旅行、飲食、草花、イベント、乗り物、出来事など。

日々の生活の中から様々な物を写真付きで。

今日の一枚

2019年06月29日 | ★イベント★
梅雨と傘
7月1~2日は、旅行のためブログの更新は有りません。
 
 
梅雨
北海道と小笠原諸島を除く日本、朝鮮半島南部、中国の南部から長江流域にかけての沿海部、および台湾など、東アジアの広範囲においてみられる特有の気象現象。
5月から7月にかけて来る曇りや雨の多い期間のこと。雨季の一種である。
 

雨・雪・日光などが体に当たらないよう、頭上に広げ差しかざすもの。竹や金属などの骨に紙や布などを張り、柄をすえて開閉ができるようにしたもので、「笠」と区別するために「さしがさ」ともいう。「笠」とは同語源である。
 
「傘」は、上から降下してくるものに対して直被しないように防護する目的の用具で、一般には手に持って差しかけて使う用具の総称をさし、頭部に直接かぶって使う用具である「笠」と区別される。
なお、ガーデンパラソルやマーケットパラソルなど携行を目的としない特殊な傘もあり、これらは地面に立てたり吊ったりして用いる。
 
傘は現代においては、雨や雪などの降水時に体や持ち物を濡らさないために使うほか、夏季の強い日射を避けるために使うことも多い。
 
日本書紀には百済聖王(聖明王)の使者が552年に欽明天皇へ幢幡を献上したと書かれている、当初は主に日射を避ける「日傘」として用いていたが、その後日本独自の構造的進化も見られ、降水に対して使うことが多くなっていった。

花の美術館・日時計

2019年06月28日 | 時計
山陽メディアフラワーミュージアム
日時計
影を利用して視太陽時を計測する装置。紀元前3000年、古代エジプトで使われていたが、起源はさらにその前の古代バビロニアにさかのぼると考えられる。日晷儀(にっきぎ)、晷針(きしん)ともいう。
 
古代ギリシア及び古代ローマで改良され完全なものができた。これはアラビアに伝えられた(アラビアの天文学ではこれをノーモン(gnomon) という)。
 
のちに、機械時計が発明されると、それにとってかわられた。現在は、主に庭園や建造物の装飾の一部として設置される。
 
昼間しか使えないこと、晴天時しか使えないことを除けば、古代以来、誰でも見たり使ったりできる時計は日時計のみであった。
 
現在もアナログ式時計を始めとする各種回転式メーター・つまみ式スイッチ・ねじなどのほとんどが、右まわり(時計まわり)に行くと数が増えたり機能として用を足す(スイッチが入る)仕様なのは、北回帰線以北では、常に日時計の針がこの向きで回ったためである。
 
なお、右利きの人は右回しの力が強いから、ねじなど、右回りが多いとも考えられる。
中世に発明された機械時計は当初、誤差が大きかったので、これを補正するためにも日時計は使われた。
 
日本では735年に吉備真備が唐から日時計を持ち帰ったとする記録がある。
現代におけるアナログ時計が基本的に右回りである理由として日時計が右回りであった為という説が有力である。
 
日時計の設置
日時計は緯度によって、指針を傾ける角度を変更しなければならない。大量生産された日時計は、設置場所に合わせて角度を変更する必要がある。日時計の指針の角度が固定されていて変更できない場合は、文字盤そのものを傾けて設置することにより補正する。イギリスでは指針の角度は45°のものが普通である。

完全に正確に動作させるには、日時計の指針は正確に天の北極(ほぼ北極星の方向)または天の南極を向かせる必要がある。日本国内では方位磁針の北は、天の北極から数度ずれているので、磁針を使って設置することは推奨されない。

 
均時差表
視太陽日は完全には一定ではない。これは、地球と太陽の距離や、地球の運動速度が一定でないことに起因する。
 
これによる補正は最大で16分29秒になる。また、夏時間を採用する国ではこれを補正する必要もある。
 
補正用の表は「均時差表」として日時計に添付され、当日の日付が分かると、日時計の示す時刻から何分加算または減算すればよいか分かるようになっている。
 
日時計の示す時刻は、設置場所の時刻であるが、日本国内ではこれを日本標準時(明石時刻)に調整する必要がある(その他の国でも、必要であれば、それぞれの国や地方の標準時刻に調整する)。
 
日本標準時との差は、設置者が計算しなければならない。5°ごとに20分の差が生じるので、たとえば明石から東へ5°離れた東京では、日時計の時刻から20分を減ずる。
 
固定式日時計では、この差は均時差表の中に組み入れるか、文字盤の時刻をずらすことにより修正する。
 
 
 
 
 
 
 
 
形状による分類
 
コマ形日時計
最も単純な日時計は、板の上に垂直に棒を1本立てたものである。
アラビアの天文学ではノーモン(gnomon)という。このまま指針を天の北極に向ける。文字盤の目盛りが均等になるという表示上の利点がある。
 
この型のものを日本語ではコマ型日時計という。形状は、丸い円盤の中心に棒を差し、そのまま斜めに立てかけたものを連想すると分かりやすい。
 
赤道式日時計
コマ形日時計に似た形式のもので、赤道式日時計がある。
文字盤がボウル状になっているだけで、目盛りの振り方は同じである。この形式のものは、第一次世界大戦前まで、フランスで列車を正確に走らせるために使用された。
 
最も正確な日時計はイスラム教の宗教暦(ヒジュラ暦)上の日付をはかるためにインドのジャイプールの権力者(カリフ)が石で造った赤道式日時計である。これは記念碑をも兼ねている。
 
