旅行、飲食、草花、イベント、乗り物、出来事など。

日々の生活の中から様々な物を写真付きで。

★セブ島の旅・其の8★ボホール島の花・ムッサエンダ

2012年12月31日 | ★東京スカイツリー★
昨日の土産物屋の庭に咲いていたムッサエンダと、其の下に飼われていた兎も序に。

ムッサエンダ・フィリピカはアカネ科コンロンカ属の常緑小低木である。
原産地はフィリピンやニューギニアである。
樹高は2~3メートルである。
葉は楕円形で、向かい合って生える(対生)。
花弁状の白い大きな萼片に特徴がある。
筒状をした小さな黄色い花が咲く。萼片が白い品種もあります。

一回りちいさな「コンロンカ」は別名「ハンカチの花」と呼ばれている。
ガクをヒラヒラとさせることから「ハンカチの木」とも呼ばれていますが実は、熱帯植物の低木です。成熟した木の下に立ち、見上げると白いハンカチがヒラヒラさせ木漏れ日との光で交差して、なんとも美しい情景を作り出してくらます。花はとても小さく目立ちませんが、星型の可愛らしい花を咲かせます

ハンカチノキはミズキ科(分類体系よって異なる。下記参照)の落葉高木。中国の四川省・雲南省付近原産。属名のダビディアで呼ばれることも多い。花についた白い大きな2枚の苞葉が垂れ下がりよく目立つため、日本では「ハンカチの木」や「幽霊の木」などと呼ばれる。英語では"Dove tree"(鳩の木)などという。

花はハナミズキのような頭状花序になり、2枚の苞葉(ハナミズキの場合は4枚)に囲まれる。果実は堅果で複合果となる。フランス出身の神父・生物学者であるアルマン・ダヴィッド (Armand David) が初めて報告したため、彼を記念してDavidiaと命名された。現在では世界的に栽培されている。

東京都文京区の礫川公園にもハンカチノキがある。これは小石川植物園の技官山中寅文から、作家幸田文に贈られた木を、彼女の死後に娘の青木玉が公園に寄贈したものの由。

















★セブ島の旅・其の8★土産選び

2012年12月30日 | ★旅行★外国
ボホール島の土産選び

土産(みやげ、英: souvenir (フランス語からの借入))は、知人や縁者に配る目的で旅行先などで買い求めるその土地に因む品物(進物)のこと。または知人縁者の家宅など訪問先を訪問する際に感謝を込めて持参する進物のこと。後者の場合は手土産という言い方もする。進物であることから丁寧語の接頭辞をつけ、御土産(おみやげ)と称するのが一般的である。

概要

語源は、宮笥(みやげ)と呼ばれた神社などの配り物と言う説が有力である。土産は一般的に手渡すものであり、宅配便などで知人などに送付することは稀である。

旅行先の土産

いわゆる観光地や、鉄道駅、空港など交通機関のターミナル施設では、土産の専門店が軒を連ねる事が多い。また、ロンドンが顕著であるが地方の観光地に於いて、土産品をおく市が立つことがある。

パッケージツアーなどでは、行程中に土産物店への立ち寄りが大概含まれている(特に、いわゆる格安ツアーで顕著である)。

土産として、土産菓子、工芸品を多く取り揃えられている。漢字で「土産」と表記するように、通常はその土地の名産物、特産物が多い。






















手土産

訪問先に持参する進物では、訪問者が住む土地に因む物品の他、一般的な雑貨、食料品など多岐にわたる。訪問者が生産・獲得した農海産物を持っていく場合もある。

比喩的用法

進物全般について土産と称することから、以下の事象についてもこの呼称が用いられる。
行為の本来の目的ではない物事を受け取ること。受け取る側が望んでいない物事に対して言う場合が多い。
いわゆるディベート、賄賂のこと。

土産菓子とは、土産として売り出すことを目的として作られる菓子のことである。また地方でしか作られていないため、土産として購入される菓子のことも指す。

以下、この項目では「銘菓・名菓」・「郷土菓子」・「地域限定菓子」に分類できるものも、全て「土産菓子」として扱う。

土産菓子とその歴史

元は神仏への供え物(神饌)として作られた菓子が、そのまま境内において売られ始め、次第に供え物と関係のない菓子までも売られるようになり、参拝者が土産として購入し持ち帰ったことが起源と言われている。

茶道が安土桃山時代において発展すると「お茶請け」としての菓子が発展し始め、また同じ時期に南蛮菓子が渡来し、これらが文化の中心地であった京都近辺に大きな影響をもたらした。また南蛮菓子はキリスト教の布教と共に九州北部近辺にも影響を与えている。

江戸時代に入ると街道での往来が増えていき、途中の茶店において売られていた菓子などが、様々な旅人からの話を元に独自の発展をしていった。また旅人が口伝えなどで、旅先において売られていた菓子の存在を広めていったことが、地方において菓子が発展する契機として最も大きい。この頃には京都や江戸などで茶道を学んだ地方の藩主が、地元の城下町においてお茶請けとしての菓子製造を奨励した例もあり、松江藩や加賀藩などが有名である。

江戸時代中期になると和三盆などの精糖技術が確立したことにより、各地に白砂糖が伝わったことが地方の菓子製法に大きな影響をもたらした。そして明治維新以降は食材の多様化および洋菓子の一般化により、多くの土産菓子はこの頃、現在に通ずる製法を確立させている。

土産菓子は保存の関係で干菓子を除いては「地産地消」されるのが主だったが、現在は交通および流通の高速化や保存技術の発達により、全国的に販売消費されるようになっている。

種類

銘菓・名菓

銘菓とは、菓子を献上した相手より名前を贈呈されたものや、過去の歴史や背景から菓子に名をつけたものであり、名菓とは一般的に優れたものと認められた菓子で、単に「名物の菓子」という言葉を縮めたものという説もあるが、銘菓と同じ意味合いで使われることが多い。

どちらも主に和菓子店で作られた菓子を指し、店みずから菓子に名をつける事のほうが多いが、伝統のある店では藩主や茶道の家元などに菓子を献上し、その褒美として菓子の「銘」を与えられたというものも多々見受けられる。

郷土菓子

言葉としては銘菓と同じ意味合いで使われているが、作られている地方において由来や出処などがはっきりしていない菓子については、郷土菓子という言葉の方を用いる場合が多い。

