溝口主膳正直溥(なおひろ)は、越後新発田藩の第十一代藩主(在位天保九年(1838年)~慶応三年(1867))で、その下屋敷は、深川五間堀の東側に在りました。現在の位置関係で言うと、都営新宿線の森下駅と菊川駅の中間辺りで、跡地には中和小学校や中和公園が存在します。尾張屋版切絵図「本所深川絵図(文久二年/1862年)」に描かれている溝口主膳正下屋敷は、直溥の時代の下屋敷です。
溝口家の中には、他にも主膳正を名乗った藩主がいます。一人は第二代藩主の宣勝(のぶかつ)(在位慶長十五年(1610年)~寛永五年(1628年)で、もう一人は直養(なおやす)(在位宝暦十一年(1761年)~天明六年(1786))です。明和江戸図(明和八年/1771年)には、五間堀の東側の同じ位置に「溝口主セン」と記されていますが、これは直養の時代の下屋敷です。
藤沢周平著「穴熊」(雪明かりに収録、講談社)は、行方知れずとなった想い人を探す博奕打ちの浅次郎と、訳ありで身を売る武家の女の物語。浅次郎は女に想い人の面影を見つけ、女が知らぬところで、女を救おうとします。小説の舞台は深川で、浅次郎が五間堀に架かる伊予橋を東に渡ると、現在の新大橋通り沿いに溝口主膳正下屋敷の長い土塀が見えてくるという場面が登場します。
この溝口主膳正下屋敷ですが、いずれの藩主の時代の下屋敷だったかというと、小説に書かれた本所や深川の町並みは、近江屋版切絵図「南本所堅川辺之地図(嘉永四年/1851年)」「北本所中之郷石原周辺之絵図(嘉永四年/1851年)」「深川の内(嘉永三年/1850年)」にぴったりと一致します。ということは、直溥の時代の下屋敷だったと言えます。
関連ウェブサイト: NPO法人すみだ学習ガーデンウェブサイト(すみだの大名屋敷)
溝口主膳正下屋敷跡(中和公園) 東京都墨田区菊川1-18-25
都営新宿線菊川駅から約400m 徒歩約5分
都営新宿線・大江戸線森下駅から約650m 徒歩約9分
中和公園の桜と中和小学校
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