垂直式日時計
建築物の壁にとりつけるものもある。この場合、文字盤の目盛りは三角関数を使用して計算されるため均等にならない。製造者たちは板を文字盤(face)、棒を指時針(ノーモン(gnomon))と呼ぶ。
 
板は明るい色が望ましい。これは影が暗いためである。指時針は、棒でも構わないが、強度の問題があるため、三角形の板状にされることが多い。
 
これをさらに金属で補強することもある。最高級品は大理石で製造される。腐食を抑えるためブロンズで製造されることもある。
 
この構造のものは日本語では垂直式日時計という。建造物が完全に真南を向いていなくても、設計により補正は可能。ただし、1日で最大12時間までしか表示できず、本体が建物自身の影に隠れると使用できない。
 
これを防ぐには複数の壁面に日時計を設置することになる。日本にはあまり見られないが、ヨーロッパ諸国では、多くの人が見られるよう、教会の壁などに巨大なものが設置された。
 
日本では大阪造幣局前の道路にあるが指時針は失われている。以前は造幣局近くの桜宮橋たもとにあったが、いつ・誰が設置したのか分かっておらず、新桜宮橋を架けるため現在の場所に移設された。
 
 
 

花の美術館・ハエトリグサ

2019年06月27日 | ★花シリーズ★
山陽メディアフラワーミュージアム
蠅捕草
北アメリカ原産の食虫植物。別名、ハエトリソウ、ハエジゴク。
葉を素早く閉じて獲物を捕食する姿が特徴的で、ウツボカズラと並ぶ有名な食虫植物である

 

英語の“Venus Flytrap”(女神のハエ取り罠)は、2枚の葉の縁の「トゲ」を女神のまつ毛に見立てたことに由来する。
 
ごく背の低い草本で、茎は短縮していて地中にあってわずかに横に這い、多数の葉をロゼット状に出す。
葉の付け根は肥大し、地下茎とともに鱗茎型の球根を形成している。葉には長い葉柄があり、先端に捕虫器になった葉を着ける。
 
葉柄は扁平で幅広く、地表に這うか、少し立ち上がる。捕虫器は二枚貝のような形で、周辺にはトゲが並んでいる。

ハエトリグサは葉が印象的なうえ、しばしば捕虫部の内面が鮮やかな赤色に色づくため、花と間違われることもある。
実際には葉と別の花茎が立ち上がり、その先に白い花が数個固まって咲く。この花のつき方は同じ科のモウセンゴケとも共通する。
 
 
 
 
 
 
ウツボカズラ
靫葛はウツボカズラ属の植物の総称でもあるが、その中の1種であるNepenthes rafflesiana Jackの標準和名でもある。
 
 
この記事はこの種について扱う。丸く膨らんだ捕虫袋と漏斗型のそれを付けるもので、東南アジアに比較的広い分布域を持つ。
 
常緑性の蔓植物で食虫植物。茎は細長く伸びて4mほどになるが、時として15mに達する例もある。
茎には白い綿毛が密生し、特に若い茎に多い[2]。捕虫袋や葉の形は茎の下部と上部で異なる。
 
下部の葉は葉身が披針形からさじ型で長さ8-30cm、幅1.5-5cm、葉柄は長さ2-10cmで楯溝と細い翼があり、その基部は茎の半分から2/3までを抱える。
 
そこから生じる捕虫袋は全体に球形から卵形で下が丸く膨らんでいる。よく発達した翼が縦に2枚あり、その縁は細かな糸状に裂ける。
 
袋の口にある縁歯はよく発達し、平らで袋の内部に向けて垂直に伸び、その幅は1.2-1.5cmになる。
 
 
 
 

花の美術館・薔薇

2019年06月26日 | ★花シリーズ★
 
 
山陽メディアフラワーミュージアム
バラ園
バラ(薔薇)は、バラ科バラ属の総称である。
あるいは、そのうち特に園芸種(園芸バラ・栽培バラ)を総称する。
バラ属の成形は、灌木、低木、または木本性のつる植物で、葉や茎に棘を持つものが多い。
葉は1回奇数羽状複葉。花は5枚の花びらと多数の雄蘂を持つ(ただし、園芸種では大部分が八重咲きである)。
 
北半球の温帯域に広く自生しているが、チベット周辺、中国の雲南省からミャンマーにかけてが主産地でここから中近東、ヨーロッパへ、また極東から北アメリカへと伝播した。南半球にはバラは自生しない。
名称
「ばら」の名は和語で、「いばら」の転訛したもの。漢語「薔薇」の字をあてるのが通常だが、この語はまた音読みで「そうび」「しょうび」とも読む。
 
漢語には「玫瑰」(まいかい)や「月季」(げっき)の異称もある(なお、「玫瑰」は中国語においてはハマナスを指す)。
欧州ではラテン語の rosa に由来する名で呼ぶ言語が多く、また同じ語が別義として「薔薇色」として「ピンク色」の意味をもつことが多い。
6月の誕生花である。季語は夏(「冬薔薇」「ふゆそうび」となると冬の季語になる)。 花言葉は「愛情」であるが、色、状態、本数、組合せによって変化する。
用途
現在では鑑賞用として栽培されることが圧倒的に多いが、他にもダマスクローズの花弁から精油を抽出した「ローズオイル」は、香水の原料やアロマセラピーに用いられる。
花弁を蒸留して得られる液体「ローズウォーター」は、中東やインドなどでデザートの香りづけに用いられる。
 
