江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

鼠坂

2014-02-22 | まち歩き

外務省飯倉公館(港区麻布台1丁目)を背にして、南に下る坂を「鼬坂(いたちざか)」といいます。鼬坂を下った先の突き当たりを右に上る坂が「植木坂」で、左に入って少し進んだ先を下る坂が「鼠坂」です。鼠坂は自動車が入ることの出来ない幅の狭い坂道で、その名は、江戸の頃に細長い狭い坂を「鼠坂」と呼んだことに因みます。鼠が出没したわけではなく、鼠しか通れないような細い道だったという地形に由来する名と言えるでしょう。


鼠坂を下った先に在るのが狸穴(まみあな)公園。近くには狸穴坂という坂も在ります。狸穴の名は、狸が棲んでいたからという説の他に、「狸(まみ)=真間(まま)=崖」という考え方も出来るそうです。また、麻布の「麻」も崖を意味する地形用語であり、つまりは「鼠」も「狸」も「麻」も、崖や坂が多い麻布周辺の地形に因む地名だと言えるものです。[1]


鬼平犯科帳(三)「麻布ねずみ坂」(池波正太郎著、文藝春秋)に登場する、指圧の名人・中村宗仙の家は、鼠坂の近くに在ります。中村宗仙は長谷川平蔵の役宅にも出入りする人物ですが、ある日、火付盗賊改方の同心・山田市太郎は、偶然にも宗仙宅から出てきた浪人と、それを見られまいと警戒する宗仙の姿を目にし、何かあると感付きます。
鼠坂は、他に鬼平犯科帳(二十一)「麻布一本松」、同(二十二)「特別長編迷路」にも登場しています。


ところで、この鬼平犯科帳に登場する「鼠坂」ですが、古地図には、現在の鼬坂の位置に「鼡坂」[2]や「鼡サカ[3]と記されています。実は「鼬坂」「植木坂」「鼠坂」の三つの坂をどう呼ぶかについては諸説あり、現在は港区が設置した標識が一つの拠り所にはなっていますが、例えば鼠坂と鼬坂は連続する一つの坂で、鼠坂も鼬坂も同じ坂を指すというような見方も出来るかと思います。池波先生が「鼠坂」と記した坂は、情景からはむしろ鼠坂の頂上部ともいえる、現在の鼬坂の方が近いようにも思われます。


[1] 芳賀ひらく、江戸の崖 東京の崖、講談社

[2] 麻布広尾辺絵図 嘉永二年(1849年)

[3] 東都麻布之絵図 嘉永四年(1851年)


鼠坂 東京都港区麻布狸穴町61

東京メトロ南北線・都営大江戸線麻布十番駅から約450m 徒歩約6分


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仙台坂

2014-02-08 | まち歩き

南麻布に在る韓国大使館の前の坂が仙台坂です。仙台坂の南側一帯に仙台藩伊達家の下屋敷が在ったことから名付けられました。古地図[1]を開き、仙台坂の南側に目をやると、「松平陸奥守」と記されています。ここが仙台藩伊達家の下屋敷です。伊達家の屋敷なのに、なぜ「松平陸奥守」と記されているのかを疑問に思う人もいるかもしれませんが、それは徳川幕府が伊達家に与えた「松平」の名字と陸奥国を治めていた伊達家の役職「陸奥守」が記されているからです。


仙台坂を上りきり、右に折れて道なりに行った先が暗闇坂です。鬼平犯科帳(二十二)(文藝春秋、池波正太郎著)の中では、平蔵を陥れようとする浪人・安藤玄丹が、この道筋をたどり、他の浪人がたむろする暗闇坂下の道場に向かう場面が登場しています。


東京で「仙台」の名の付いた地名は、仙台坂以外には京急本線の青物横丁駅と鮫洲駅の中間付近にもう一つの「仙台坂」が在るほか、深川と御茶ノ水にそれぞれ「仙台堀」が在ります。


仙台坂が登場するその他の作品

  • 百田直樹著、影法師、講談社

[1]麻布広尾辺絵図 嘉永二年(1849年)


仙台坂(麻布山入口交差点) 東京都港区麻布十番3-9-5

東京メトロ南北線麻布十番駅から約400m 徒歩約5分


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