由来がわからないものは大概、地元で伝統的につくられている事になっている。なお甘味菓子については、江戸時代までの食生活では食に嗜好を求める余裕のある生活は考えづらく、砂糖類の入手は難しかったようではあるが、水飴などは入手が可能であり、サツマイモや果物などを利用して甘味料を使わずに作れる菓子も存在していることから、伝統のある甘味菓子の存在は食文化的に貴重と言える。

地域限定菓子

菓子メーカーが全国的に発売している商品を、味付けや形などを変えて、一つの地域においてのみ売り出している菓子を指す。

元は新製品の試験販売という形で、地域を限定して発売していた商品を、旅行などで訪れた人々が物珍しさから土産がわりに購入して持ち帰ることが多かったため、現在では土産菓子としての性質を強めるために、売り出される地元に由来のある味付けなどを施し、地域限定であることを強調して販売されるようになった。1990年に北海道・関西限定で発売された江崎グリコの「つぶつぶいちごポッキー」が原点とされている。

なお北海道限定品のように元から地元の気候風土のみを考慮して販売しているものや、沖縄県限定品など流通の関係から地元のみで生産が行われ販売されているものもある。

土産菓子

商品名や内容物に地元由来のものが含まれているものの、特に歴史的な背景がない菓子であり、土産物店において売られている菓子に多く、逆にそれ以外の店では見られないものが多い。

海外の事情

海外においても日本の土産菓子に類似した土産菓子が販売されている例がある。典型的なものとして以下の例が挙げられる。
マカダミアナッツチョコレート ハワイなど
鳳梨酥(パイナップルケーキ) 台湾

このほか、地元の名勝や動物などをかたどったチョコレートを販売している例は数多い(中国のパンダ、シンガポールのマーライオンなど)。これらも土産菓子の一種と言えよう。

★セブ島の旅・其の8★ボホール島最古の教会・其の3

2012年12月29日 | ★旅行★外国
ローマ教皇

ベネディクト16世
カトリック教会が他のキリスト教諸教派と比べて特徴的な点として、まずあげられるのはローマ教皇と信徒の位置付けである。ローマ教皇とは、カトリック教会の総代表者で、全カトリック教会の裁治権と統治権を持つものである(日本語では「法王」と呼ばれることも多いが、カトリック教会での正式名称は「教皇」であり、「法王」という言い方は日本国にとってのバチカン市国の首長を表す外交用語でしかない)。

ローマ教皇は使徒ペトロによる使徒座の後継者であり、現在はバチカンに居住する。なお、「使徒座」という言葉はバチカン市国の行政組織を指す場合もあり、その用法においてはローマ教皇庁とも呼ばれる。バチカン市国は1929年に成立した独立国であるが、カトリック教会が政治的に特定の国に組み入れられることなく、独立していることを示す意味がある。

『カトリック教会のカテキズム』第882項は『教会憲章(Lumen Gentium)』を引用して次のように述べている。「『教皇が、ローマの司教にしてペトロの後継者である』ことが、変わらず目にみることのできる信仰の源泉にして基礎である。」

教皇首位権はペトロに由来する立場と権能によって行使される教皇不可謬性を含む。これは「信仰と道徳に関して、教皇が教会の頭として使徒座(Ex Cathedra)から荘厳に宣言する」場合に関して教皇は誤り得ないという教義である。これはあくまで非常に限定された場合であり、通常の理解ではその首位権というのは、全司教の中におけるローマ司教の優位権のことを指している。

教皇選挙に関する最新の規定は1996年の使徒憲章「ウニベルシ・ドミニ・グレギス(Universi Dominici Gregis)」に示されている。そこで定められているのは、教皇選挙においては選挙者たる枢機卿団は外界との連絡から隔離され、システィーナ礼拝堂において議論と投票を繰り返すということである。この選挙をコンクラーヴェという。新教皇の決定にいたるためには投票者の三分の二以上の票を集める必要がある。また慣例によって、教皇選挙に参加できるのは80歳未満の枢機卿に限られる。

教会法の規定によって、教皇は自主的に退位することが可能である。歴史的にも自主的に教皇が退位したことは何度かあった。しかし、最近のものでも1415年に大シスマの終息のために退位したグレゴリウス12世のケースであり、それ以降は現代に至るまで見られない。他に退位した有名な教皇として1294年に退位したケレスティヌス5世のケースがある。彼はダンテの『神曲』の中で教皇位退位の咎により地獄で責め苦を受けるさまを描かれているが、これはあくまでダンテの解釈であり、カトリック教会からは1313年に列聖されている。

枢機卿団は、教皇庁で働く高位聖職者や世界の重要な司教区の司教たちの中から教皇によって任命される。教皇選挙に参加できるのは80歳未満の枢機卿であるという慣例を逆手にとって、80歳以上の聖職者で教会に大きな貢献をしたものが名誉職的に枢機卿にあげられることもよくおこなわれる。そのような枢機卿の中には、神学者やヴェトナムなどで政府によって長期にわたって投獄されていたような司教も含まれる。

枢機卿制は1059年に教皇選挙権がローマとその郊外に在住する聖職者に限定されたことに由来する。これは枢機卿団の本来の目的が教皇の顧問団であったことを示している。枢機卿をあらわす英語のcardinalという言葉はラテン語のカルド(蝶番)に由来している。やがて、ローマ以外の聖職者でも教皇に任命されることで枢機卿団に加わり、ローマで働くという制度が確立してゆく。






















司教

司教は使徒たちの後継者であり、教え、聖化し、統治する務めを与えられた者である。ローマ教皇もまた、司教の一人であるが、使徒ペトロの権能を引き継いでいるとみなされ、司教団の中における特別な地位を認められている。なお、東方教会(東方典礼カトリック教会)の一部では「総大司教」がいて、教会の首長となっている。

司教の本来の職務は、教区の責任者として教区内の教会を統治することで、キリストの代理者として、司祭・助祭の協力を得て司牧の務めを果たすものとされている。通常の司教(教区司教)のほかに、(大司教など職務の多い)司教を補佐するために「協働司教」や「補佐司教」が任命されることがある。

司教座(教区司教)が何らかの事情で空位となった場合、協働司教は直ちに教区司教に着任して職務を引き継ぐことになるが、補佐司教はそのような継承権を持たない。また、特定の教区を管轄していなくても、教皇庁における職務に就くために司教に任命されるケースもある。