また、乾燥した花弁はガラムマサラに調合したり、ペルシャ料理では薬味として用いる。
日本では農薬のかかっていない花弁をエディブル・フラワーとして生食したり、花びらや実をジャムや砂糖漬けに加工したり、乾燥させてハーブティーとして飲用することもある。
日本での栽培の歴史
近代前
日本はバラの自生地として世界的に知られており、品種改良に使用された原種のうち3種類(ノイバラ、テリハノイバラ、ハマナシ)は日本原産である。
古くバラは「うまら」「うばら」と呼ばれ、『万葉集』にも「みちのへの茨(うまら)の末(うれ)に延(ほ)ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」という歌がある。
『常陸国風土記』の茨城郡条には、「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をかけさせた」とある。
常陸国にはこの故事にちなむ茨城(うばらき)という地名があり、茨城県の県名の由来ともなっている。
 
また、中国で栽培されていたバラもその多くは江戸時代までに日本に渡来している。
江戸時代初期には仙台藩の慶長遣欧使節副使・支倉常長が西洋からバラを持ち帰った。
そのバラは、伊達光宗の菩提寺の円通院にある光宗の霊廟「三慧殿」の厨子に描かれたため、同寺は「薔薇寺」の通称で呼ばれるようになった。
江戸時代には職分を問わず園芸が流行ったが、バラも「コウシンバラ」「モッコウバラ」などが栽培されており、江戸時代に日本を訪れたドイツ人ケンペルも「日本でバラが栽培されている」ことを記録している。
 
また、与謝蕪村が「愁いつつ岡にのぼれば花いばら」の句を残している。
ノイバラの果実は、利尿作用があるなど薬用に利用された。
 
明治以後
このように日本人にゆかりのある植物であるが、バラがいまのように「花の女王」として愛好されるようになるのは明治以降である。
明治維新を迎えると、明治政府は「ラ・フランス(和名:天地開)」を農業試験用の植物として取り寄せ、青山官制農園(いまの東京大学農学部)で栽培させた。
 
馥郁とした香りを嗅ごうと見物客がしばしば訪れたので、株には金網の柵がかけられたという。
まだ、バラは西洋の「高嶺の花」であった。
その後、バラが接ぎ木で増やせることから、優秀な接ぎ木職人のいる東京郊外の川口市の安行や京阪神地域の郊外・宝塚市山本で栽培が行われるようになった。
バラは皇族、華族、高級官僚といったパトロンを得て、日本でも徐々
に愛好され始め、生産量も増え始めた。大正から昭和のころには一般家庭にも普及し、宮沢賢治が「グリュース・アン・テプリッツ(和名:日光)」を愛し、北原白秋の詩にもバラが登場している。
第二次世界大戦で日本でもバラの栽培より野菜の栽培が優先され、生産が停滞する。
 
第2次世界大戦以後
しかし、戦後すぐの1948年には銀座でバラの展示会が開かれた。さらに1949年には横浜でバラの展示会が開かれ、そのときにはアメリカから花を空輸して展示用の花がそろえられた。
 
 
鳩山一郎や吉田茂などのバラの愛好は、戦後日本でのバラの普及に大いに貢献した。このように戦後の高度成長の波に乗り、バラは嗜好品として庶民にも普及していき、日本でも品種改良が行われるようになった。
バラ園の造園
バラの価格が安くなり、一般に普及し始めたとはいえ、花の観賞を楽しむことができるのは、庭を持つ比較的裕福な家庭に限られていた。そのため、私鉄各社は沿線開発の一環として、バラ園の造営を沿線に行い、利用者の増加を図ることになった。
その嚆矢は京阪電鉄であった。同社は戦前から枚方市で菊人形の展示などをおこなっていた。
キクが秋の風物であるなら、春の風物として独自のバラ園でのバラの展示をし、集客を計画した。
同社は「東洋一のバラ園」の造園をぶち上げ、当時、日本人ではただ一人の英国園芸協会会員で、バラの導入や品種改良で実績のあった岡本勘治郎をバラ園造営の監督に迎え、「ひらかたばら園」を開園するに至った。その後、社名が京阪薔薇園になる。

火曜日のランチ 冷麺

2019年06月25日 | 飲食物・麺類
 
冷麺
朝鮮半島由来の冷製麺料理。朝鮮語ではネンミョン、またはレンミョ。
冷やし中華と区別するため、韓国冷麺や韓国風冷麺などとも呼ばれる。
 
 
 
↑ 韓国焼き肉店 ↓
 
 
 
 
朝鮮半島における冷麺
ルーツは現在の北朝鮮にあり、平壌と咸鏡南道咸興が本場として知られる。韓国側には、1950年に朝鮮戦争が勃発した際、南に逃れた北朝鮮出身者を通じて本格的に普及したといわれている。
本来は寒い冬に暖かいオンドル部屋(温度調節がこまめに出来ないのでやや暑くなる)の中で食べる料理で、1849年に書かれた『東国歳時記』に「冬の時食として、蕎麦麺に菁葅(大根のキムチ)や菘葅(白菜のキムチ)を入れ、そのうえに豚肉を和えたものを冷麺という」との記述がある。
 
 
 
 
 
 
現在の韓国では夏の食べ物と認識され、大衆食堂は夏の間しか出さないが、冷麺専門店は冬も出している。
大きく分けて、平壌発祥のムルレンミョンと咸興発祥のビビン(ピビム)ネンミョンの2種類がある。
 
ムルは「水」の意で、ネンミョンにムルが冠されると朝鮮語特有の流音化によりムルレンミョンという発音になる。ビビン(ピビム)は「混ぜ」の意で、ビビンバのビビンと同じである。
 
ムルレンミョンは、固く締めた麺の上に下味をつけた肉類・ゆで卵・キムチ・錦糸卵・ナシなどを盛り付け、最後に肉のダシ(本来は牛肉や雉肉で取るが、現在は灰汁抜きした牛の脚の骨で取る店が多い)とトンチミ(大根の水キムチ)の汁を合わせた、ユッスと呼ばれる透明で淡泊な冷たいスープをかけて供される。
 
