現地に赴いて感じたことは、月並みながら津波の破壊力と復興に取りかかる迄の道のりの遠さでした。瓦礫は地上にも海底にも残されていますが、行方不明者の存在や被災者の想い出が埋もれている可能性があります。瓦礫の処理をしている警察の方が一つずつ手作業で、後片付けをしている姿を見かけました。
また、犠牲になった方の中で居住地やたまたま居た場所についての話を聞くと、これまでの津波の届く範囲の想像を超えた威力で内陸部の方も却って被災されたとのことでした。
仙台空港では折れ曲がった小型飛行機が転がっていたり、南三陸町では生死を分けた志津川中学校を下から臨んだり、海側を見たり、避難所ではなくなった志津川小学校に仮設住宅を見に行った後に山を下りながらここまでは波が来たのかと確認出来たり、遠くに見える小島が水没しかけたと聞いて驚いたり、いろいろありました。
この場所(防災庁舎付近)からは、被災した病院がよく見えました。二枚写真を掲載しますが、手前に車がある写真と角度を変えて撮った写真には二階に船が漂着しています。ちなみに、病院の向こう側が海なので数度に渡って襲ってきた津波が船を運んできたことがうかがわれます。
この、防災庁舎は命がけで津波の警報を発し、命を落とした市役所の女性職員が被災した場所です。
この視察を単なる見聞に終わらせずより良い復興(再生)支援策や、新たなる災害への対策づくりにいかさなくてはならないと思いました。
最新の画像[もっと見る]
- 3月28日 都議会 『定例会』閉会 10年前
- 3月27日 『新宿牡蠣フェスタ』 10年前
- 3月24日 『祝賀会』と『お別れ会』 10年前
- 3月24日 『祝賀会』と『お別れ会』 10年前
- 3月19日 東戸山幼稚園『修了式』 10年前
- 3月19日 東戸山幼稚園『修了式』 10年前
- 3月11日 東日本大震災から三年 10年前
- 3月10日 お伊勢詣り 10年前
- 3月10日 お伊勢詣り 10年前
- 3月10日 お伊勢詣り 10年前