司教は、按手と祈りによって司祭・助祭に叙階の秘跡を授ける権能を与えられるが、司教もまた叙階の秘跡によってその地位を受けるものである。(ただし司教叙階の場合は、教皇から委任された司教だけが司教叙階を執行することができ、少なくとも2名の共同聖別司教が必要である、と教会法で規定されている。)叙階の秘跡の効果は生涯消えることはないため、高齢等によって司教の実質的な職務を引退した後や、司教の職務を停止された場合でも司教の権能・称号は終生保たれる。

なお、司教の中には「大司教」や「総大司教」といった地位に上げられるものもいるが、これらは叙階の秘跡による位階ではなく、教区の規模に応じて定められた教会行政上の職掌を表すものである(例えば、「司祭」が「司教」に叙階されることはあっても、「司教」が「大司教」に叙階されることはない)。

地域の司教たちは定期的に会合を開いて、さまざまな問題について討議する。これを司教会議(シノドス)という。シノドスでは典礼などの問題に関しては決議することが出来るが、特定の司教の処遇に関してなどの決議のためには、有資格司教の三分の二以上の同意と教皇庁の裁可が必要とされている。

司祭と助祭

司教は、司祭と助祭によってその職務を補助されている。カトリック教会の聖職者(司教・司祭・助祭)は独身の男性に限られ、叙階の秘跡を受けることで選ばれる。司祭には、教区に属する教区司祭(かつて「在俗司祭」とも呼ばれた)と、修道会に属する修道司祭とがあり、どちらにも属さないフリーの司祭というものは存在しない。

歴史的には使徒たちの多くや初期の聖職者たちは既婚者であったが、西方教会においては古代教会から司祭の独身制は推奨されており、修道会出身の教皇グレゴリウス7世によるグレゴリウス改革以降、上級聖職者(司教、司祭、助祭)の独身制が徹底されてきた。ただ例外として、東方典礼を行う教会(東方典礼カトリック教会)やプロテスタントなどからの改宗者の場合は既婚者が例外的に認められる事がある。また、第2バチカン公会議以降、終身助祭(司祭となる事を前提としない助祭)の制度が再興され、この場合のみ既婚男性の叙階が認められている。しかし、どちらにしても叙階後の結婚や既婚者の妻が亡くなった場合の再婚は認められていない。

また、教皇パウロ6世の時代まで、守門、読師、祓魔師、侍祭という「下級聖職(下級品級)」および副助祭という聖職位階が存在したが、1972年8月15日に発布された自発教令「ミニステリア・クエダム」によって1973年に廃止され、現代では聖体奉仕者と祭壇奉仕者の二つの「奉仕職」に改められて、かつてのような聖職位階として扱われることはなくなった。

今も日本の歴史書や歴史教科書にそのように書かれることがあるが、かつてのカトリック教会においては教皇を頂点に、司教、司祭、信徒がいるというピラミッド型のヒエラルキー構造が強調される傾向があった。しかしこれは第2バチカン公会議以降に見直され、現代では従来の聖職者至上主義の修正が図られていて、「神の民の教会論」により、すべての信徒がキリストの祭司職にあずかっていて教会の宣教活動、典礼活動、司牧活動を遂行する者であるとしている。この信徒の使命は「信徒使徒職」と呼ばれている。出典・ウィキペディアフリー百科事典。

★セブ島の旅・其の8★ボホール島最古の教会・其の2

2012年12月28日 | ★旅行★外国
ボホール島最古の教会・其の2

キリスト教における教会

キリスト教において、信者の集まりである教会は、信仰上深い意味がある。

他の宗教における教会

天理教や金光教をはじめとする新宗教だけでなく、神道や仏教などの伝統宗教においても、信者が集まる集団・組織または建物を「教会」と呼ぶ。意義についてはそれぞれの項目を参照。伝統宗教においても神道の神宮教会や出雲大社教会、仏教高野山真言宗の高野山大師教会や成田山新勝寺の成田山教会、修験道の神変教会など教会を名乗る団体・施設は数多い。近代に成立した講社的組織が教会と称する例も多い。場所によっては、キリスト教以外の教会が地名などに採用されている場合もある(例えば、徳島県鳴門市にある教会前駅の名称は、駅前に天理教の教会があることに由来している)。






















カトリック教会(ローマ・カトリック教会)はローマ教皇を中心とし、全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。

「カトリック」の語源はギリシア語の「カトリケー」やラテン語では「カトリクス」等である。日本ではかつて「天主公教会」とも称された。

カトリック教会自身による定義は「教会憲章(Lumen Gentium)」にみられる「ペトロの後継者(ローマ教皇)と使徒の後継者たち(司教)によって治められる唯一、聖、カトリック、使徒的な教会」という表現にもっともよく表されている。

教説

カトリック教会の教説(教え)は「聖書と聖伝」という言葉であらわされるように、旧約聖書、新約聖書およびイエス・キリストと使徒の教えに由来し、教父たちによって研鑽され、多くの議論を経て公会議などによって確立されてきたものである。特に宗教改革以降、トリエント公会議においてカトリック教会の教義が整理され、再確認された。さらに現代では第2バチカン公会議でも現代に生きる教会として教義の意味を見直した。

秘跡

カトリック教会は伝統的に七つの秘跡(サクラメント)を認めてきた。秘跡とは、神の恵みを実際にもたらす感覚的しるしで、イエス・キリストによって制定され、教会にゆだねられたものである。
洗礼
堅信
聖体
ゆるし
病者の塗油
叙階
結婚

教典

カトリック教会においては、「聖書と聖伝」という言葉にあらわされるように聖書と聖伝承の両方に大きな権威を与えてきた。特にヒエロニムス以来何度となく改訂されてきたヴルガータとよばれる後期ラテン語訳聖書は現代に至るまで公式なラテン語訳聖書という扱いを受けている。カトリック教会で聖書正典に含まれる諸書を最終的に決定した公会議はトリエント公会議である。

カトリック教会が正典とする旧約聖書には、七十人訳聖書には含まれていたがヘブライ語のマソラ本文に含まれていない文書がある。それらは第二正典という語で指される場合もあるが、トリエント公会議以降、正典に含めている。なお、『新共同訳聖書』では、この第二正典の部分を正典に含めないプロテスタントなど他教派へ配慮して「旧約聖書続編」という名称になっている。