 
 
 
 
 
 
朝鮮半島では食器を手に持って食べることはマナー違反とされているが、ムルレンミョンに限ってはスープを飲む際に器を手に持ち、口をつけて啜っても良しとする韓国人も少なくない。
 
冷麺に先立って蒸し肉やピンデトッやマンドゥ(餃子)などをつまみに酒を飲み(「先酒後麺」という)、また食前に、日本における蕎麦湯のようにユッスが出てくることがあり、これは?油を入れて飲むのが平壌冷麺通の食べ方とされる。
 
ビビンネンミョンは、コチュジャン・酢・ごま油・砂糖などを合わせた辛いヤンニョムで麺を和え、肉類・ゆで卵・きゅうりの千切りなどを盛り付けて供され、食べる際によくかき混ぜる。
 
一般的に咸興冷麺として知られるのは、ヤンニョムをからめた魚の刺身(フ
ェ)を乗せたフェネンミョンで、魚はエイ(ガンギエイが多い)・カレイ・スケトウダラなどが使われる。
 
類似した料理にビビンククスがある。なお、咸興現地では咸興風冷麺のことをノンマグクスと呼ぶ。
「咸興冷麺」という呼称は、朝鮮戦争後、南へ逃れた咸鏡道出身者が名声ある平壌冷麺に対抗するため名付けたもので、北には元々なかった呼称だという。
 
麺は蕎麦粉を主原料とし、つなぎとしてデンプンや小麦粉を入れて練り、穴の開いたシリンダー状の容器で麺状に押し出してそのまま熱湯に落として茹で、茹で上がった麺(ネンミョンサリと言う)をすぐに冷水で冷やす。
 
 
 
 
 
 
平壌冷麺は蕎麦粉と緑豆粉が用いられ、太くて黒っぽく、嚙み切りやすい。咸興冷麺はジャガイモやトウモロコシなどのデンプンが用いられ、細くて白っぽく、?み切りにくい麺である。
 
麺は製麺機から押し出したままの長い状態で盛られ、本来は切らずにそのまま食べるのが良いとされるが、現在の韓国では調理用鋏で食べやすい長さに切って出す店が多い。
 
冷麺が名物の町には平壌と咸興のほかに慶尚南道晋州市がある。
1960年代以降廃れていたが、北朝鮮で1994年に発行された『朝鮮の民俗伝統』で「冷麺は北の平壌冷麺と南の晋州冷麺が第一である」と紹介され、そのことが南北交流で韓国に伝えられたことを機に2000年代に再興された。
 
現在提供されている晋州冷麺は、魚介ダシのスープ、弾力のある太麺、細かく刻んだ卵焼きと牛肉チヂミを盛り付けることなどが特徴である。
 
このほか、葛を材料にしたチンネンミョン、蕎麦粉だけで作ったメミルレンミョン、緑茶を麺に練り込んだノクチャネンミョン(綠茶冷)など、麺や味付けの違う冷麺が食されている。
夏場の大衆食堂では、ヨルム(間引きした大根の葉)キムチを乗せたヨルムネンミョンがよく出される。
 
地方によってはトトリ(ドングリ)の粉を練り込んだトトリネンミョンを出す店もある。
釜山を中心とする慶尚南道地方では、小麦粉を主原料とするミルミョン(??、小麦麺の意)が名物となっており、もとは北からの避難民がアメリカの援助物資を代用して平壌冷麺を再現しようとしたものといわれる。
 
冷麺から派生した料理には他に、軽食堂やファストフード店で提供されるチョルミョン(韓国語版、英語版、スペイン語版)(しこしこ麺の意)があり、千切り野菜やゆで卵と甘辛ソースを絡めて食べる。
 
1970年代に仁川の製麺所で冷麺を製造中に偶然生まれたもので、冷麺よりも太く固いことが名前の由来となっている。
 
著名な冷麺専門店に平壌の玉流館がある。韓国紙の報道によれば、平壌の冷麺の殿堂として1日に1万人が訪れるといわれ、2000年に金大中が訪れるなど海外からの旅行客や要人が案内される著名店となっている。
 
2007年9月に改装工事が始まり、2008年4月15日の金日成生誕日に新装開店した。東亜日報の取材によれば「韓国よりも麺が1.5倍くらい太くて、麺とスープの色が黄土色」で「スープは濃い鶏肉の香りを漂わせ、あたかも參鷄湯を冷やしたような感じ」であるという。
一方、咸興の代表的な冷麺専門店には新興館が挙げられる。
韓国食品医薬品安全処の衛生調査で、冷麺は2000件中47件で大腸菌が検出され、注意が喚起されている。
 
 
 
 
 
 
 
日本における冷麺
1939年(昭和14年)に神戸市長田で平壌出身の張模蘭と全永淑が開業した「元祖 平壌冷麺屋」が日本で朝鮮半島式の冷麺を提供する現存最古の店である。
 
現在、日本の多くの焼肉店で定番メニューとして提供されている。日本人の口に合うようアレンジされた冷麺も各地にあり、代表的なものに岩手県盛岡市の盛岡冷麺と大分県別府市の別府冷麺が挙げられる。
 
盛岡冷麺は咸興出身の在日朝鮮人1世である青木輝人(朝鮮名:楊龍哲)が1954年(昭和29年)5月に開業した「食道園」が発祥で、1987年(昭和62年)に「ぴょんぴょん舎」を開業した在日2世の邊龍雄らが「盛岡冷麺」というブランド名を確立させた。
 
