旅行、飲食、草花、イベント、乗り物、出来事など。

日々の生活の中から様々な物を写真付きで。

★セブ島の旅・其の6★ロボク川レストラン船

2012年12月13日 | ★旅行★外国
フィリピン料理 その1

フィリピン料理の特徴は淡白であること。甘いもの、しょっぱいもの、すっぱいものが多く、辛い料理はほとんどみかけません。
味付けにはココナツ、パティス(魚醤)を利用したものが多く、これが独特の甘みや香りを出しています。素材は豚肉、鶏肉がメインで、フィエスタ(お祭り)の時にはこれらを使った料理が振舞われます。

フィリピン料理はいろいろな国の食文化が交じり合っていて興味深いです。民族や文化と同様に、スペイン、中国の影響を特に大きく受けていますが、他の東南アジア諸国の料理と共通するものがあったり、また、醤油をふんだんに使うなど日本の食文化も取り入れられています。
このページでは代表的なフィリピン料理を紹介します。



































フィリピン料理の一例。
(M.HIGUCHI氏の青年海外協力隊フィリピン活動記から転載)

★アドボ
肉を甘辛く煮た料理です。
肉は鶏肉、豚肉の両方、または一方を使用し、醤油、酢、ニンニク、胡椒などで漬け込みます。肉を取り出して焼いたあと漬け汁に戻し、柔らかくなるまで煮込みます。
肉は酢漬けにしたことで非常に柔らかくなっており、また、複数の調味料の味が溶け合って奥深い味になっています。

アドボは酢漬けというスペインから伝わった料理方法です。もともとは醤油を使わなかったのですが、日本の食文化の影響で醤油を使うようになり、今日のような料理となりました。

★シニガン(酸味スープ)
魚介類または肉を具とした酸味のきいたスープです。酸味のもとはタマリンド。

シニガンや後述のカレカレ、ティノーラなどのスープ料理、汁気の多い料理は、ご飯に混ぜて食べるのがフィリピン流。まずは汁をすくってご飯にかけ、そこに具をとってよく混ぜてから食べます。

★カレカレ(ピーナッツソース煮)
肉と野菜をピーナッツソースで煮込んだ料理。マイルドな味わい。
カレカレには一般的にオックステール(牛の尾)が使われますが、豚のほほ肉、鶏肉、野菜だけのものもあります。
アミのバゴーン(塩辛)を加えていただくのがおいしいです。
名前や見た目はカレーにそっくりですが、辛くないし味も異なります。

★ティノーラ(チキンスープ)
鶏肉を煮込んだスープ。
ニンニク、たまねぎを油で炒め、香りが出てきたら鶏肉を入れてさらに炒めます。そこに水、塩を投入して柔らかくなるまで煮込み、仕上げにホースラディッシュなどの野菜を入れて再び煮込んで完成です。

地鶏と青パパイヤの入ったティノーラは特に美味。私の任地では「ティノーラ・スペシャル」と呼ばれています。
フィリピン人が「このティノーラは地鶏を使っているのか?」と聞くくらい、地鶏を使ったティノーラはうまいのです。

★ビコール・エクスプレス
鶏肉を煮込んだスープ。
ニンニク、たまねぎを油で炒め、香りが出てきたら鶏肉を入れてさらに炒めます。そこに水、塩を投入して柔らかくなるまで煮込み、仕上げにホースラディッシュなどの野菜を入れて再び煮込んで完成です。

地鶏と青パパイヤの入ったティノーラは特に美味。私の任地では「ティノーラ・スペシャル」と呼ばれています。
フィリピン人が「このティノーラは地鶏を使っているのか?」と聞くくらい、地鶏を使ったティノーラはうまいのです。

★イニハウ・ナ・イスダ(焼き魚)
「イニハウ」は「焼いた」、「イスダ」は「魚」の意味。すなわち、焼き魚です。
イニハウには2種類あります。1つは塩焼きで、魚に塩を刷り込んで焼いたもの。もう1つは漬け焼きで、醤油、カラマンシーで作ったタレに漬け込んでから焼いたものです。

ちなみに、串に刺した豚肉の塩焼きは「イニハウ・ナ・バボイ」と呼ばれます。酒の肴に最適。

★エスカベッチェ(揚げ魚甘酢あんかけ)
揚げた魚にケチャップの入った甘酢あんをかけた料理です。

フィリピンではこのようにケチャップで作った甘酢あんをかけたり、トマトソースで煮込んだりした料理が多く、スペインの影響を感じさせます。

★キニラウ(魚介類の酢じめ)
生の魚、海老を酢で閉めたもの。
魚は海水魚を使い、生姜、たまねぎなどの薬味をきかせて酢じめにします。
使う魚には地域差がありますが、私の任地では、マグロ、カジキマグロ、サワラなどを使います。
魚だけでなく、海老のキニラウ、イカのキニラウもあります。

★ロンガニーサ(フィリピン風ソーセージ)
ロンガニーサ:朝食で食べることが多いです。
フィリピン風ソーセージと書きましたが、実際には腸詰と言ったほうがよいかもしれません。見た目も味も腸詰に近いです。
ロンガニーサは豚の内臓を腸に詰めたもの。これをたっぷりの油で揚げるようにして焼きます。
甘めの味付けで、乾燥していないサラミのような感じです。そのままでも十分おいしいですが、好みでバナナケチャップや酢をディップソースとしていただきます。

★セブ島の旅・其の6★ロボク川レストラン船

2012年12月12日 | ★旅行★外国
ボホール島・ロボク川レストラン船

レストラン船は、日本で言う屋形船である。

屋形船とは、和船の一種で、主に船上で宴会や食事をして楽しむ、屋根と座敷が備えられた船のこと。楼船(ろうせん)ともいう。

歴史

平安時代からその原形はあり、貴族の遊びなどに使用されていた。河川整備が進んだ江戸時代に栄え、大名や豪商などに花見や月見、花火などの遊びに愛用された。特に隅田川の屋形船は金銀漆の装飾で飾り豪華であった。延宝年間(1680年頃)までが全盛期で、天和2年(1682年)の大船禁止令により衰退し始めたという。

明治維新の後も引き続き親しまれたが、第二次世界大戦での敗戦後に「文化の移り変わり」「河川の劣化」(水質汚濁)などで勢いを失っていった。

昭和時代末期のバブル景気や水質の改善により、屋形船は再び勢いを取り戻し、現在に至る。

時代劇

江戸深川を舞台にしたテレビ時代劇破れ奉行では、主人公の速水右近と向井将監との情報交換の場としてよく使われる。 また、その他の時代劇にも、悪代官と悪徳商人の密談の場などとして、しばしば登場する。

