日本語訳聖書においても、かつてカトリック教会とプロテスタント諸派では異なる翻訳による聖書を用いてきた。しかし、第2バチカン公会議以降の世界でのカトリックとプロテスタントによる聖書の共同翻訳という流れを受けて、日本でも両者による共同翻訳作業が始められた。その成果が初めて形になったのが『共同訳聖書』であり、『共同訳』の表記などの問題点を改善したものが、現在日本のカトリック教会でもっともよく用いられている『新共同訳聖書』である。

現代のミサの中では、平日には福音朗読と福音以外の聖書箇所の朗読、主日(日曜日)と教会祝日には、福音朗読と福音以外の聖書朗読が二つのあわせて三つの朗読がおこなわれる。

典礼

カトリック教会の信仰生活の中心にあるのは聖体祭儀のミサである。ミサの中で信者は聖体の秘跡を受ける(聖体拝領)。主日(日曜日)と守るべき祝日にミサにあずかることは、信徒としてのつとめであるとされている。

ミサ以外の重要な典礼行為として「聖務日課」があげられる。これは本来「時課の祈り」という意味で、一日の各時間を祈りをささげることで聖化することが目的である。日課の中で特に重要なのは、ラウズとヴェスパと呼ばれる朝の祈りと晩の祈りである。これらに加えていくつかの祈りが一日の中でおこなわれる(かつて九時課、六時課、三時課とよばれた)。それ以外に読書課という祈りもあり、そこでは祈りと共に、聖書朗読と聖人伝や古典的な著作が読まれる。聖務日課の中心となるのは旧約聖書の詩篇である。

教義

カトリック教会では21の公会議に特別な権威を付与している。21の公会議とは年代順に、第1ニカイア公会議、第1コンスタンティノポリス公会議、エフェソ公会議、カルケドン公会議、第2コンスタンティノポリス公会議、第3コンスタンティノポリス公会議、第2ニカイア公会議、第4コンスタンティノポリス公会議、第1ラテラン公会議、第2ラテラン公会議、第3ラテラン公会議、第4ラテラン公会議、第1リヨン公会議、第2リヨン公会議、ヴィエンヌ公会議、コンスタンツ公会議、フィレンツェ公会議、第5ラテラン公会議、トリエント公会議、第1バチカン公会議、そして第2バチカン公会議である。

公会議の位置付けはキリスト教各教派によって異なっており、東方正教会(ギリシャ正教)では最初の7つの公会議のみを認めており、非カルケドン派(東方諸教会=いわゆる単性論教会)では最初の3つのみを認めている。さらにネストリウス派の諸教会(アッシリア東方教会など)は最初の2つしか認めていない。

1054年の正教会との分裂よりもはるかに古いエフェソ公会議やカルケドン公会議における分裂であっても、実際に分裂の直接の原因となったのは、本質的なことではなく些細な教義論争であるとカトリック教会は捉えている。それをよく示すのは、1994年11月に発布された『キリスト理解におけるカトリック教会とアッシリア東方教会の共同宣言』である。これはカトリック教会の教皇ヨハネ・パウロ2世とアッシリア東方教会の大主教マル・ディンハ4世の間で調印された。アッシリア東方教会とカトリック教会の分裂は431年のエフェソ公会議で争われた「テオトコス論争」という聖母マリアの称号をめぐる論争が原因となっている。これは「神の母」と「キリストの母」という称号のどちらが正しいかということが論議となったものである。『共同宣言』では、「どちらの呼び方も同じ信仰を表明したものであり、両教会は互いの典礼と信心を尊重する」と述べている。

さらに難しいのは正教会との合同問題である。カトリック教会側では、カトリック教会と正教会が合同するためには、教義の問題よりも互いの伝統に関する問題が大きな障害となっていると考えている。たとえば、ローマ教皇の首位権をどう評価するかという問題や、互いの典礼や信心における差異をどう尊重しあうかという問題になっているとする。一方、正教会の側からは、対立はフィリオクェ問題という基本的教義の不一致にあり、首位権や不可謬権の問題もたんなる伝統の問題ではなく教義上の問題と捉えている(アメリカ正教会の研究版新約聖書では、一致の主な障害を、フィリオクエ問題と教皇不可謬権であると指摘している)。また東方側からは十字軍問題や東方布教などのカトリックからの姿勢に対する反発もある。

カトリック教会で用いられる教導権という言葉は、信徒を教え導く権威のことを示している。この権威は神学者のものではなく、司教たちのものである。カトリックの理解では、人々がある教えを自分勝手に理解するとかならず矛盾や対立が生じることになると考える。ユダヤ人の教育において、指導者がトーラーを声に出して読みながら、覚えさせるという伝統があるが、これはヘブライ語の文章は母音が表記されていないため、さまざまな読み方が可能であったためだが、そこにおいては口伝が文章を確定させる。これがカトリック教会が聖書と同様に聖伝(聖なる伝承)を尊重することのたとえとして用いられる。

カトリック教会とプロテスタントの諸教会との間での教義的な差異は、東方教会よりさらに大きい。プロテスタントはカトリック教会が使徒本来の教えをゆがめてきたと考えてきた。一方カトリック教会側は、2007年の「教会論のいくつかの側面に関する問いに対する回答」においてプロテスタントが教会であることを否定している。

他方、エキュメニズム(教会合同運動)の進展が皆無というわけではなく、たとえば日本聖書協会によって1987年に刊行された『新共同訳聖書』は、日本におけるカトリック関係者とプロテスタント諸派の関係者らの共同作業によって翻訳され編集されたものである(ただし新共同訳聖書に日本正教会は参加していない)。また日本におけるカトリック教会では、2000年2月15日から日本聖公会と同じ「主の祈り」の日本語訳が使用されている。

★セブ島の旅・其の7★ボホール島最古の教会

2012年12月27日 | ★旅行★外国
ボホール島最古の教会
1595年にキリスト教の布教に訪れたスペイン人によって建造された、フィリピンで2番目に古いバクラヨン教会を訪ねます。
古びた外観やステンドグラスが歴史の重みを漂わせます。
2階には博物館や高校があって、建物は今も現役です。

教会

1.宗教集団。教団。包括団体。法的には教部省が明治6年(1873年)に公布した「教会大意」(宗教組織の設立規則。廃止)により規定された呼称。「●●教会」として伝統宗教、新宗教に限らず団体名に用いられている。