小麦粉を主材料とする透明感のある太麺が特徴である。盛岡冷麺の生麺は「さぬきうどん」などとともに公正取引委員会から「特産」「名産」などの表示に基準が設けられた10品目の一つにもなっている。
 
別府冷麺は1950年(昭和25年)頃に満州からの引揚者が開業した店が発祥とされる。和風ダシのスープが特徴で、麺は店によって太麺と中細麺の2種類ある。
食堂やラーメン屋や居酒屋などでも提供されるメニューとなっており、金属製の器ではなくラーメン用の丼鉢などに盛りつけられる。

花の美術館・紫陽花二種

2019年06月24日 | ★花シリーズ★

ハイドランジア フラウユウ

アジサイ(ハイドランジア)の基本情報
学名:広義;Hydrangea macrophylla
狭義;Hydrangea macrophylla f.macrophylla
和名:狭義;アジサイ(紫陽花)  

その他の名前:広義;ガクアジサイ、アジサイ、セイヨウアジサイ、モモイロアジサイ、ガクソウなどを含めた名称
科名 / 属名:アジサイ科 / アジサイ属(ハイドランジア属)
アジサイは、世界で広く親しまれている日本産の落葉低木で、梅雨どきに咲く代表的な花木です。

丈夫で育てやすく、乾燥しないように気をつければ鉢植えでも庭植えでも容易に栽培することができます。
 
アジサイの名は、広義には、アジサイ属(ハイドランジア属)のうち、椀状や円錐状の花序をつける植物の総称として使われています。
 
狭義には、ガクアジサイが変化した手まり咲きのアジサイを指します。ガクアジサイは椀状の花序の周辺だけが装飾花で額縁のように見えますが、手まり咲きは花序全体が装飾花に変化したもので、H.macrophylla f. otakusaの学名を当てることもあります。
 
花色は、土壌の酸性度に影響されます。青色の花は酸性土壌でよく発色するので過リン酸石灰や硫安を施すとよく、赤色の花は、消石灰や苦土石灰を施し中性から弱アルカリ性にするとよく発色します。
 
※科名:ユキノシタ科で分類される場合もあります。
 
ハイドランジアティファニー







花の美術館・紫陽花

2019年06月23日 | 高齢者講習
ヤマアジサイ白扇
白扇はライムグリーンの花色が、咲き進むにつれ純白に変化していく紫陽花です。
とても爽やかで清楚な印象で、ふっくらとしたガクの大きな山紫陽花です。
コンパクト品種なので鉢植えにもおすすめ! 庭植えでしたら、落葉樹の下に植えてシェードプランツとして♪ 育て方 ユキノシタ科の落葉低木。 花時期は5月~7月。 
耐寒温度約-5℃(環境・生育状況により変わります) 明るい半日陰くらいの場所で西日を避けて育ててください。
水やりは鉢植えの場合、土の表面が乾いたら鉢底から流れ出るくらいにたっぷり! 夏の水切れに特に注意! 剪定は花が終わったらすぐに花のついた部分の1、2節下で切るようにします。
 秋ごろにふっくらとした花芽がつきますので、冬になって落葉したらその花芽の上でもう一度剪定すると樹形良くまとまります。
何年か花をつけた枝は落葉期に根元付近で切り戻し、他の若い充実した枝を伸ばすようにしてください。 生産者 吉岡麗子さん。
 
 
 

ハイドランジアモナリザ
鉢植えの花は冷たい風に当たると傷みやすいので室内に置いてください。
鉢の大きさに比べて株が大きいものが多く、多くの水を欲しがりますので水切れには注意してください。
ハイドランジアは丈夫で根の生育も早いので、開花株は根がぎっしり張っているはずです。
いわゆる根詰まりの状態ですから、花が長持ちしないばかりか葉も悪くなっていきます。
よって、すぐに植え替えることをお勧めします。また、花が終わったら早めに花茎を切って植え替えましょう。
具体的には、花の下二節目の下で切り葉を2/3くらい残して、根鉢を1/4程度くずして一回り大きい鉢に植え替えます。
置き場所は、梅雨以降は強い直射日光を避けた場所に置き、暑さも去った9月中旬以降からは日光に十分当てるようにします。
 
 
 
 

花の美術館・新品種 紫陽花

2019年06月22日 | ★花シリーズ★
山陽メディアフラワーミュージアム
新品種
ヤマアジサイ「立馬の小次郎」

 
テマリ咲きの園芸アジサイ(渥美交配)です。

装飾花は薄青色で底白、縁には鋸歯があり、花房は平たいテマリ咲きとなります。
 
人為的に交配された品種ではありますが、株の姿はヤマアジサイそのものです。
 
このあじさいの作られた所が、愛知県の渥美半島の先端の方にある立馬崎という場所だからだそうです。
 
「小次郎」とは、このあじさいの作出者の飼い猫の名前でした。
 
 
 
 
 
 

ハイドランジア「宵の星」
淡いブルーの花色にホワイトの絞り模様が入る珍しい山紫陽花です。
 
加茂菖蒲園作出の西洋紫陽花と山紫陽花の掛け合わせから生まれた紫陽花です。
古来より日本に自生する山アジサイと西洋アジサイを交配によって誕生した小輪多花性の新品種です。
 
ハイドランジアと呼ばれる西洋の紫陽花と異なり大ぶりな派手さではなく、 小振りな楚々とした美しさが人気の紫陽花で耐寒性が非常に強いので、鉢植えはもちろん、庭植えにもオススメの逸品です。
 
「ガーデンアジサイ」とも呼ばれ、日本の土壌や気候にも相性が良いので 色変わりすることもなく、庭に植えて毎年楽しむ魅力な庭植えにぴったりなアジサイです。
 
 
 