現在の屋形船

大きさ
全長20メートル前後、定員は15~80名程度。若干の業務用(操船、調理)空間を除いて、大半が客用空間となっている。

利用方法
団体貸し切りが一般的だが、乗り合いのものもある。 船宿に直接申し込む他、近隣ホテルの宿泊パックや、バスツアー(東京でははとバスなど)の組み込みで利用できるものもある。 昼は春の花見、夜は夏は花火、春秋は夜景観光などのコースが多い。乗船時間は2時間から3時間程度で、お酒、食事が出るものが多い。花火大会の日は特別料金となることが多い。 東京隅田川周辺の船宿では、隅田川、お台場、レインボーブリッジ周辺を周遊するコースが多い。

営業場所
京では隅田川周辺や浜松町、品川近辺に船宿が多い。酒田、名古屋、大阪、福岡、新潟、日田(大分県)でも営業している。

屎尿の垂れ流し

屋形船東京都協同組合によるとバキュームーカーで回収することもあるが、規制海域まで出れば外で垂れ流すことも可能なためそのようにして海に屎尿を廃棄することを恒常的に行っているという。そのため、東京都はそれを規制することで水質改善を目指し、現在遊泳できないお台場の砂浜を将来的に遊泳可能に出来るよう目指している。

舟宿
もしくは船宿とは屋形船や釣船を業とする商業施設。江戸時代の江戸・大坂などの川沿いの大都市に成立した。今日でも営業しているものがある。

宿と称しているが宿屋ではなく船の貸し出しを生業とする、ただし遊里に程近い船宿の場合は二階に休息所などを設ける場合もある。このような休息所は社交場として人気が高く、遊里に通う客などに愛された。江戸や大坂などには川が多く、遊び客にとって船宿は欠かせない存在であった。特に江戸は縦横に河川や運河がめぐらされており、ヴェネツィアにも匹敵する水運都市だったため、随所に船宿が存在した。

腕のいい船頭を雇い、諸々の船を所有して借り賃を得る。今で言うタクシーのような存在だった。また、河川や穏やかな海上で釣りや舟遊びなどの遊興目当ての客を相手に商売を行い、特に花見や花火、納涼の時期の風物詩であった。落語の「船徳」や、池波正太郎の時代劇作品などにその描写が見て取れる。

釣り船などを貸し出す場合もあくまでも船の賃貸料を生計としており、釣り船の場合釣った魚の所有権は借主にある。

現在においても、東京都心部では隅田川や東京湾の周辺で営業を続けている舟宿がある。

牡蛎船
牡蛎船(かきぶね)は、江戸時代、カキ料理を食べさせた屋形船である。

冬、広島から大坂に乗り入れ、川岸に船を係留して営業した。2月頃、広島に帰る。その中で道頓堀のものが有名であった。

★セブ島の旅・其の5★ロボク川レストラン船

2012年12月11日 | ★旅行★外国
レストラン船とは、出航地と帰港地が同じで、本格的なレストランを備え、レストラン以外のキャビンを持たない旅客船のこと。

概要

洋上の眺望を得ながらレストランでの食事やお茶を楽しむという目的に特化した客船で、クルーズ客船のランチタイムやディナータイム、ティータイムの楽しみを抜き出して提供するサービスのシステムともいえる。 一般に通常の遊覧船に比べて大型であり、パーティや船上ウエディングなどに利用されることも多い。

日本のレストラン船は1987年、神戸港・中突堤を発着するルミナス神戸(総トン数3,900トン、旅客定員750名)が最初とされる。 ちなみに周航船であるが、琵琶湖の外輪船ミシガン(総トン数940トン、旅客定員787名)は1981年に就航している。























日本の主要レストラン船
ルミナス神戸2(神戸港) - 総トン数4,778トン、全長106.0m、全幅16m、巡航速力18.0ノット、定員1,000名

ロイヤルウイング(横浜港) - 総トン数2,872トン、全長86.7m、全幅13.4m、巡航速力16.4ノット、定員630名

シンフォニーモデルナ(東京港) - 、総トン数2,618トン、全長83.2m、全幅13m、巡航速力12.8ノット、定員600名

コンチェルト(神戸港) - 総トン数2,138トン、全長74.0m、全幅13m、巡航速力12.0ノット、定員604名

ヴァンテアン(東京港) - 総トン数1,717トン、全長64.0m、全幅13.0m、巡航速力10.5ノット、定員690名

シンフォニークラシカ(東京港) - 、総トン数1,100トン、全長70.0m、全幅10.5m、巡航速力12.8ノット、定員450名

マリーンルージュ(横浜港) - 総トン数683トン、全長52.1m、全幅9.8m、巡航速力13.0ノット、定員330名

マリーンシャトル(横浜港) - 総トン数764トン、全長-、全幅-、巡航速力13.0ノット、定員391名

モビーディック(那覇港) - 総トン数639トン、全長43.3m、全幅15.6m、巡航速力12.6ノット、定員410名

銀河(広島港) - 総トン数602トン、全長52.0m、全幅9.4m、巡航速力14.2ノット、定員 450名

サンタマリア(大阪港) - 総トン数 566トン、帆船型、巡航速力12.0ノット、定員最大791名(ディナークルーズは315名)

マリエラ(博多港) - 総トン数 499トン、全長 40.0m、全幅 13.0m、巡航速力11ノット、定員 400名

レディクリスタル(東京港) - 総トン数 346トン、全長 46.5m、全幅 8.8m、巡航速力12ノット、定員 170名

ジーフリート(東京港) - 総トン数 51トン、全長 28.0m、全幅 5.68m、定員 100名

★セブ島の旅・其の5★ボホール島・ロボク川船着場

2012年12月10日 | ★旅行★外国
セブ島からフェリーで1時間半。未開拓な自然がたっぷりと残るボホール島。
ボホール島といえば、美しいビーチ! フィリピンでも有数のダイビング・スポットがあります!

ボホール島の南西に位置する州都タグビラランには、マニラからの飛行機や船、セブ港からの高速船などが到着します。
セブからの日帰りツアーがあるほどボホール島はフィリピンでも観光名所が多く集まっているところです。

緑豊かな大自然と、数々の歴史を刻んだ旧跡など、多面的な表情を持つボホール島の観光は奥が深い!。

ちなみにボホール島に住むタグビララン人は、「刺青を入れた人々」という意味のピンタド(pintados)と呼ばれ、フィリピンに最後に移住してきたマレー系の人たちの子孫と言われています。昔の遺物などがマンササ、タグビララン、ダウイス、パングラオなどから出土しています。

ロボク川をボートに乗って遡るツアー。
エメラルド色の川をイカダで下るロボク川など、まる一日ボホール島を満喫するツアーの始まりです。
緑色をしたロボク川は常に穏やかなので船酔いになる心配も無く安心。
在京の旅行会社に依頼しボホール島観光を選び現地ガイドの案内で、このランチ付きのロボク川クルーズへとやって来ました。

船は、大小さまざまだですが、乗った船は我々二人がほぼ最後の船客の様でした。
船の中央にはビュッフェ台があって、フィリピンの庶民的な料理やスイーツ類が並んでました。
先客はランチをゆっくり食べていましたが、どうやら、満員になるまで出発しないようです。