2.宗教集団。(法人としての)神社・寺院に類する個々の単位団体。被包括団体。法的には昭和15年の「宗教団体法」(廃止)に規定された呼称(宗教団体法以前は「教会所」と呼称)。どの宗教に対しても用いられうる用語である。

3.教会 (2) が所有する宗教施設。宗教建築。


教会とは、共通の信仰によって形成される集団・団体や社会のことである。現在ではキリスト教のそれを意味することが多いが、どの宗教に対しても用いられている言葉である。なお、会衆派系のキリスト教団体においては会衆という呼び方をする場合がある。または宗教活動の拠点となる建物・施設がこの名で呼ばれることもあるが、聖堂や礼拝堂、あるいは神殿などと呼ぶほうが適切な場合も多い。






















★セブ島の旅・其の7★ボホール島でのイグアナ

2012年12月26日 | ★旅行★外国
ボホール島イグアナ科は、爬虫綱有鱗目に属する科。別名タテガミトカゲ科。模式属はグリーンイグアナ属。

分布

北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、西インド諸島、エクアドル(ガラパゴス諸島)、フィジー、マダガスカル

日本にはイグアナ科は本来分布していないが小笠原諸島にグリーンアノールが帰化している。

形態

最大では全長200cm近くにも達するが、全長数cmの種もいる等、全長には差がある。

収斂進化により同じような環境に生息し近縁であるアガマ科やカメレオン科の構成種に類似した形態を持つ種もいる。

生態

砂漠から熱帯雨林まで様々な環境に生息する。地上棲や樹上棲等様々な環境に適応し、最たるものではウミイグアナのように食料の乏しい海洋の島で潜水能力を身につけ海藻を食べるようになった種もいる。

食性も種により異なるが、大型種ではグリーンイグアナのように植物食の種が多い。

繁殖形態は卵生の種と卵胎生の種がいる。

分類

8亜科に分かれるがそれぞれを独立した科としたり、ヨウガントカゲ亜科をさらに複数の亜科に分ける説もある。

人間との関係

グリーンイグアナ、ツギオトゲオイグアナ等の大型種は食用とする地域もある。特にグリーンイグアナは食用に養殖されている。

ペットとして飼育されることもあり、日本にも輸入されている。グリーンアノールとブラウンアノールは外来生物法の特定外来生物に指定されている。近縁種としてアノールトカゲ属とNorops属が未判定外来生物に指定され、事実上輸入はなくなっている。




















★セブ島の旅・其の7★ボホール島での大蛇

2012年12月25日 | ★東京スカイツリー★
ニシキヘビ科は、爬虫綱有鱗目に属する科。ボア科の亜科とする説もある。模式属はニシキヘビ属。

分布

アフリカ大陸、オーストラリア大陸、ユーラシア大陸南部、インドネシア、フィリピン

形態

最大種はアミメニシキヘビで最大全長990cmと本科、ヘビ亜目のみならず現生する爬虫類最長種。最小種はアリヅカニシキヘビで最大でも全長70cm程。ニシキヘビ類は一般に、細長い頭に眼は小さく瞳は縦長、太く長い胴体、短い尾をもつ。総排出腔の両側には蹴爪状の後ろ足の痕跡(大腿骨であるという)があり、オスは交尾の時にこれでメスの背中を引っかき交尾行動を触発する。もちろんこれを喪失する種も存在し中には腰帯が完全に消失した種も存在する。

南北アメリカ大陸に分布するボア科とは極めて近縁だが、頭骨の構造の違いや、卵生である事などで区別される。

生態

森林やサバンナ、砂漠に生息する。多くの種は地表性だが、ミドリニシキヘビのように樹上性の種もいる。 ミドリニシキヘビは、食性や体色、樹上での獲物の待ち伏せ姿勢等、別科(別亜科)のエメラルドツリーボアと酷似した形態を持ち収斂進化の好例として紹介されることも多い。

行動は他のヘビ類に比べて鈍く、胴を伸ばしたまま匍匐前進する。しかし獲物に襲い掛かる時は瞬発的に素早く動くこともできる。胴体の筋肉が発達しており、締め付ける力がたいへん強い。捕食する際に、狙った獲物を両顎と牙による噛み付きで捕らえた後、素早く長い胴体を巻き付ける。それから、強い力で獲物を締め上げて窒息死させる。

大型種は人家付近にも出没して家畜を捕らえるが、ヒトを襲うことは稀で、こうした事件が起きたときには大きなニュースになる。

繁殖形態は卵生で、産卵数は小型種で5-15個、大型種で30-100個程度。母親が卵塊の周りにとぐろを巻くことで抱卵して保護し、50-80日程で孵化する。このとき母親は筋肉を痙攣させて体温を上げ、卵を保温して発生を促す。

人間との関係

大型種においては例こそ少ないものの、人間も捕食の対象になる。

皮は革製品に利用されることもあり、皮目的の乱獲や環境破壊により生息数は減少している。

ペットとして飼育されることもあり、日本にも輸入されている。日本ではアフリカニシキヘビ、アミメニシキヘビ、アメジストニシキヘビ、インドニシキヘビは特定動物に指定されていて飼育にあたり地方自治体の許可が必要になる。 都道府県によっては条例により飼育にあたっては地方自治体の許可が必要だったが動物愛護法の改正により、2007年現在特定動物として指定された種を除いては飼育することに対しての法規制はない。小型種はその限りではないが、大型種が多いことから大型のケージで飼育される。

























★セブ島の旅・其の7★ボホール島・チョコレートヒル・レストハウス

2012年12月24日 | ★旅行★外国
レストハウス(resthouse)
一般的名辞としては観光地などに設けられている休憩所。その観光地の土産物ないし記念品の販売や案内を行っていることが多い。

レストルーム (Restroom)
英語で「便所」を指す語句。ただし、日本で便所を指す英語には「トイレット」 (Toilet) を略した「トイレ」の方がよく用いられるため、単にレストルームと言えば下記の「休憩所」や「休憩室」を指すことが多い。
百貨店や遊園地などの大きな建物や施設に設置されている、便所を内包した「休憩所」や「休憩室」のこと。便所の他、一休み用のベンチ、清涼飲料水やタバコの自動販売機、公衆電話などが併設されていることが多い。