 
 

花の美術館(煙の木)

2019年06月21日 | ★花シリーズ★
 
山陽メディアフラワーミュージアム
スモークツリー



 
ウルシ属に近縁な、雌雄異株の落葉樹です。
初夏に咲く花木の代表で、ヨーロッパから中国に分布します。
 
 
雌木の枝先につく花序は長さ約20cmで多数枝分かれし、花後に伸びた花柄が遠くからは煙がくすぶっているように見えます。
 
 
雄木は花序が短く、煙状にはなりません。横に広い円形の樹形が美しく、秋の紅葉も楽しむことができます。
 
 
 
銅葉や黄葉の園芸品種も栽培されています。
成長が早く、枝が横に張るので、庭植え向きです。ある程度の広さを確保できる場所を選んで植えつけます。
 
 
 
日当たりと水はけがよく、腐植質に富んだ場所を選びましょう。根が浅く、風で折れることがあるので、強風が当たらない場所が適しています。
 
 
 
水やり
植えつけ後しばらくは乾いたら与えますが、その後は必要ありません。
 
 
肥料
生育が悪いときは、寒肥として12月から3月に緩効性化成肥料(チッ素N-リン酸P-カリK=10-10-10など)や固形の油かすを施します。
 
 
 
 

花の美術館 柏葉紫陽花

2019年06月20日 | ★花シリーズ★
 
山陽メディアフラワーミュージアム
柏葉紫陽花
カシワバアジサイ(柏葉紫陽花ユキノシタ科)アジサイ属の落葉低木。原産地は北米東南部。花の色は白。
葉の形がカシワに似ていることが、和名の由来。花は円錐状あるいはピラミッド型に付く独自の形状をしており、5月〜7月に真っ白い花を付ける。
 
八重咲きと一重咲きがある。一般のアジサイとは異なり全体の印象としては木のボリュームに比し、花が少ないのが特徴。
葉には切れ込みがあり、秋には紅葉する。
古くから日本にもあったが、最近、一般に出回り始めた。

樹高 50〜200cm
栽培
アジサイとほぼ同様の管理でよいが、夏の直射日光に長時間当たると葉焼けを起こすため、午後は日陰になるような場所が最適。
開花期に買ってきた苗は秋に植え替える。
剪定は開花後、花の下2節くらい下で行う。遅れると翌年開花しない場合があるため、7月いっぱいまでに行う。
乾燥を嫌うため、鉢植えの場合は要注意。ただし、落葉後は乾燥気味に管理する。 時折、追肥を施す。
柏葉紫陽花の名所
西林寺 都麻乃郷あじさい園
兵庫県西脇市にある高野山真言宗の仏教寺院。山号は栢谷山(かやだにさん)。
別名あじさい寺といい、あじさい数万本が植生する「都麻乃郷(つまのさと)あじさい園」を有する。

白雉2年(651年)、法道による開創と伝わる。 平安時代中期に源信(恵心僧都)により中興された。
江戸時代初期(1665年)に播磨西国三十三箇所第20番霊場に選ばれる。
東勝寺 宗吾霊堂
東勝寺(とうしょうじ)は、千葉県成田市にある真言宗豊山派の寺である。山号は鳴鐘山。義民・佐倉惣五郎の霊が祀られていることから宗吾霊堂(そうごれいどう)と広くよばれる。
 
開創年代等については不詳であるが、寺伝によれば桓武天皇の勅命により、坂上田村麻呂が創建したという。
たびたび火災にあって寺地を転々とし、1662年(寛文2年)澄祐により再興され下方字鐘打に移った。1910年(明治43年)火災により焼失し、1921年(大正10年)現在地に再建された。

山陽メディアフラワーミュージアム

2019年06月19日 | ★花シリーズ★
 
クレオメ和名は「西洋風蝶草」 
 
 
原産地は熱帯アメリカ、英名は「スパイダー(蜘蛛)フラワー」
原産地は南米のブラジル、アルゼンチン、パラグアイなどの熱帯地域。
 
春蒔きの1年草で、熱帯育ちだけあって暑さに強く猛暑の中で可憐な小花を次々に咲かせる。
草丈は1m前後。花は長い柄を持った4弁花で、ピンクや白、赤紫など涼しげなパステルカラーが中心。その花びらの中心から太い雌しべと4本の長い雄しべが飛び出る。
 
明治時代の初めにヨーロッパ経由で日本に渡ってきた。和名は「セイヨウフウチョウソウ(西洋風蝶草)」。
花が夏風に揺れる様子を蝶が舞う姿に見立てた。
クレオメはフウチョウソウ科クレオメ属。「クレオメソウ」とも呼ばれる。
 
 
長い葉柄とその基部に棘(とげ)があることから「ハリ(針)フウチョウソウ」の異名もある。さらに中国名から「スイチョウカ(酔蝶花)」と呼ばれることも。
ちなみにクレオメはギリシャ語で「閉じる」を意味する「kleio」に由来するという。和名の頭にわざわざ「西洋」と付くのは、別属の植物に「フウチョウソウ」(今は日本でほとんど見られない)があることによるらしい

火曜日のランチ

2019年06月18日 | 冷やしたぬき
 
冷やしたぬき
たぬきそば・たぬきうどんは、天かす(揚げ玉)を入れた蕎麦やうどん料理であるが、地方によっては呼称や調理法が異なる。
 
ネギや鳴門巻などを入れる場合もある。冷やした蕎麦やうどんに、冷たいつゆと天かすを入れたものは「冷やしたぬきそば・冷やしたぬきうどん」と呼ぶ。
 
 
 
