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火曜日のランチ うどん

2019年07月09日 | 火曜日の定食冷し中華
讃岐うどんはなまる

本日は、スクーターを駆って買い物に出掛けた。

正午を過ぎ買い物を終えて、フードコート (隣接する多様な飲食店のブース及びセルフサービス形式の食事のための屋台共有スペースを提供する屋内型広場)へ。
 
麺類の中で暫く「うどん」を食べていなかったので「讃岐うどんはなまる」へ。
はなまるうどんは、株式会社はなまるが展開しているセルフ式の讃岐うどんのチェーン店。吉野家グループに属する。
 
 
 
 
うどんの本場である香川県の讃岐に端を発して創業し、2017年現在全国に約420店舗を持つ。
社名は創業者の前田英仁が幼少時に「はなまる」を貰えなかったので、「お客様からはなまるを頂きたい」という思いから採用した。
 
なお静岡県東部地方を中心に出店している『惣菜屋 はなまる』などを運営している『はなまるフードサービス』とは無関係である。
 
衣料卸売業の株式会社エイジェンス(現・株式会社ヒューマンネット)とリサイクル業の株式会社フォー・ユーの共同出資(出資比率60:40)で2001年に香川県高松市で設立された。
 
 
↑ クーターで来ているからノンアルコールビールを ↓
 
 
 
 
 
 
2004年に吉野家ディー・アンド・シー(現・吉野家ホールディングス)と資本・業務提携を行い関連会社(33.4%出資)となり、2006年5月には子会社(51%出資)に、2012年12月には完全子会社となっている。
 
店舗内では、1杯150円(2019年3月19日の料金改定により税抜130円から値上げ。2000年の創業時は税抜き100円。)から食べられた。
 
最初にダシをかけたうどんを渡し、それに天ぷらやネギなどのトッピングなどを自分でのせていく「セルフうどん」システム(一部店舗では逆の場合もある)を導入。
 
 
 
 
 
 
 
創業以来、香川県高松市に本社を置いていたが、2005年7月に当時の東京本部に本社を移転した。移転前の本社は高松市伏石町字狃麈796番地1 丸忠第五ビルにあった。
 
うどんの麺は自社工場で生麺を生産しており、1玉にレタス1個分の食物繊維を含む「はなまる食物繊維麺」に変更し、ヘルシー志向に合わせている。
 
だしは、瀬戸内海産の煮干しを中心に、ウルメイワシ節、サバ節などで作っただしに、香川県産しょう油をブレンドしたものである。
 
 
 
 
 
 

火曜日の定食

2019年06月12日 | 火曜日の定食冷し中華
 

冷し中華
例によって火曜日は老妻の水泳教室、本日のランチは冷し中華。
 
 
↑ 冷し中華が出来るまでビールを ↓
 
 
 
茹でた中華麺を冷水で『シメる』のが特徴で、深めの皿全体に麺をなだらかに盛り、具として細切りにした、肉類(ハム、叉焼、蒸し鶏など)、錦糸卵、夏野菜(キュウリやトマトなど)を放射状に彩り良く配し、かけ汁(醤油と酢あるいは芝麻醤(ゴマだれ)など)をかけた料理。中国の冷やし麺「涼拌麺(英語版)(涼麺)」をルーツに持つとされるが、味も作り方も大きく異なるものであるため、一般的には日本発祥の料理とみられている。
 
 
 
↑ お通しは胡瓜のツナ和え↓
 
 
 
↑ もつ煮込みには七味唐辛子が ↓
 
 
 
 
地域や作り手によるバリエーションが豊富で、具は旬の物ならなんでも登場し得る。中心や周縁にプチトマトやウズラ・飾り切りゆで卵などのワンポイントを配する事も多い。
 
薬味も、辛子、わさび、紅しょうが、マヨネーズなど、これも多様。
家庭食、中食、外食ともに夏期、それも昼食として食される傾向が見られ、夏の風物詩として7月の季語になっているほか、中華料理店などでの「冷し中華始めました」という貼紙も知られている。
 