ベンチ (bench) とは、古代より伝統的には、背もたれの無い腰掛け(腰を下ろすための台)の一種である。しかし現代では、横に長い椅子の形状をした腰掛けをも指す。

ベンチ (bench) とは、古代より伝統的には、背もたれの無い腰掛け(腰を下ろすための台)の一種である。しかし現代では、横に長い椅子の形状をした腰掛けをも指す。

昔ながらの背もたれ無しの腰掛け型や、長い椅子型のほか、上から見ると円形・楕円形・三角形のものや、その他様々な形状のものがある。個々の区画に区切ることがないため、肘掛けがないか、あっても両端部にのみ設置しているものが多い。また、背の部分がない椅子であることも多い。材質としては、石造りのものは古代から世界各地に存在した。現代の都市社会では、座面には木製、合成樹脂製等が用いられ、脚部に金属が用いられるものが主流となっているが、コンクリートや石等で脚部が地面に固定されている据え付け型も少なくはない。

ベンチは、広場や公園、街路樹のある場所、待合室、駅のプラットホームなどといった、公共空間に設けられていることが多い。

定員については、一人掛けのものもあるが、基本的には2人以上座れるものが多い。しかし、鉄道車両のロングシートなど設計上の定員はあるものでも、設計が古い、荷物置き等に使われるなどで、実際にその定員を守ることが利用者のマナーに委ねられる事例がままある。

現代の都市社会において、公共施設に設置されるベンチにはリサイクル材が用いられることが多いと言えるかもしれない。少なくとも環境問題に比較的意識の高い現代のヨーロッパや日本などといった地域ではそうである。変わった事例としては、日本の京王電鉄が使用済みの定期乗車券やパスネットカードを回収して再利用した「エコベンチ」(日本初の試みとして2000年[平成12年]に着手)がある。

スポーツにおいては、競技場内で選手やコーチなどが試合中に着席するために使用されている椅子、すなわち「プレーヤーズ・ベンチ」を指すが、その椅子を含めて競技者が控えるエリアをベンチと呼ぶことが多い。そのため、選手として登録されることを「ベンチ入り」と表現する。このエリアを指す場合、サッカーでは「テクニカル・エリア」、野球では「ダッグアウト」と呼ぶこともある。また、特に野球においては監督・コーチ陣など作戦を担当する者たちをベンチと称する場合があり、メジャーリーグベースボール (MLB) ではコーチングスタッフのうち監督に次ぐ地位の役職を「ベンチコーチ」(日本のヘッドコーチに該当)と呼んでいる。

なお、自動車の一部にはベンチに類似したその名も「ベンチシート」があるが、背ずりがあり、また自動車用の椅子でもあることから、安全装置としてシートベルトが設置されているため、乗客の位置が決まっている。そのため、座面が平面になっているという程度の意味合いに近い。





























★セブ島の旅・其の7★ボホール島のチョコレート・ヒル

2012年12月23日 | ★旅行★外国
ボホール島のチョコレート・ヒル

ではなぜ、チョコレートの丘と呼ばれるのでしょうか。
普段は緑生い茂る丘ですが、5月頃の乾季には枯れて、チョコレートのような色合いになるため、これを見たアメリカ人が名づけたそうです。

ドラゴンボールに出てきそうな不思議な地形をしています、この子供が盛り上げたような1200個ものかわいい丘がなぜ出来たかというと、実はまだよくわかっていないそうです。

地球はまだまだ不思議がいっぱいなようで…。

当地にはさまざまな伝説があり、巨人が争ったあとだとか、女神の涙の痕だとか、ロマンあふれるものが多いようです。

海に沈んでいたときにできたという仮説などもあるようですが、ロマンはロマンのままでいいのかもしれませんね。

マニラからのフィリピン人観光客
ボホール島には、フィリピンの首都マニラからの観光客も絶えない。この時は大型バス二台が到着し、下車した彼らの行動は賑やかで他を圧倒した。

私達とガイドを取り囲んで記念写真を撮らせろと言う。
撮り終わると集団で次へと移動して歓声を上げている。






































★セブ島の旅・其の7★ボホール島 チョコレート・ヒル

2012年12月22日 | ★旅行★外国
自然の神秘。

セブ本島とレイテ島に挟まれるように浮かぶ島、ボホール島。 現在、フィリピン一押しの観光スポットが集まった島の1つです。 最大の見どころが、島のほぼ中央にあるチョコレート・ヒル。その妄想的な光景は、一見の価値があります。 『チョコレート・ヒル』はボホール島のほぼ中央部にあり、幼い子供がつくる砂山を思わせるなだらかな円錐型の丘が、周囲一帯に延々と連なっています。その数1001個。高さはどれも約30メートルとほぼ一定。4~6月の乾季は、丘の草が枯れるため丘一面茶色に変色するため、その名がつけられました。

この不思議な『チョコレート・ヒル』のにはさまざまな伝説があります。1つは昔、2人の巨人が石を投げあってしたケンカの場所の後片づけをしなかったため、という伝説。そして、もう1つは、この島に住む青年亜ロゴが、女性アロヤに恋をする。しかし、アロヤは、死期が迫っており、やがて死んでしまい、悲しみにくれるアロゴの目からこぼれ落ちた涙が『チョコレート・ヒル』になったという伝説。

『チョコレート・ヒル』は、ボホール島の中心地タグブランから東に海岸線の道を走り53Km。
『チョコレート・ヒル』の入り口で入場料を(25ペソ)を払い、2、3分進んだところに展望台、宿泊施設などがあります。展望台へは214段ある階段を のぼります。

写真のような数十メートルほどの円錐形の丘が、1268個もならぶ壮大な景観です。









































ではなぜ、チョコレートの丘と呼ばれるのでしょうか。
普段は緑生い茂る丘ですが、5月頃の乾季には枯れて、チョコレートのような色合いになるため、これを見たアメリカ人が名づけたそうです。

ドラゴンボールに出てきそうな不思議な地形をしています、この子供が盛り上げたような1200個ものかわいい丘がなぜ出来たかというと、実はまだよくわかっていないそうです。