しかし、出発したら、なかなか楽しものでした。隣席にはハワイ(マウイ島)から来たと言う一家一族が話しかけて来て乾杯を繰り返しました。
また、船の中ではフィリピンらしくミュージシャンも乗り込んでいて、ずっと演奏してくれていたので楽しい気分になりました。

途中の川岸の船着き場のステージに立ち寄り、地元の子供たちや村人が集まり唄や踊りを披露してくれます。

景色を見たり、歌を聴きながら、両岸にニッパ・ヤシとココナッツの木々が茂るロボク川を、折り返し地点の小さな滝まで遡ります。こんな感じで約1時間のロボク川クルーズが楽しめます。



































★セブ島の旅・其の5★タグビララン港。

2012年12月09日 | ★旅行★外国
ボホール州州都タグビラランの玄関タグビララン港。

セブ島を出発したフェリーがまず最初にたどり着く場所で、港は多くの車が送迎であふれ、客待ちの車も沢山あります。

現地の乗り物(タクシー・ジプニー・トライシクル)
タグビラランでの移動の手段は、日本と違って独特です。特に相乗り型のジプニーは現地の一般的な交通手段となっています。
一人で初めて観光・旅行される方は、利用しないのが無難です。決まった乗り場、降り場がある訳でもないので、タクシーの利用をオススメします。

現地でのタクシーの利用の仕方ですが、基本メーターになりますが、初乗りとして30ペソ、後は移動距離になります。ここで注意したいのは、タクシーの運転手は外国人相手には多く要求してきたり、メーターを使用せずに、行き先のホテルやお店によって、勝手に値段を告げてきます。
言い値で利用してしまうと結構ボラれてしまうのでメーターを動かすように告げてください。

嫌だと断られたら違うタクシーを利用してください。タクシー利用する際には、事前にメーターの使用の確認、使用しない場合の目的地までの値段を必ず確認してください(写真8がボホールでの現地ガイドと運転手、今日一日私達は此の四人で行動を共にする)。

































ジープニー
ジープニーまたはジプニー (jeepney) とは、フィリピンの全土でみられる乗合タクシーである。現地では単に「ジープ」と呼ばれる。

車両概要
フィリピンのジープニーは、多くが小型貨物自動車からの改造で造られることが特徴である。もともとは第二次世界大戦後にフィリピン駐留アメリカ軍払い下げのジープを改造して製作されたのが始まりで、 Jeep と北米で乗合タクシーを意味する アメリカ英語: jitney との合成語として jeepney と呼ばれるようになった。

現在は主に日本製などの2〜4トントラックのエンジンおよびシャーシを利用し、フィリピン製のステンレスボディ、各種各サイズの中古部品を利用して作成される。また、車両のオーナーは各車ごとに独自の派手な塗装やカーアクセサリで外装のデコレーションを競っており、これらの特徴のため1台として同じ車両はないと言っても過言ではない。

ジープニーはその出自ゆえに必ずボンネット型の車体であり、近年はピックアップトラックが改造種車に選ばれることが多い。フロントグリルは現在もジープスタイルに類するものが好まれている。

客室面積を確保するため、ホイールベースは概して長い。客室は、トラックの普通荷台の左右にベンチシートを向かい合わせに設置し、運転席の屋根から一続きに車体後端まで延ばした背の低い屋根が架けられる。

鋼板張りの平らな屋根には、しばしば乗客の大量の荷物が積載される。側窓の有無は車両によるが、設けられないことも多い。旅客は後部妻面の開口部から乗降する。

16人乗りのものが多いが、大型のものでは30人乗りクラスのもの、小型のものでは軽貨物自動車を改造した10人乗りタイプもある。乗客があふれるような場合は後部にぶら下がる客が出たり、屋根に乗り込んだりすることもある。

この車体形状に対するフィリピン人の思い入れは深く、普通乗用車のシャーシにボディを乗せた自家用ジープニーも大量に存在する。この様なタイプを特に owner-type jeepney という。


マニラ首都圏における運行形態
メトロ・マニラにおいては幹線をバスが受け持ち、ジープニーはその他のルートを受け持つ形を取っているが、地方においては100kmを越えるようなジープニー路線も存在している。

各ジープニーは決まったルートを往復し、車体にそのルートの出発地・主な経由地・終点が掲示されている。
バス停に当たるような停留所もあるが、それ以外の場所でも自由に乗り降りできる。
また、かなり細い道にまで網の目のように走っており、何回か乗り継げばほとんどの場所に行くことができる極めて便利な交通機関である。
公式な路線図は存在しないが、日本の独立行政法人国際協力機構 (JICA) が政府開発援助 (ODA) で作成したマカティ市の路線図が存在する。

時刻表はなく、始発地において、ある程度人が集まり次第発車する。

運賃

初乗りは8ペソ(2012年10月現在)。運賃は運転手に直接支払うが、満席等で直接手が届かないときは運転席寄りの乗客にお金を渡し、手から手へと運転手までリレーされる。お釣りがある場合には逆のルートできちんと返ってくる。

雇用形態

ほとんどのジープニーには運転手とは別に車両のオーナーがいる。運転手はオーナーに決まった車両借用料を支払い、客から受け取った運賃は自分の取り分となる。

弊害

台数が多いため排気ガスによる大気汚染の原因になっている。メトロ・マニラでは排気ガスの出ない電動ジープニーの試験運行が開始されたという。

また、運転手が少しでも稼ぎを増やそうとするために客の争奪戦になりやすく、運転マナーは決して良くない。車線を無視した走行・無理な割り込み・道路の中央で停車するなどの行為が多く見られ、渋滞や事故の原因となっている。

何らかの規制を加えようという動きもあるが、ジープニーに関わる就業人口が多いため容易ではないようである。

フィリピン国外でのジープニー

日本では、大阪府吹田市の国立民族学博物館の東南アジアコーナーに常設展示されている。また、福岡市東区の貝塚公園や愛知県犬山市のリトルワールドにも保存展示されている。

ローマ教皇・ヨハネ・パウロ2世がフィリピンを訪問した際、ジープニーを持ち帰ったという記事が日本の自動車雑誌に掲載されたことがあったが、真偽のほどは不明。


トライシクル
フィリピンでは、100cc程度の小型オートバイに屋根付のサイドカーまたは一体型の牽引式簡易キャビンなどを取り付けた三輪タクシー「トライシクル」が大量に走っていて、庶民の足となっている。決まったルートを巡回するジープニーと並んで、庶民の重要な足となっている。

定員は運転手を含め4人-7人程度。大きなバス停の近くにトライシクルのターミナルは設けられ路線バス、ジープニーに接続した毛細血管に相当する末端路線を担当する。フィリピンではその他にFX、バンと呼ばれるミニバンなどを使用した地方都市間を直通運転するサービスもある。また、自転車に側車を取り付けたトライシクルもある。