 
歴史
大正時代、東京で揚げ玉を無料で出していたところ人気となり、東京では後に有料となったことから地域差が生まれた。
戦時中にはパーッと広がる様子から「バクダン」とも呼ばれた。
 

語源
語源には諸説ある。蕎麦や饂飩の「たぬき」が表す料理は地方によって異なる料理を示す事もありそれぞれ異なる説もある。
 
天かすを入れたものをたぬきと称する事に関する説

タネ抜きの転訛であるとする説
 
タネ抜きの転訛であるとする説

天ぷらの「タネ」を入れない(タネを抜いた)揚げ物の「タネヌキ」であり、そば屋で「ぬき」を頼むと天ぷらそばのそば抜き(そばつゆに天ぷらだけが入っている)が出てくるのと同様で、「タネ抜き」を語源に「たぬき」とした説。
 
 
世田谷区砧(キヌタ)家で始めたキヌタソバがその始まりだという説があり、「きぬた」を逆さに読んだ。
 
天かすの印象が腹を膨らませた「たぬき」の様子を連想させることに由来するという説。
 
油揚げを入れたそばの語源に関する説

うどんの麺の白に対して、そばの麺の黒を「たぬき」に例えたとする説。
 
関西においては、そばよりうどんが一般的に好まれているとされる事を元にして「うどんからそばに化けた」事から「たぬき」と呼ばれるようになったという説。
感じがすることから「たぬき」と呼ばれるようになったという説
 
 
 
 
 
各地方の特徴
地方によって名称や特徴が異なる。
 
北海道
過去に北海道ではかき揚げをのせたものをたぬきと称すると書かれた文献もあるが、昭和の時代から北海道でもたぬきそばは天かすを入れたそばであり、かき揚げを乗せたそばはかき揚げそばと称するのが一般的である。
 
東日本
東日本において、「たぬき」は一般には揚げ玉(天かす)をのせたものを指し、たぬきそば・たぬきうどんは、かけよりも価格は高く設定されていることが多い。
蕎麦屋によっては、揚げ玉を「たぬき」として売っているところがある。
 
石川
たぬきうどんは、揚げ玉入りのうどんであるが、金沢市では京都と同じたぬきうどんを出す店もある。
 
京都
京都では刻んだ油揚げの上から葛餡を掛けたうどんを「たぬき」と呼ぶ。
大阪で一般的にいわれる「たぬき」とは異なるため、単に「たぬき」とだけ注文された場合には店側がうどんのものかそばのものか念を押すことがあるとされる。
 
大阪
大阪では油揚げを乗せた「そば」を「たぬき」と呼ぶ。油揚げは甘辛く味付けしたものである(当地のきつねの台を蕎麦にしたものが「たぬき」)。
大阪周辺の立ち食いうどん店などでは揚げ玉は無料で提供されている事がある。
 
中四国・九州北部
この地域では「ハイカラうどん」という名で売り出している店もある。なお、「はいから」はいわゆる「きつねうどん」の別称でもある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

山陽メディアフラワーミュージアム

2019年06月17日 | ★花シリーズ★
花の美術館

6月16日久し振りに千葉市にある「花の美術館」へ行ってみた。
千葉県千葉市美浜区(稲毛海浜公園内)にある美術館。
 
 
 
 
 
植物園としての性格を併せ持ち、館内・屋外庭園合わせて約48000株の草花が植えられている。
1995年8月25日から10月22日にかけて開催された、第12回全国都市緑化ちばフェアのテーマ館「花の美術館」として開設。
 
緑化フェア閉幕後の1996年4月2日に、千葉市の緑化啓発の拠点として再開館した。
温室棟、展示棟、休憩棟と、屋外の前庭、中庭、後庭などで構成され、あわせて約1600種、48000株の植物が植栽されている。
 
温室には、熱帯、亜熱帯植物が育ち、展示棟では室内花壇の他に花に関連した多彩な活動が行われ、企画展示、講習会の開催や園芸相談も受け付けている。
 
2011年3月11日に発生した東日本大震災で被害を受け一時閉鎖されたが、後庭のローズガーデンの部分オープンを経て、9月16日に再開した。
 
 
2013年1月、命名権を三陽メディア株式会社が3年間の契約で取得し、「三陽メディアフラワーミュージアム」の新名称が使われることとなった。
施設
展示棟・温室・休憩棟(レストラン)と、屋外の前庭・中庭・後庭・脇庭で構成され、このうち前庭・後庭・脇庭は無料で観覧できる。館内・屋外庭園合わせて約1600種、48000株[1]が植えられている。
 
 
 
展示棟
1階アトリウムのフラワーガーデンでは四季折々の花が展示されているほか、みどりの相談員による相談コーナー、ポプリやハーブティーなどを販売する売店がある。
花工房は一般への貸切利用も行われている。モネサロンでは、クロード・モネの「睡蓮」のレプリカが展示されている。
2階には、食用花やハーブを栽培する屋上庭園、花の精油や木材の性質などを楽しみながら体験できるフラワー体験カフェ、市民が絵画等を展示できるギャラリーなどがある。
 
 
 
 
温室
熱帯・亜熱帯植物や、洋ランが栽培されている。
 
屋外庭園
前庭にはポピーなどの一年草を中心に栽培されている。園路沿いに細長い花壇が設けられた脇庭を抜けると、バラ園がある後庭に出る。後庭には、団体利用者が雨天でも昼食をとれるようバンガローが設けられている。
 