地球はまだまだ不思議がいっぱいなようで…。

当地にはさまざまな伝説があり、巨人が争ったあとだとか、女神の涙の痕だとか、ロマンあふれるものが多いようです。

海に沈んでいたときにできたという仮説などもあるようですが、ロマンはロマンのままでいいのかもしれませんね。

★セブ島の旅・其の7★ボホール島のターシャと椰子

2012年12月21日 | ★東京スカイツリー★
ボホール島のターシャと椰子

生態

メガネザルに属する全種とも夜行性で、樹上で生活している。主に昆虫や小型の脊椎動物を捕食する。群れを作らず、単独で生活する。一年中繁殖可能であり、妊娠期間は約180日、1子を出産する。子供は体毛が生えそろった状態で生まれ、すぐに自力で枝にしがみつくことができる。

系統分類

分類学上の問題

メガネザルが霊長類の中で、どの系統に属するのか論争がなされてきた。原始的なサルの特徴を残しているため原猿亜目(キツネザルやロリスが属する)に分類する考えと、頭蓋骨(とうがいこつ)などの特徴から真猿亜目(オマキザルやニホンザル、類人猿が属する)に分類する考えの双方があったのである。両者の中間に位置するとして、独立した「メガネザル亜目(学名:subordo Tarsiiformes)」という分類が提案されることもあった。

近年の分子生物学的な系統解析では真猿類の姉妹群であることを支持する結果が得られており、真猿類とともに直鼻猿亜目に分類されるようになってきた。

ヤシ(椰子)は、単子葉植物ヤシ科に属する植物の総称である。熱帯地方に多く、独特の樹型で知られている。実用価値の高いものが多く含まれる。
ヤシは、単子葉植物ヤシ科に属する植物を広く指して言う呼称である。単子葉植物としては珍しく木本であり、幹は木化して太くなる。大きいものでは30mにも達するが、茎が立ち上がらないものや、草本並みの大きさのものもある。

葉は羽状複葉か掌状に裂け、基部は茎を抱き、鞘が茎を包んだり、繊維を茎にまといつかせる。茎に沿って多数の葉を並べるものもあるが、茎の先端部に輪生状に葉が集まるものが多く、ソテツ類に似た独特の樹型を見せる。

花は小型で、穂になって生じる。花序の基部には包がある。花びらは小型。

熱帯地方を中心に230属、約3500種がある。日本には7種ほどが自生、または自生状態で見られる。しかし、観葉植物として栽培される種が多く、見かける種数ははるかに多い。






















食用など
ココヤシの果実内部に溜まった水(液状胚乳)は飲用になる他、ナタ・デ・ココの原料となる。固形胚乳の層はココナッツとして食用にする。水分とともに砕いて乳液状にしたものはココナッツミルクと呼ばれる。
ナツメヤシの果実は生食される他、ドライフルーツやジュース、蒸留酒の原料としてさまざまに利用される。
アサイーの果実はジュースやスムージーとして利用される。
サラクの果実は生食される他、砂糖煮などに加工される。
サゴヤシは幹の内部にでんぷんを貯蔵しており、これが食料として利用される。
アブラヤシは、果実から取れる油を工業原料、食用のパーム油として用いる。
ロウヤシからは食品添加物のカルナウバワックスが採取される。
ココヤシやアサイーなどの成長点はハート・オブ・パームと呼ばれ、野菜としてサラダなどに利用される。
ナツメヤシ、ココヤシ、サゴヤシなどの樹液を煮詰めるとパームシュガーができる。また、樹液を醗酵させて酒を作ることもできる。
パルミラヤシ(ウチワヤシ、オウギヤシ)は「砂糖ヤシ」とも呼ばれ、果実の内側のゼリー状部分を生食やシロップ漬け、砂糖煮や缶詰などにする。また、花穂を切り落とした後に竹筒を挿し込み集めた花序液はそのままヤシジュースとして飲用する他、煮詰めて砂糖(パームシュガー)を生成する、花序液を醗酵させて作る椰子酒(パルミラヤシワイン)やビールや蒸留酒、酢などの原料に利用する。

★セブ島の旅・其の6★ターシャ(メガネザル)

2012年12月20日 | ★旅行★外国
メガネザル(眼鏡猿、英語名:Tarsier)は、サル目(霊長類)- 直鼻猿亜目- メガネザル科に分類される哺乳類の総称。全種がメガネザル属に属す。

インドネシア、ボルネオ島、フィリピン諸島など、東南アジアの島嶼部に生息する。メガネザルという名称の由来となった大きな眼に大きな耳が特徴である。

形態

体重100グラム程度の小型の霊長類である。体の割に大きな眼を持つ。眼球1つの重さは3グラムと、脳の重さとほぼ同じである。この眼は夜行性に適したもので、暗い所でもよく見ることができるが、逆に昼間はまぶしくて、あまり見えないらしい。

この眼球は眼窩の中でほとんど動かすことができないが、代わりに頸(くび)を自在に動かすことができ、頸を180度回転させて真後ろを見ることもできる。

これほどまでに大きな眼を持つのは、彼らがたいていの夜行性の哺乳類に存在するタペータム(網膜裏側の反射膜)を持たないからである。

これは、彼らがかつて一時期昼行性となったために不要となったタペータムを失い、その後再び夜行性へと戻った際にそれを再生できなかったためと思われる。そのため、眼を大きくすることで夜間の乏しい光を捉え、夜の闇に適応したと考えられている。

後肢が長く、跳躍が得意で、枝から枝に跳び移ることができる。跳躍の距離は体長の25倍である。手足の指は長く、それぞれの指先には鋭い爪と、肉趾(にくし)と呼ばれる円盤状のふくらみがあり、枝からぶら下がることに役立っている。尾は体より長く、ほとんど毛がない。





























★セブ島の旅・其の6★ロボク川を遡るクルーズ

2012年12月19日 | ★旅行★外国
太平洋に浮かぶ7107もの島々からなるフィリピン。うち人々が暮らす島は2000あまり。それぞれに独自の文化や歴史、伝統の暮らしが息づき、訪れるたびに新たな感動を与えてくれます。

日本とは遥かなる太平洋を挟んで「隣国」でもあり、歴史的にも深い関わりを持ってきました。青い海と白砂のビーチを独占できる無人島、緑濃いジャングルまで、穏やかな笑顔で迎えてくれる各地の人々と触れ合いながらユニークな旅が楽しめます。

フィリピン国の概要
1.国名フィリピン共和国/REPUBLIC OF THE PHILIPPINES

2.位置北緯5度〜21度:東経117度〜127度

3.面積30万平方キロメートル

4.人口約9401万人(ASEAN-日本統計ポケットブック2011)

