廊下での刃傷沙汰が発端となり、浅野内匠頭は即日切腹を命じられ、この江戸屋敷も取上げられ、赤穂藩は取り潰しとなりました。


池波正太郎著、「堀部安兵衛(上)」(新潮社)には、浅野家に仕える以前の安兵衛が、若かりし頃に大石内蔵助から借りた金を返すために、この築地の浅野内匠頭の屋敷を訪ねる場面が登場しています。後年、安兵衛が浅野家の家臣としてこの屋敷に出仕する場面は続く「堀部安兵衛(下)」(新潮社)に登場しています。


[1] 元禄江戸図、元禄六年(1693年)/古地図史料出版(株)復刻地図


浅野内匠頭邸跡(聖路加看護大学隣) 東京都中央区明石町10-2

東京メトロ日比谷線 築地駅から約250m 徒歩約3分

東京メトロ有楽町線 新富町駅から約350m 徒歩約5分


Dsc_9010


吉良邸

2011-11-12 | まち歩き

今からおよそ300年前の元禄15年12月14日深夜、赤穂四十七士が吉良邸に討ち入るという事件が起こりました。元禄赤穂事件、いわゆる忠臣蔵です。

日本人ならば誰もが良く知る忠臣蔵。結末が分っているにも関わらず、毎年のように忠臣蔵を題材とした新たな映画や小説が登場し、年末にはスペシャルドラマが放送されるのは、それだけ忠臣蔵が日本人に愛されている証拠なのだと思います。

そんな忠臣蔵ですが、それでは、討ち入られた吉良邸はどこに在ったのか?との質問に答えられる人は、忠臣蔵の知名度に比べれば、かなり少ないだろうと思います。答えは本所です。本所と言われてもピンと来ない人のために、もう少し分りやすい位置でいうと、大相撲が行われる両国国技館から直線距離で南におよそ400mのところです。

吉良上野介の屋敷は、元々は鍛冶橋[1](東京駅と有楽町駅の真ん中付近)に在りましたが、松の廊下での刃傷沙汰が元で本所に屋敷代えになりました。本所は最も江戸らしい地域の一つではありますが、それは庶民に限ったことであり、武家にとっては江戸城から隅田川を越えてさらに遠くのこの地というのは左遷されたに等しい処遇でした。

かつての吉良邸の一部は、現在は公園として整備されています。


忠臣蔵と吉良邸は切り離せない関係にありますので、吉良邸は忠臣蔵を題材とした時代小説には必ず登場していると思いますが、例えば、用心棒日月抄(藤沢周平著、新潮社)の中の「吉良邸の前日」の章では、主人公の青江又八郎と相棒の細谷源太夫が四十七士の討入りに備えて吉良邸で用心棒を勤めることになります。


[1]元禄江戸図、元禄六年(1693年)/古地図史料出版(株)復刻地図には、鍛冶橋御門の脇に「吉良上ツケ」と書かれています。


吉良邸跡(本所松坂町公園) 東京都墨田区両国3-13-9

JR両国駅から約500m 徒歩約7分


Dsc_9104


湯島天神

2011-11-05 | まち歩き

全国に存在する〇〇天神、或いは〇〇天満宮という神社は学問の神様として知られる菅原道真公をお祀りしている神社で、湯島天神もその一つです。現在の正式名称は湯島天満宮ですが、通称の湯島天神は広く使われており、江戸時代の古地図にも「ユシマ天神」と書かれているものが多いようです。

社殿は湯島の台地の上に在り、境内の東側には男坂という急な石段と女坂という緩やかな石段が在ります。高台の標高は大したことはありませんが、高い建物が無かった江戸時代には、ここからの眺めはとても良かったようで、歌川広重の江戸名所百景「湯しま天神坂上の眺望」には、女坂のてっぺんから見下ろす不忍池が描かれています。


湯島天神は、剣客商売(六)「金貸し幸右衛門」(池波正太郎著、新潮社)の中で、幸右衛門の住居が湯島天神の近くに在るという設定で登場しています。続く「いのちの畳針」の中では男坂も登場しています。「いのちの畳針」以降、幸右衛門の住居には秋山小兵衛の弟子の植村友之助が代わりに住むことになるため、湯島天神も度々登場しています。


湯島天神 東京都文京区湯島3-30-1

東京メトロ千代田線 湯島駅から約250m 徒歩約3分


Dsc_8825



Dsc_8839

境内の東側に在る男坂