 
↑ メインの冷し中華が ↓
 
 
 
地方による特色
北海道では「冷やしラーメン」と呼ばれる。
岩手県では「冷風麺」と呼ばれる。盛岡冷麺と区別するためと思われるが、統一されているわけではない。
 
「みちのく三大冷し麺」とされる山形「冷やしラーメン」は、ここでいう冷やし中華とは異なる。
東海地区ではマヨネーズを添えることが多い。
 
 
 
 
 
西日本地方、特に関西では「冷麺」と呼ぶことが多い。
広島県 呉では、麺に平麺を使用する(呉冷麺)。
韓国では「冷ラーメン」と呼ばれる。
中国では「日本式涼拌麺」と呼ばれる。
台湾では「日式中華涼麺」と呼ばれる。
 
 
 
 
 
 
 
発祥
発祥地とされる店は2つある。一つは東京都千代田区神田神保町の揚子江菜館、もう一つは仙台市青葉区錦町の龍亭である。
 
1929年(昭和4年)に発刊された「料理相談」(安東鼎編、鈴木商店出版部)という本には冷蕎麦(ひやしそば)の一項があり、シナそばを茹で、酢、砂糖、氷をまぶし、その上に叉焼、キュウリ、ラッキョウ、タケノコを乗せ、冷スープ、醤油、酢、コショウをかけるとの記述がある。
 
 
 
 
 
 
1936年(昭和11年)に発行された雑誌『栄養と料理』には三絲涼麺(サンスーリャンメン)として鶏肉、焼豚、キュウリ等を細切りにして、水にさらした麺の上にのせ、酢、砂糖、醤油等のタレをかける料理が紹介されている。
 

他方、細切りの具を彩りよく盛った現代風の冷やし中華の原型は五色涼拌麺(五目冷やしそば)として東京の神田神保町の揚子江菜館で第二次世界大戦後または1933年(昭和8年)に創作されたとされている。
 
2代目オーナーの周子儀が、上海で食べられていたもやしと細切りの肉を冷した麺に乗せて食べる涼拌麺とざるそばから着想を得たとされる。
 
様々な細切りの具を皿の中心から放射状に盛る独特の形式は富士山とそこに積もる雪をイメージして作られた。
 
 
龍亭(涼拌麺)
仙台市錦町の龍亭では、冷し中華・冷麺が発売されたのは、1937年(昭和12年)のこととされる。
仙台支那ソバ同業組合」(現・宮城県中華料理環境衛生同業組合)の会合で、中華料理店共通の問題である夏の売り上げ低下の解決法、及び、多数の観光客が集まる仙台七夕の際に売れる目玉商品の開発について話し合われた。
 
そして当時の組合長だった龍亭店主を中心に、龍亭が閉店した後に集まってざるそばを元に新メニューの開発を行った。
 
それは現代の冷やし中華とは異なり、湯がいたキャベツ・塩もみきゅうり・スライスしたニンジン・叉焼・トマトを上に乗せた物だった。
 
戦中・戦後の食料難の間メニューからは消えたが、昭和20年代後半になって復活し、1965年(昭和40年)まで当初のスタイルを踏襲していた。
 
その後徐々にスタイルを変化させているはいるが、現在でも龍亭は錦町で営業を続けており、改良された冷やし中華を看板メニューにしている。
また、仙台市では他地域と異なり、冷やし中華は年間を通して提供されている。
 
 
 
その他
また、京都の「中華のサカイ」は、創業時(1939年)より、ゴマだれを使った「冷麺」(関西および西日本での「冷し中華」の呼称)をメニューに載せており、関西では、関東以北の「冷し中華」とは異なり、独自に発展したとする説もある。
 
異説として、戦後、寿がきやが心太(ところてん)のつゆ(三杯酢)を冷やしたラーメンに掛けたのが今のスープによる冷やし中華・冷麺の発祥とする説もある。