5.民族大多数がマレー系ですが、歴史的にも中国系やスペイン人との混血が進んでいます。その他、100以上といわれる民族が暮らしています。

6.政体立憲共和制

7.首都マニラ

8.宗教全人口の90パーセント以上がキリスト教を信仰しています。そのほとんどがローマカトリックですが、プロテスタント、フィリピン独立教会の信者もいます。南部のミンダナオとその周辺ではイスラム教徒が多く、その他、少数ですが仏教も信仰されています。

9.言語国語はフィリピン語、公用語は英語です。

10.歴史諸島における人々の暮らしは、2万5000年〜3万年前に移住してきたネグリト族にさかのぼると考えられています。その後、棚田水田農耕の技術を持った古マレー、紀元前500〜紀元13世紀の間にマレー系民族などが移住し、現在のフィリピン人多数派のルーツとなりました。
16世紀前半にポルトガル人がヨーロッパ人として初めて来航。これ以前は島々を統一する勢力はなく、首長を中心とした勢力が存在するだけでした。

16世紀中頃にはスペインによる領有化が始まり、1571年にはマニラ市を含む諸島の大部分が征服され、スペイン領土となります。
彼らが当時のスペイン王子フェリペの名にちなんでフェリピナ(フェリペの諸島)と名付けたのが、現在のフィリピンの語源となっています。

スペインの植民地時代は300年以上も続き、この間にローマカトリックの布教も進みました。19世紀末には独立運動が本格化し、一時アメリカの支援を受けて独立を宣言しますが、1899年のパリ条約により統治権がアメリカに渡り、アメリカの植民地とされてしまいます。その後、アメリカのフィリピン自治領、日本軍の占領の各時代を経て、1946年に悲願の独立を果たしました。

観光
セブ島やボラカイ島などリゾートを中心とした観光業が重要な産業となっており、より観光客や工業投資を誘致するため、観光地の州政府はインフラ整備に余念がない。またカジノも多くの観光客を惹き付ける魅力の一つなっている。特にセブ島は韓国人が英語留学で訪れる定番の場所となっている。






































★セブ島の旅・其の6★バンブーダンス募金 フラメンコ スペインむ

2012年12月16日 | ★旅行★外国

ファド

【セブ島の貧困層の子供達への就学支援のお願い】NPO法人プルメリア。

セブ島の子ども達に教育を受けるチャンスを。
 
主にセブ州の中心地であるセブ島はセブ市やマンダウエ市、またマクタン島のラプラプ市と郡部ではサンガットやバディアン周辺に暮らす貧困層の子供達への就学支援を現地NGOプルメリアが進めています。支援をしている家庭(貧困家庭)の平均月収は、日本円にして1万円足らずで、郡部に暮らす人々の平均月収はこれよりはるかに少ないのが現状で、子供達の就学費用までは捻出できない家庭です。
 
収入は日本の20~10分の1なのに対して物価は年々高騰し続けており、ここセブ島でのガソリン価格や電気水道料金などは現在日本とさほど変わりません(一部は日本よりも割高になっています)。過日、現地NGO法人プルメリアが支援する奨学生の暮らす50世帯の食生活を調査したところ、父母と子供4人の合計6人という標準家庭の食費は1日6人が食べる3食の平均が220円弱。1食当たり12円。エンゲル係数60%では、その日その日を生きていくだけで精一杯というのが現状です。
 
食べるものさえ満足に食べられない家庭の子供は、学校で修学する事も困難になって多くの子供達がストリートチルドレンになってしまったり不登校でいます。この国の教育省が2008年に調査した結果は、学校に通っていない子供達の数が小学生が220万人で、ハイスクールに通うべき子供の12歳から15歳では340万人、合計560万人以上に上ることが明らかになっています。
 
私達の様に非政府組織のNGO(日本では特定非営利活動法人NPO)がここで出来る事は限られているかも知れませんが、一人でも多くの子供達が学校へ行き教育を受けて、自分で考え判断出来る様になって自立出来れば、そして社会に参加して周りの貧しい人々や子供達を助け、貧困層出身の子供達が大人達に不当に搾取されるのを防ぎ、努力すれば必ず道は開けるという事を示す事が出来ればと願って活動しています。

また、日本からフィリピンの現地NGOプルメリアをサポートしている理事役員や委員は、一人一人がセブの子供達の里親であり、支援者の方達だけで結成した団体なので、日本で活動する人達全員が無償で活動及び運営をしています。なので支援して下さる皆さんのお気持ちはそのまま現地の子ども達に届けられます。
 
「学校へ行きたい」 勉強がしたい」 
そんな子供達の願いを叶えてあげたい・・・

安心して学校に通える様に、フィリピンの子どもたちを是非、一緒に応援してください。
 
【一般会員・里親会員・協賛会員紹介ページへ】
http://www.cebu-plumeria.jp/010/index.htm

【支援申込みフォーム】
http://www.cebu-plumeria.jp/010/index.htm






























★セブ島の旅・其の6★ロボク川ランチ船・ギター弾き語り

2012年12月15日 | ★旅行★外国
ロボク川ランチ船・ギター弾き語り
ギターの 弾き語りを聴き、クルージングしながらの食事、ビールも美味です。

フィリピンはギターの生産国として有名ですが、そのほとんどがなんとマクタン島で作られています。本格的なものから子供のおもちゃまでさまざまなギターとウクレレが店頭に並んでいます。

マクタン島はギター工場がたくさんありますが、なぜギター工場がたくさんあるのかご存知ですか。
マクタン島は世界を冒険した「マゼラン」が最後に寄港した港です。

マゼランはキリスト教を布教しましたが、キリスト教の布教の時に歌う賛美歌を歌うのにピアノやオルガンを持ち歩くことはとても難しく、費用もかかって大変です。そこで軽くてどこにでも持ち歩ける安価なギターが使われるようになりました。今でも田舎の教会のミサはギターで賛美歌を歌います。

ギターは、リュート属に分類される弦楽器。指、またはピックで弦を弾くことにより演奏する撥弦楽器である。

クラシック音楽、フラメンコのほか、ジャズ、ロック、フォルクローレ、ポピュラー音楽など幅広いジャンルで用いられる。

ギターの演奏者をギタリスト(Guitarist) という。

また、エレクトリック・ギター(エレキギター)を単にエレキと呼ぶ場合も多い。