トライシクルバリエーション 満員になると発車しルートを巡回するタイプの乗合料金は13.5ペソ/人。貸切直行タイプは行き60ペソ、戻り50ペソ。

トライシクル(三輪タクシー)は東南アジアから南アジアにかけて普及している軽便な交通機関である。
かつて存在したサムロー、シクロ、ベチャなどの人力車を駆逐して1960年代以降に普及した。インドではオート・リクシャー、パキスタンでは単にリクシャー、バングラデシュではベイビータクシー、ネパールではテンプー、インドネシアではバジャイと呼ばれている。タイやラオスにはサムロー(トゥクトゥク)がある。なお、リクシャーの語源は人力車である。

構造的には大きく分けて、最初から三輪車として設計製造されたものと、オートバイの後輪部分を取り払い三輪車として改造したもの、またはオートバイ後部に客車部分を連結させてタクシーとして使用し(厳密には4輪になる)客車部分を切り離せばオートバイとして使用できるタイプもある(カンボジアに多い)。

基本的には料金交渉制のタクシーで、各国の庶民のための交通機関の役割を担っている。同時に都市に流入する労働者の受け皿となる産業でもある。

近年これら諸国の近代化にともない、エアコン付きタクシーが普及してきたことや、都市の大気汚染問題と交通渋滞が深刻になったことなどから、大都市での三輪タクシーの営業は制限を受けたり禁止されたりしていく傾向が見られる。

以下では各国の三輪タクシーについて記述する。

オート・リクシャー
オート・リクシャー (auto-rickshaw) は、インド文化圏、経済圏で普及している軽便な三輪タクシーである。インドではオートリクシャー、パキスタンでは単にリクシャー (rickshaw)、バングラデシュではベイビータクシー (baby taxi)、ネパールではテンプー (tempo)、スリランカではスリーウィーラー (three-wheeler)、インドネシアではバジャイ (bajaj)と呼ばれている。

オート三輪の後部に二人乗りの前向きシートを設け、屋根はビニール生地の日除けとなっている。乗客の側面は開放されている。運転席は前席中央にあり、ハンドルはオートバイと同様のバーハンドルである。同じ用途に使われるタイのトゥクトゥクと比べると車体は一回り小型である。

これらの三輪タクシーは通常決まったルートを運行するものではなく、料金交渉制のタクシーとして使われる。これに対して、ひとまわり大きく対面式の座席を持つ三輪車は決まったルートを走る乗り合いバスとして使われる。なお、インドでもムンバイ近郊では大半がメーター制になっている。

最有力メーカーはインドのバジャージ・オートである。原型となったのは、イタリアのピアジオが生産したベスパカーで、当初から後部に二人乗り座席を設けたモデルが用意されていた。インドで1959年から1974年までライセンス生産され、契約終了後もバジャージのブランドで販売されている。

古いタイプは排気ガスが白煙を吐き出す2サイクルエンジンを搭載しており、アジアの大都市の大気汚染問題の元凶と考えられている。このためデリーやダッカでは2サイクルエンジンを搭載した三輪タクシーの営業が禁止された。現在では排気ガスがクリーンな4サイクルエンジンやCNG(圧縮天然ガス)エンジンを搭載したオート・リクシャーが生産されている。CNG化されたオート・リクシャーは緑色に塗られている。インドネシアでは液化石油ガス (LPG) エンジンを搭載したものが登場している。

また、スリランカの高地では、通常のオート・リクシャーにラジオ放送局とインターネットサービスの機器を搭載したeトゥクトゥクが村々を巡回し、情報提供に活躍している[1]。

サムロー(トゥクトゥク)
サムローはタイ語の単語で三輪自動車(オート三輪車)を意味する言葉。日本ではサムロとも言い、特にタイの三輪自動車を指す言葉として使われる。また、俗にトゥクトゥクと呼ばれる。タイ、ラオスで運行している。いずれも主に料金交渉制のタクシーとして利用されるほか、座席を改造して決まったルートを巡回する乗り合いタクシーとして運行している場合がある。起源は大型バイクを改造したものであるが、日本から輸入したダイハツのミゼットなどのオート三輪をタクシーに改造したものもあった。

日本の郵政省が郵便収集車をダイハツの三輪トラック『ミゼット』から四輪トラックに変えた際に、中古のミゼットをODAとしてタイに輸出したのが始まりとされる。

元々は車線の狭いヤワラート通り(中華街)周辺の道路で、小回りの利くサムローが主にイサーン出身の運転手により人力車より格の高いタクシーとして運行され始めた。後にサリット・タナラット首相がバンコクでの人力車の運行を禁止したことにより、バンコクでサムローの運行が盛んになったが、近年においてはエアコンが利き、料金のごまかしが利かないメーター制タクシーが運行を開始したため、バンコク市内の車両数は徐々に減っていった。タイ政府は2002年にバンコクでのサムローの新規登録をうち切ったことにより、バンコク都内の車両数は大幅に減少した。

法律上は、サムロー専用の免許が用意されており、自動二輪車の免許では運転できない。タイの四輪免許で三輪は運転可能。トゥクトゥクは前述したように私用ではないため、商用利用されるのであるが、タクシーの営業は法律上タイ国籍者にしか許されていないため、このサムロー免許もタイ国籍保有者のみに与えられる。また、サムローはスピードがでにくいため、制限速度が所々80キロを超えるようなバンコク首都高速での運行は出来ない。

ちなみに俗称のトゥクトゥクの由来には諸説があり、その排気音がトゥクトゥクと音を立てているからや、英語のtook tookが訛ったものなどいろいろ言われている。俗に前者の由来が有力視されている。

近年グアテマラ等の中米諸国に導入され、一般車を使うタクシーに比べて車両が安価なため、急速に普及が進んでいる。車両はインドのバジャージ社のものが使われるが、現地ではトゥクトゥクと呼ばれている。

★セブ島の旅・其の5★セブ島からタグビラランへ上陸

2012年12月08日 | ★旅行★外国
ボホール島のタグビラランは、フィリピン中部ヴィサヤ諸島の島であり、国内10番目の大きさを持つ。島全体が中部ヴィサヤ地方に属するボホール州である。人口は約114万人、面積は4,117平方キロメートル。主な都市はボホール州州都タグビララン。リゾートとして知られるほか、フィリピンメガネザル(ターシャ)という世界最小級の霊長類の生息地でもある。

地理・観光

ボオール島ロボク川クルーズ船上レストラン
ロボク川クルーズは人気日帰りツアーの目玉です。 川下りは約8kmで所要時間は1時間。
ロボク川は常に穏やかなので船酔いになる心配も無く安心
リバークルーズは終点の滝まで行き出発地点に戻ります。

島の半分は大理石で覆われており、全体に丘の多い地形である。中でも、大理石でできた高さ30m-50mの草に覆われた円錐形の山が1,268個も並ぶ「チョコレート・ヒル」という場所があり、5月からの乾季には枯れ草のため茶色に見える。その異様な景観も観光名所のひとつである。中央部は不規則な地形の高原地帯である。

