さて、北野から今出川通を東に進み、堀川通に出たところで寺之内通まで北上すると
2月に訪れた宝鏡寺門跡(百々御所)にまで行きますが、その宝鏡寺に隣接して
慈受院門跡(薄雲御所)があります。
慈受院寺史
現在の慈受院は元々、慈受院と総持院という別々の門跡寺院が明治になって
合併したお寺であり、両寺の開基は足利四代将軍義持の正室慈受院竹庭瑞賢尼(藤原栄子)
である。義持の菩提を弔うために応永34年(1427)に創建された。
慈受院・総持院はともに内親王・宮家子女・将軍家子女・近衛家子女などが代々の
住持を務めていたが、慈受院は江戸期に入り曇華院宮の管掌となる。
総持院は近衛家と花山家から交互して子女が住持となり、宝暦年間(18世紀中期)には
比丘尼御所(尼門跡)に列せられて薄雲御所号を勅許される。
明治6年に慈受院と総持院は合併して、大正8年からは寺名を慈受院とした。
江戸期の石高は総持院が74石、慈受院は98石。臨済宗 本尊釈迦牟尼如来。
慈受院は堀川通りに面してあり、境内の前が月極駐車場となっています。
拝観はできないお寺ですが、毘沙門堂・稲荷大明神・大日如来祠にはお参りできます。
慈受院は通常拝観できませんが、数年前に公開されたことがありテレビも入ったみたいです。
また、慈受院のホームページも公開されています。
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慈受院門跡(薄雲御所)があります。
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合併したお寺であり、両寺の開基は足利四代将軍義持の正室慈受院竹庭瑞賢尼(藤原栄子)
である。義持の菩提を弔うために応永34年(1427)に創建された。
慈受院・総持院はともに内親王・宮家子女・将軍家子女・近衛家子女などが代々の
住持を務めていたが、慈受院は江戸期に入り曇華院宮の管掌となる。
総持院は近衛家と花山家から交互して子女が住持となり、宝暦年間(18世紀中期)には
比丘尼御所(尼門跡)に列せられて薄雲御所号を勅許される。
明治6年に慈受院と総持院は合併して、大正8年からは寺名を慈受院とした。
江戸期の石高は総持院が74石、慈受院は98石。臨済宗 本尊釈迦牟尼如来。
慈受院は堀川通りに面してあり、境内の前が月極駐車場となっています。
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