 
コアジサイ(小紫陽花)
アジサイ科アジサイ属の落葉低木。別名、シバアジサイ(柴紫陽花)。
 
樹高は1-1.5mになる。 葉に長さ1.2-4cmになる葉柄があり、枝に対生する。葉の形は卵形から倒卵形で、先は鋭尖形、基部は円形または広いくさび形になり、長さ5-8.5cmになる。縁は規則的で大きな鋸歯がつき、葉の表面、裏面ともに毛が散生する。
 
花期は6-7月で、径5cmほどの花序を枝先に複散房状につける。アジサイ属に特徴的な装飾花はなく、すべてが普通花で両性花だけからなり、白色から淡青色の5弁花が密集する。

ムラサキカタバミ

2019年06月17日 | ★花シリーズ★
 
ムラサキカタバミ(紫片喰、紫酢漿草)は、カタバミ科カタバミ属の植物。
葉が三葉であるため、クローバーど混同されがちである(花はシロツメクサ/アカツメクサ)。
 
南アメリカ原産であるが、江戸時代末期に観賞用として導入されて以降、日本に広く帰化している。

環境省により要注意外来生物に指定されている。
他にも、北アメリカ、オーストラリア、熱帯アジアなどに帰化している(写真・5月20日自宅で)。
 
特徴
背丈は約30cm、地下に鱗茎があり、地上には葉と花柄だけを伸ばす。葉は三出複葉、小葉はハート形、裏面の基部に黄色い腺点がある。
 
 
花は主に夏に咲き、葉の間から伸び出した花柄は葉を越えて伸び、先端に数輪を散形花序につける。花は桃色。種子は付けない。繁殖は鱗茎の周囲に小さな鱗茎を生じることで行われる。
 
利害
元来は観賞用に栽培されたものであるが、現在では畑地を中心に広く見られる。
土の中の鱗茎を取り尽くすのが難しいので、駆除の困難な雑草であるが、草の丈が低く柔らかいため雑草の刈り取りから殆ど無視される対象でもある。
 
 
葉を刈り取った場合、殆ど畑に鋤き込まれ肥料となることもある。
また、葉が一面に茂るため、他の大型の雑草の生育を阻害する。
 
また、石垣に生えた場合は、葉が石垣内への雨水の侵入を防ぎ、鱗茎とあわせ、石垣内の土の流失を防ぐ役目もするなど益草としての一面も持つ。
 
独特の色合いで美しいが、より花の鮮やかな種が多く導入され、また雑草としてもありふれているため市販されることはほとんどない。
 
他に、葉を根元から抜き、葉柄の芯を取り出してそれの先端に葉がぶら下がった状態を作り、それを絡め合わせて引っ張り合い、どちらの葉がちぎれるかを競う子供の遊びがある。

ベトナム紀行・其の83ビュッフェ

2019年06月15日 | ベトナム紀行・其の83ビュッフェ
 
ビュッフェ
ビュッフェ(buffet)とは、フランス語で立食形式での食事の意。ビュフェやブッフェともいう。
 
 
 
ビュッフェはフランス語ではもともと「飾り棚」を意味し、飾り棚に料理を並べて各自が料理を好きに取り分けて立食するスタイルを指した。
 
メインテーブルに並べられた料理を各自が取り分ける立食形式の食事を「ビュッフェ」と呼ぶ。
 
さらに客側がセルフサービスで料理を自由に皿に取り分けるスタイルそのものをビュッフェと称することもあり、
その場合には立食形式のほかシッティング・ビュッフェ(元卓の料理をセルフサービスで取り分け自分のテーブルで着席して飲食する形式)を含む。
 
国際儀礼では立食形式のパーティが「レセプション」として開催されることがある。
 
 
 
 
ビュッフェスタイルの特徴
ビュッフェスタイルでは料理が並べられたビュッフェテーブル(ビュッフェボード)に自由に移動して自らが食べる分だけ皿に取り分ける。
 
 
フォーとは、ベトナム料理の平たい米粉麺である。
形は日本のきしめんに似るが、原料は米粉と水であり、ライスヌードルの一種である。
 
水に漬けた米を挽いてペースト状にしたものを熱した金属板などの上に薄く流し、多少固まったものを裁断して麺の形状にする。
 
 
中国広東省潮州市の粿條、広州市の河粉、広西チワン族自治区桂林の「切粉(中国語: チエフェン)」などとほぼ同様のものである。
 
本場はベトナムでも北部であり、南部ではフォーよりもフーティウやブンが好まれる。 
 
来客者が全員着席して給仕人が料理をそれぞれに運ぶ形式のランチやディナーに比べるとインフォーマルな形式とされる。
ビュッフェスタイルは国際儀礼などでも用いられる形式であるが、マナーとして次のようなものがある。
コース料理と同様に前菜、メイン、デザートの順に何回かに分けて料理をとる。
 
立食形式では皿やグラスなどを一度に持ちすぎず、両手にお皿を持って歩かない。
一般的に冷たい料理から温かい料理へと皿は並べられており、冷たい料理と温かい料理は混ざらないよう別の皿を使う。
 
またソースが混ざりそうな料理も一つの皿に組み合わせない。
メインテーブルにセットされている料理を取り分けるときは時計回りに取る。

次の料理をとるときは一度使った皿は再度使わず新しい皿に取り替えてから料理を取る(ビュッフェ形式では使った皿の枚数が多いほどマナーが良いという考え方がある)。
 
ビュッフェ・サービス
ビュッフェ・サービスとは、テーブルセッティングなどはサービス・スタッフが行うが、料理は客が自分の好きなものをビュッフェボードで自由に取り分けて客席に戻るサービス方法。
アメリカやヨーロッパのホテルでは高級化されたビュッフェ・レストランが増加しているといわれ、日本のホテルではレストランでの朝食サービスなどに採用されている。