西にボホール海峡(セブ海峡)を挟んでセブ島、東はカニガオ海峡をはさんでレイテ島、南にミンダナオ海(ボホール海)、北はカモテス海に面している。海岸は白く続く砂浜で、西隣りのセブ島と同様、観光客で賑わっている。特にタグビララン市の南にあるパングラオ島のビーチとダイビングスポットは観光客に人気がある。またダイバー憧れのスポットであるバリカサグに近いことから、世界中からのダイバーで賑わっている。これらリゾートへのツアーの多くはセブ島発でタグビラランが島内観光の拠点になっており、島の南海岸にはホテルやコテージなど多くのリゾート宿泊施設がある。

ルソン島やヴィサヤ諸島北部と違い、ボホールは台風の直撃を受けにくい。また台風が来ても速度が速くすぐ通過する上、レイテ島やサマール島の山岳部で勢力が衰えるため、大きな被害になりにくい。このため気候は穏やかである。11月から4月はアミハンと呼ばれる北東からのモンスーンが勢力が強く、たまにスコールに見舞われる以外は気温は28度前後と最も穏やかな季節である。5月から7月の夏は乾季だが高温多湿で過ごしにくい。8月から10月はハバガットという南西のモンスーンにより、晴れが続いたり雨が続いたりと天候が予測しにくい。






























★セブ島の旅・其の5★ボホール島到着

2012年12月07日 | ★旅行★外国
ボホール島到着・タグビララン港

セブ島の港を出発したフェリーがまず最初にたどり着くのがボホールの州都タグビラランです。

島の南西に位置し、ボホール観光の拠点。港にはたくさんの車が送迎にあふれ、客まちの車もたくさんいるのでツアーに申し込んでいない人でもここで車を手配する事ができます。
タグビララン(Tagbilaran City)は、フィリピン・ボホール島の西南部にある港湾都市である。ボホール島で一番大きな街で、ボホール州の州都でもある。面積は32.7平方kmで海岸線の長さは13km。バランガイの数は15、人口は2007年現在で92,297人で年々増加している。

タグビラランはマニラからは東南へ630kmほど、セブからは南へ72kmほど。セブやマニラからの航空機が着く空港を擁するボホール島の玄関口であり、島周辺のリゾートへの拠点である。

タグビラランはボホール州の政治・交通の中心であるが、観光業、金融、食品工業など経済の中心地でもある。またボホール大学、ホーリー・ネーム大学など高等教育機関のある教育の中心でもある。

歴史

タグビラランの街はスペイン人による征服以前は、中国やマレー半島との交易で栄える集落だった。スペイン人のコンキスタドールであるミゲル・ロペス・デ・レガスピはフィリピンへ向かうべくメキシコを起ち、1565年3月にボホールに到達した。彼はボホール島に住む領主(ダトゥ)のシカトゥナ(Datu Sikatuna)と和平を結び、現在タグビララン市域に属する海岸で、互いの左腕を切ってその血を一つの容器に注ぎ、ワインと混ぜて飲む血盟を交わした。この出来事は、毎年7月の間ずっと続くサンドゥゴ・フェスティバル(Sandugo Festival)で祝われている。

レガスピのセブ・マニラ征服によりフィリピンはスペイン領となった。ダグビララン(サン・ホセ・デ・タグビララン)は1742年2月9日に東隣のバクラヨン(Baclayon)の町から分離し独立した町となった。1966年7月1日、タグビラランを市とする法律(Republic Act No. 4660)に基づきタグビララン市が成立した。タグビラランは米比戦争においてアメリカ軍に、太平洋戦争において日本軍に占領され、大きな人的被害が出ている。市内のウブジャン(Ubujan)ではボホール人のフランシスコ・サラザール大佐がヴィセンテ・キューベロの偽名を使いゲリラを集め決起し日本軍と戦った。サラザール自身も戦死するなどの被害を出したがこの勇気は現在も称賛されている。






























★セブ島の旅・其の5★フェリー船内設備

2012年12月06日 | ★旅行★外国
船内設備の例

船室

短距離航路では1から2クラスの船室区分となっているものが多いが、長距離になるほど多様な料金体系による船室区分が見られる。また、従来の等級に縛られない命名法(商船三井フェリーの場合、スイート、デラックス、スタンダード、カジュアル、エコノミーの5段階)も見られるようになってきた。

特等船室
定員2人から4人の個室。1等の2人部屋の設備を強化したようなものとホテルのスイートルームに相当する豪華な客室の2種類に分かれる。大抵は特等止まりでスイートルームまで備えているフェリーは少ない。上部デッキの見晴らしが良い場所に割り当てられる。

1等船室
定員2人から4人の個室。4人定員の場合には2段ベッドの船も多いが、日本のフェリーでは和室(6畳ないし8畳)も存在する。2人部屋の場合は特等に比べて設備が簡素化されている他、窓のない内部屋に設定されていることも多い。短距離航路では個室ではなく、大部屋にリクライニングシートを備える形式の船室も存在する。

2等寝台
大部屋に2段ベットを大量に設置した部屋で、最低限ではあるがプライバシーが確保される。主な設備はライトにコンセントと枕といったところで、シーツは自分で敷く。合理化の一環として2等寝台のみという長距離フェリーも現れてきている。バリアフリーの一環として寝台の梯子をなくしたり、ベッドとテレビが備わった小部屋タイプ(いわゆるカプセルホテル形態)が増えてきている。

2等船室
仕切りが無いカーペット敷きの大部屋。1部屋あたり数十人単位の定員となる。短距離航路では、大部屋に椅子を備える形式の船室も存在する。じゅうたんに直接座る形を取るのは極僅かな国々に限られており、大抵の国では椅子式が主流になっている。多客時には展望室や食堂などのスペースを臨時席にするケースもある。自由席が基本だが長距離航路では2等船室でも座席を指定するケース(フェリーさんふらわあなど)があるほか、繁忙期に限り座席を指定するケースなどもある。

ドライバーズルーム
トラック運転手専用客室。2段ベッドと談話室を組み合わせた客室が標準的であったが、近年は個室を備えるフェリーも登場している。2等船室運賃(自動車運賃には、運転手の2等船室運賃相当額が含まれている)で、一般客の2等船室よりも良い接遇サービス環境にあることから、ドアなどでキャビンが仕切られており一般客が出入りできないようになっている。混雑時など、まれに一般客にも解放される場合がある。






















その他
食堂 - 長距離フェリーでは必須の設備であるが、オーシャン東九フェリーの「おーしゃんのーす」「おーしゃんさうす」のように食堂を廃止して自販機に置き換えるケースもある(同社では両船を「カジュアルフェリー」と呼称している)。また一定料金のバイキング方式を採用するところも増えている。また夕食の残りは夜食用の弁当で販売するケースが殆どである。

売店・自動販売機 -
ほぼ大半のフェリーに備え付けられている。菓子やご当地のお土産などを販売している。また自販機は飲料やカップラーメン、アイスクリームなどがある。一部航路では、コンビニエンスストアが設置されている。長距離フェリーや夜間便に関して、深夜時間帯は原則として売店を閉鎖している。

浴場 -
日本国内の長距離フェリーの多くに備え付けている設備。展望式になっているものが主流である。沖縄航路ではシャワーのみ、あるいは浴槽に水を貯めていないなどの処置を取っていることもある。短距離フェリーでも宇高航路で設置されている。

展望室 -
船首側にある場合は夜間閉鎖またはカーテンを全閉されることもある。また、混雑時には2等船室の臨時席にする都合で、展望室とは名ばかりでカーペット敷きの大広間になっている例も少なくない。二等の客が展望室のベンチで横になっているケースがあるがマナー違反である。

通信 -
長・中距離フェリーでは衛星電話を使った公衆電話が設置されている。日本国内ではNTTドコモの衛星携帯電話「ワイドスター」が利用される。通話料金は一般の公衆電話と比べやや割高であるが、通常の電話とあまり変わらない品質で通話ができる。高高度の衛星を使っているため、通話は0.2秒ほど遅延する。国際航路では、日本と相手国の公衆電話両方が用意されている場合がある。

★セブ島の旅・其の5★ボホール島へ・フェリー船内

2012年12月05日 | ★旅行★外国
フェリーとは、旅客や貨物を鉄道車両や自動車ごと運搬できるようにした船のことである。

フェリーは貨客船であり、貨物船の一種で自動車の海上輸送に用いられる「自動車専用船」とは分類上異なる。カーフェリー (Car ferry)、自動車渡船、自動車航送船などとも呼ぶ。なお、今回は日本のフェリーについて述べる。

名称

日本語の「フェリー」の元となった英語の「Ferry」の原義は「渡し船」「渡し場」の意味であり、英語圏においても車輌を載せない客船も含まれる渡し船の意味の「Ferry」ではなく、自動車も運ぶという意味で「Car ferry」と呼ばれていた。日本にこのような船が導入された当時から、和訳されて「カーフェリー」と呼ばれ、しばらくは現在のフェリーに対して使われていたが、やがて「カー」が省かれ、21世紀初頭現在の用法である「フェリー」だけで表現されるようになった。

英語圏でも、「Car」にはトラックやトレーラーは含まれないため、多様な自動車すべてを運ぶ船を「Car ferry」と呼ぶと違和感があるため、近年では ROPAX (roll on/roll off passenger) vessel や Ro-Pax Ferry と呼ばれる場合がある。 日本で「ローパックス・フェリー」という表現が定着するかは不明である。

分類
旅客船兼自動車渡船(フェリー)

旅客船と貨物船の2つの機能が求められるため、建造と運航がコスト高となる。

旅客船: 必要な安全設備と客室設備や快適性のための減揺装置や高速航行性を備える。

貨物船: 多数の雑多な自動車を短時間のうちに安全に個人運転者の操縦によって自走乗船・自走下船させ固縛し、運搬する設備や能力が必要となる。

長距離フェリー
日本長距離フェリー協会による定義では、片道300km以上の航路に就航しているフェリーであり、陸上輸送の代替として物流の効率化に貢献している。

国際フェリー
国際航路に就航しているフェリーであり、安全基準などは海洋関係の国際条約(SOLASなど)により規定されている。 鉄道連絡船(車載客船) カーフェリーは車載客船を基に自動車用としたもので、自動車航送を並行している例もある。

貨物車両渡船(鉄道連絡船)

鉄道連絡船のうちの車両渡船(旅客を搭乗させず鉄道車両のみを航送)。









































国土交通省・日本の法規による分類

距離による分類

国土交通省では、片道100km - 300km未満のフェリー航路は中距離フェリー、300km以上のものは長距離フェリーとされている。

速度による分類
高速客船 22ノット以上で走る客船は高速客船と呼ばれ、普通運賃に加えて高速船料金が徴収できる。公式ではないが40ノットを越えて走る客船は超高速客船と呼ばれる。

航路の違いによる分類

船舶安全法において、旅客船に限らず日本船籍の船舶が航行できる区域は、それぞれ以下のとおり定められている。
遠洋区域: 世界中を航海できる。

近海区域: 東経175度から94度、南緯11度から北緯63度の中だけで航海できる。

沿海区域: 沿岸から20海里以内の水域と特定の定められた水域だけ航海できる。平水区域: 湖、川、港湾、
内海などの比較的波の穏やかな特定の水域だけ航海できる。

以上の航行区域を持つ船舶は、それぞれの船舶の航行区域、航行時間、総トン数などに応じて船体構造、通信設備、救命設備、旅客定員などが規定されている。 また、このほかにもその近海区域、沿海区域などの航行区域を持つ船舶のうち、その航行区域を港などの陸岸に近い区域にのみ限定しているものも多数存在する(航行区域を限定することによって必要な構造・設備が軽減されるメリットがある)。これらの航行区域は公式ではないが通称「限定近海区域」、「限定沿海区域」、「湖川港内限定区域」などと呼称される。

日本の内航客船の多くは、その航行区域が「沿海区域」か「平水区域」であるが、「遠洋区域」や「近海区域」の航行区域を持つ船舶を内航客船に使用しても構わない。逆に「沿海区域」の航行区域を持つ船舶を外航客船に使用しても(その航行区域を外れない限り)構わない。

日本国内での規定
日本の国内航路に就役する船舶は必ず、日本国内のいずれかの港に籍を置く、日本国船籍でなければならない。 また、日本国籍船を個人が保有する場合は、当該個人が日本国籍を持っていなければならず、会社(日本の法令により設立したものに限る)が保有する場合はその会社の業務執行取締役の2/3以上が日本国籍を持っていなければならない。(ただし、左記以外の法人の場合は取締役全員が日本国籍を持っていなければならない。)

歴史
日本
渡し舟と初期のフェリーの違いは判然としないため、いつの時点から日本での最初のフェリーと呼んで良いかは断言できないが、1つの例として示せば、1934年に今の北九州市の若松区と戸畑区の間の400m程を結ぶ航路に43総トンの2隻のカーフェリー「第8若戸丸」と「第9若戸丸」が就航した事例が挙げられる。これらのフェリーは船の前後に舵とスクリューを備えた両頭船であり、最大でもトラック2台とオート三輪を4台を積載できるのみであった。

1944年には鹿児島と桜島との間を結ぶ156総トンの木造船、「第一桜島丸」が就航した。

第二次世界大戦後の1950年、下関と門司の間3.8kmを結んだ「第三関門丸」「第四関門丸」「第五関門丸」の3隻が就役した。また、瀬戸内海では1953年に宇野(岡山県)と高松(香川県)間を結ぶ「第一航走丸」150総トンが、1954年に明石海峡横断航路として明石 - 岩屋(兵庫県)間を結ぶ「あさぎり丸」220総トンが、同年に鳴門海峡航路として福良(兵庫県) - 鳴門(徳島県)間を結ぶ「若潮丸」220総トンがそれぞれ就航した。なお、1956年には宇野 - 高松間に55総トンの木造船「玉高丸」も就航している。

昭和40年代(1964年以降)には中距離フェリーが現われ、またこの頃からモータリゼーションが本格化したこともあってフェリーの需要が急増し、1973年には168航路、1980年には241航路にまで増加した。

1973年からの第一次オイルショックと1979年からの第二次オイルショックの影響により国内観光の需要が激減したが、これによる輸送量の減少によって運航会社の経営を圧迫し、多くの航路が閉鎖された。また、平成に入ってからの大きな変化として、本州四国連絡橋の完成によってそれまで瀬戸内海を結んでいた多くの航路が役割を終えて閉鎖されたことである。一方、一部の航路ではフェリーの高速化が企図され、2007年に青函航路に就航し当時の日本最速となった「ナッチャンRera」[3](のち休航)のほか、従来と比較して速力を増したフェリーが多くの航路に就航している。

近年は、原油高が進んでいることおよび高速道路におけるETC割引制度の充実(特に、2009年4月から2011年6月まで政府の経済対策の一環として実施された休日特別割引、いわゆる「1000円高速」)により、自動車輸送の利用が低迷する航路が増加している。また、関西 - 九州航路は速達性にまさる新幹線や航空機との運賃差が縮小し、さらなる苦境にさらされている。これに対し、自動車輸送料金の値下げを行って対抗する会社もあるほか、物流以外の個人利用客の誘致のため、キャンペーンの実施、インターネット予約における割引の拡充、繁忙期適用期間の縮小などの施策をとっている会社も多い。

日本の航路
内航航路

日本では内航の旅客航路は一般旅客定期航路、特定旅客定期航路、旅客不定期航路の3つに分類される。

2007年4月時点では、純客船も合わせた日本国内の内航客船事業者は964業者あり、1,659航路に2,385隻、計136万総トンが運航している。内航フェリーだけでは158事業者、187航路に366隻、計118万総トンが運航している。この数字からカーフェリーが船の中ではかなり大きいこと、航路数は内航客船の航路数全体に比べてそれほど多くないことが判る。2005年の国土交通省の国内輸送実績のデータでは、フェリーを含めた客船・貨客船での輸送は、旅客: 1億320万人、輸送人キロ: 40億2,500万人、トラック: 537万台、乗用車: 1,119万台となっている[3]。

外航航路

日本では外航貨物定期航路事業、外航旅客定期航路事業、外航不定期航路事業に分類される。

稚内港←→コルサコフ港(ロシアが実効支配中)アインス宗谷 日本 日本・ハートランドフェリー
博多港←→釜山港(韓国)
門司港←→釜山港(韓国)
下関港←→釜山港(韓国)
下関港←→青島港(中国)
下関港←→太倉港(中国・蘇州)
大阪港←→上海港(中国)
神戸港←→天津港(中国)
大阪港、神戸港←→上海港(中国)
大阪港、神戸港←→釜山港(韓国)
境港←→東海港(韓国)←→ウラジオストク港(ロシア)
小樽港←→ホルムスク港(ロシア)
伏木港←→ウラジオストク(ロシア)
厳原港・比田勝港←→釜山港(韓国)
那覇港・平良港(宮古島)・石垣港←→基隆港・高雄港(台湾)
金沢港←→釜山港(韓国)

日本以外の航路
バルト海
税金が比較的高いと言われる北欧のスウェーデンやフィンランド等を結ぶ国際フェリー船内では、酒や煙草が免税価格で買えることから、買物目的を兼ねた渡航者で賑わっている。同地域に就航するシリヤラインやヴァイキングラインでは、豪華客船に匹敵する設備を持った50,000トンクラスのフェリーを就航させている。なお、周囲の国々がEUに加盟した現在では非EUの小島に寄港することによって国際航路の条件をクリアしている。

ノルウェー
南端のベルゲンからフィヨルド沿いに北上、ノールカップを回って北端のヒルケネスを往復する沿岸急行船が有名。生活航路であると同時に観光ポイントを巡ることからクルーズ船としての性格を持ち合わせている。船体は古いものから新しいものまで様々だが年が若くなるにつれて設備が豪華になっている。

フィリピン
諸島国であるフィリピンではフェリーが交通手段として頻繁に使われている。日本航路からリタイアした船が使われているが、乗客数を増やすために改造されているケースが多く、当初設計時の定員より大幅な超過状態で運航された結果、海難事故がたひたび起きている。

★セブ島の旅・其の4★セブ港から・フェリー出航

2012年12月04日 | ★旅行★外国
港湾(英:Port)とは、古くは泊(とまり)などから発展した港・湊(みなと)であり、島嶼・岬などの天然の地勢や防波堤などの人工構造物によって風浪を防いで、船舶が安全に停泊し人の乗降や荷役が行なえる海域と陸地を指す。

水陸交通の結節点となる機能を持つ港湾には、物流・旅客輸送が円滑に行われるために各種の港湾施設が整備され、ポートオーソリティ(港務局・港湾局)・地方自治体などの組織によって管理・運営されている。

歴史

船の運航のために古代より、河川の河口、湾、入り江といった天然の地形が、波浪や嵐といった自然災害からの船舶の避難場所が泊となったり、補給のための飲料水や薪などの確保も必要になり、これらの条件が停泊する上では都合が良いため時代が進むにつれて、これらの場所が泊や港・湊として使わるようになり、海運の発達ともに船の規模が拡大するなど港の陸上部分に桟橋や岸壁が作られ、施設も拡充され、防波堤などの突堤も突き出すようになる。

現代では税関や検疫所、出入国管理所が設けられ、旅客船の増加と規模の拡大に応じて旅客施設が作られた。貨物荷役の便益の為に桟橋上や岸壁横には上屋が多く建てられ、陸上輸送との接続地点として道路や鉄道が港に接続されるようになった。

交通の要所となると他国・他地域との文化的な玄関口となると共に、商業活動によって経済的な発展を遂げて港湾都市として繁栄するようになり、ますます港湾機能の充実が図られた。埋め立て、陸地の掘り込み、浚渫などによってそれまでの港湾の規模を拡大することも行なわれた。また、天然の良港として長い時間をかけて発展してきた港とは別に、人間活動の要請に応じて、新たな港が作られるようになった。鉄鋼業や石油化学工業の発展によって専用の貨物船に対応した工業港が作られ、専用ターミナルとして発展して行った。

貨物船はしだいに大きくなり、港での荷役に数日が掛かるようになったため、港外で桟橋や岸壁の空きを待つ「滞船」(たいせん)が起きるようになった。また、大型貨物船が直接接舷できない多くの港では、沖仲仕(おきなかし)が湾外で停泊する貨物船と陸の間を艀(はしけ)に貨物を積み替えることで荷役を行うなど、非常に非効率であった。

コンテナ船の登場で港での荷役作業は効率化されたが、同時に港の荷役設備は更新を迫られた。コンテナ船の巨大化に応じて浚渫やクレーンの大型化が図られ、コンテナターミナルとして発展していった。21世紀に入ると国際貨物コンテナを扱う港は、ハブ港とフィーダー港に峻別される傾向が鮮明になってきた。


































★セブ島の旅・其の4★セブ港から・フェリー乗船

2012年12月03日 | ★旅行★外国
ボホール島行きの船のチケットを買うのに、初めての人は戸惑うと思いますので、最低でも1時間前にターミナルに到着する事をお勧めします。
ボホール島へ個人手配で旅をするにはフェリーのチケット入手が絶対条件。
申し込み方・どこのフェリー会社を使うか・行く日・帰る日・行き先・時間・席の種類(エコノミーかビジネスか、それ以外もたくさんあり面倒です=写真17+港使用税20ペソ=写真18)を申込用紙に書いたり、窓口係りに伝えたりする。

英語の話せない人は、出来るだけ事前に現地ツアー会社などに依頼しておくのがベターです。

ポーターに、チケットを買うところから荷物の積み込みまで手伝ってもらうと簡単で便利です。(チップの目安30~50ペソ程度)ターミナルにはトイレ・待ち合い室があります。

フィリピン庶民にとっての島間移動はフェリーなどの船舶が主体です。このため、フィリピンの海上ラインは非常に発達しています。主要都市間の定期便航路を運航する大型フェリーをはじめ、高速ボート、小都市間をつなぐ小型船輸送など様々な海上ラインが整備されています。

大型フェリーによる長距離航路を運行するスーパーフェリーなどの大手を筆頭に、島々を高速船でつなぐスーパーキャットやオーシャンジェットなどがメジャーな旅客海運会社です。このほか、離島向けや湾内など短距離間を航行するローカル企業も沢山あります。
































スーパーフェリー
スーパーフェリーは、電力、金融、食品加工、不動産開発などを手がけるアボイティス・グループ傘下の大手フェリー会社です。8隻の大型フェリーを所有し、マニラを中心にセブ、ダバオなど国内15港をつなぐ定期航路を運行しています。
Super Ferries(英語)

セブフェリーズ
セブを中心に主にビサヤ、ミンダナオ方面への定期航路を運航しています。3隻の大型フェリーで10港をつないでいます。
Cebu Ferries(英語)

スーパーキャット
スーパーフェリー同様アボイティス・グループ傘下の会社で、高速船を運航しています。セブ⇔レイテ、セブ⇔ボホール、ルソン⇔ミンドロの各島をつないでいます。
Super Cat(英語)

オーシャンジェット
セブを中心にボホール、ネグロス、イロイロ方面の主にビサヤ地域で3隻の高速船を運航しています。 Ocean Jet(英語)

ネグロス・ナビゲーション
フィリピン国内海上輸送の最古参企業のひとつで、設立は1932年までさかのぼります。3隻の大型フェリーで国内15港をつなぐ定期航路を運航しています。
Negros Navigation(英語)

トランス・エイシア・シッピング
セブを中心に中・大型フェリーでビサヤ、ミンダナオ方面への定期航路を運航しています。なぜか各船にジャパンやマレーシア、インドネシアなどの名前がついています。
Trans Asia Shipping(英語)

★セブ島の旅・其の4★セブ港・フェリー待合室

2012年12月02日 | ★旅行★外国
セブ港はマクタン島とセブ島の間の海峡に面し、古来からマクタン島を天然の防波堤とした安全な港であった。

現在もヴィサヤ諸島を中心にルソン島からミンダナオ島までの各地に向かうフェリーの中心となっており、フィリピンの船会社の多くが本社を置く。コンテナ船のための大規模な埠頭も整備されている。

セブ島とボホール島の間には3つの高速艇会社が走っています
セブ島での港は2か所に分かれています。私たち夫婦が利用するのはオーシャンジェットの高速艇ですからセブ島港番号1(ピアワン=第一埠頭)です。


ネグロス島沖でマグニチュード6.9の地震が発生

ネグロス島沖地震は、2012年2月6日フィリピン時間午前11時49分にフィリピンのネグロス島東の沖合、タノン海峡で発生したマグニチュード6.9の地震である。震源は東ネグロス州ドゥマゲテの北約72km、震源の深さは20km。

ネグロス島東ネグロス州ギフルガン市郊外では地滑りが発生し(地滑りはネグロス島東海岸(セブ島側)中部の海岸沿いの街ギフルガンで発生)、30人以上が死亡した。その他建物の倒壊により10人が死亡した。






























★セブ島の旅・其の4★セブ港フェリー乗り場へ

2012年12月01日 | ★旅行★外国
セブ島・交通ルール

フィリピンでは、交通安全の概念が希薄でトラックの荷台に人を大量に乗せて走ることが許されている。

フィリピンでは、トラックの荷台に人が乗っているのをよく見かける。
1人や2人ならまだわかるが、何十人も乗っていることもある。

もちろん、トラックの荷台は基本的に荷物をのせるものなのだが、ここフィリピンでは荷物と一緒に人も乗り時にはバスにもなるのだ。

フィリピンではハンプと言われる盛り上がった築山が道路にあるので、とりわけ住宅街には数多くある。
住宅街での走行は自ずと制限がかかるようになっている。
しかし、一旦公道へでるとそこは無法地帯とも思えるほど自分勝手な停車と走行が目立つ。

1. 2~3m先でも、前に出ようとする。出てもその先には行けないだろうというときでも、
必ず追い越しをしてくる。先を見通しての考え方をしない。無駄に先を急ぐ。

2. どこでも停車、後ろの車がどうであれ自分の車を最優先。
「道路から手をのばし買い物OK」「左側・右側停車OK」「急停車OK」のものすごい自分勝手な運転。
みんながそうであるので、走行車線内での回転もひんしゅくを買うことなく、たとえ何台止まろうが、
みんな黙って待っている。完全な自己優先主義。

3. センターライン越えは当たり前、完全に対向車線をつぶしても追い越しをする。
いつでも追い越す。
運悪くセンーターライン越えとなった大型車に出くわさないよう予測の運転をする。
カーブ・スピード・ブレーキング完全に横転する車の謎が解けた。
何にも考えずに自損事故、巻き添えを
避けての予測運転が必要。巻き添えをくらうほうが悪い。

4. 道幅がせまく1車線となる場合は、間を10cmと空けずに前の車にぴったりとついて走る。
先をひとに譲ると永遠にはいれない。怖気づいたひとが負けのルール。基本的に相手に譲らない。
いつもフレンドリーとは程遠い自分主義のフィリピン人がそこにはいる。

5. クラクションで人も、車もけちらして走る。けちらすのが一番安全、
自分がアクションを起すときは
必ず知らしめる。人は車をよけて気をつける、それが当たり前のアジアンルール。

6.一通の明確な表示なんてないから気をつけて走る。

なんともあさましい運転ルールに嫌気がさすが、それがフィリピンの交通道徳。
それさえ守れれば、それなりに安全も確保できるし、怖くもない。(出典・フィリピン・ハロハロ情報局http://blogs.yahoo.co.jp/aaanao2315/30488894.html)

写真1→4銀行では始業前に体操を。
写真5→6ジプニー。
写真7→11軽トラックに人を満載。
写真12→13セブ港。