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★セブ島の旅・其の8★ボホール島最古の教会・其の3

2012年12月29日 | ★旅行★外国
ローマ教皇

ベネディクト16世
カトリック教会が他のキリスト教諸教派と比べて特徴的な点として、まずあげられるのはローマ教皇と信徒の位置付けである。ローマ教皇とは、カトリック教会の総代表者で、全カトリック教会の裁治権と統治権を持つものである(日本語では「法王」と呼ばれることも多いが、カトリック教会での正式名称は「教皇」であり、「法王」という言い方は日本国にとってのバチカン市国の首長を表す外交用語でしかない)。

ローマ教皇は使徒ペトロによる使徒座の後継者であり、現在はバチカンに居住する。なお、「使徒座」という言葉はバチカン市国の行政組織を指す場合もあり、その用法においてはローマ教皇庁とも呼ばれる。バチカン市国は1929年に成立した独立国であるが、カトリック教会が政治的に特定の国に組み入れられることなく、独立していることを示す意味がある。

『カトリック教会のカテキズム』第882項は『教会憲章(Lumen Gentium)』を引用して次のように述べている。「『教皇が、ローマの司教にしてペトロの後継者である』ことが、変わらず目にみることのできる信仰の源泉にして基礎である。」

教皇首位権はペトロに由来する立場と権能によって行使される教皇不可謬性を含む。これは「信仰と道徳に関して、教皇が教会の頭として使徒座(Ex Cathedra)から荘厳に宣言する」場合に関して教皇は誤り得ないという教義である。これはあくまで非常に限定された場合であり、通常の理解ではその首位権というのは、全司教の中におけるローマ司教の優位権のことを指している。

教皇選挙に関する最新の規定は1996年の使徒憲章「ウニベルシ・ドミニ・グレギス(Universi Dominici Gregis)」に示されている。そこで定められているのは、教皇選挙においては選挙者たる枢機卿団は外界との連絡から隔離され、システィーナ礼拝堂において議論と投票を繰り返すということである。この選挙をコンクラーヴェという。新教皇の決定にいたるためには投票者の三分の二以上の票を集める必要がある。また慣例によって、教皇選挙に参加できるのは80歳未満の枢機卿に限られる。

教会法の規定によって、教皇は自主的に退位することが可能である。歴史的にも自主的に教皇が退位したことは何度かあった。しかし、最近のものでも1415年に大シスマの終息のために退位したグレゴリウス12世のケースであり、それ以降は現代に至るまで見られない。他に退位した有名な教皇として1294年に退位したケレスティヌス5世のケースがある。彼はダンテの『神曲』の中で教皇位退位の咎により地獄で責め苦を受けるさまを描かれているが、これはあくまでダンテの解釈であり、カトリック教会からは1313年に列聖されている。

枢機卿団は、教皇庁で働く高位聖職者や世界の重要な司教区の司教たちの中から教皇によって任命される。教皇選挙に参加できるのは80歳未満の枢機卿であるという慣例を逆手にとって、80歳以上の聖職者で教会に大きな貢献をしたものが名誉職的に枢機卿にあげられることもよくおこなわれる。そのような枢機卿の中には、神学者やヴェトナムなどで政府によって長期にわたって投獄されていたような司教も含まれる。

枢機卿制は1059年に教皇選挙権がローマとその郊外に在住する聖職者に限定されたことに由来する。これは枢機卿団の本来の目的が教皇の顧問団であったことを示している。枢機卿をあらわす英語のcardinalという言葉はラテン語のカルド(蝶番)に由来している。やがて、ローマ以外の聖職者でも教皇に任命されることで枢機卿団に加わり、ローマで働くという制度が確立してゆく。






















司教

司教は使徒たちの後継者であり、教え、聖化し、統治する務めを与えられた者である。ローマ教皇もまた、司教の一人であるが、使徒ペトロの権能を引き継いでいるとみなされ、司教団の中における特別な地位を認められている。なお、東方教会(東方典礼カトリック教会)の一部では「総大司教」がいて、教会の首長となっている。

司教の本来の職務は、教区の責任者として教区内の教会を統治することで、キリストの代理者として、司祭・助祭の協力を得て司牧の務めを果たすものとされている。通常の司教(教区司教)のほかに、(大司教など職務の多い)司教を補佐するために「協働司教」や「補佐司教」が任命されることがある。

司教座(教区司教)が何らかの事情で空位となった場合、協働司教は直ちに教区司教に着任して職務を引き継ぐことになるが、補佐司教はそのような継承権を持たない。また、特定の教区を管轄していなくても、教皇庁における職務に就くために司教に任命されるケースもある。

司教は、按手と祈りによって司祭・助祭に叙階の秘跡を授ける権能を与えられるが、司教もまた叙階の秘跡によってその地位を受けるものである。(ただし司教叙階の場合は、教皇から委任された司教だけが司教叙階を執行することができ、少なくとも2名の共同聖別司教が必要である、と教会法で規定されている。)叙階の秘跡の効果は生涯消えることはないため、高齢等によって司教の実質的な職務を引退した後や、司教の職務を停止された場合でも司教の権能・称号は終生保たれる。

なお、司教の中には「大司教」や「総大司教」といった地位に上げられるものもいるが、これらは叙階の秘跡による位階ではなく、教区の規模に応じて定められた教会行政上の職掌を表すものである(例えば、「司祭」が「司教」に叙階されることはあっても、「司教」が「大司教」に叙階されることはない)。

地域の司教たちは定期的に会合を開いて、さまざまな問題について討議する。これを司教会議(シノドス)という。シノドスでは典礼などの問題に関しては決議することが出来るが、特定の司教の処遇に関してなどの決議のためには、有資格司教の三分の二以上の同意と教皇庁の裁可が必要とされている。

司祭と助祭

司教は、司祭と助祭によってその職務を補助されている。カトリック教会の聖職者(司教・司祭・助祭)は独身の男性に限られ、叙階の秘跡を受けることで選ばれる。司祭には、教区に属する教区司祭(かつて「在俗司祭」とも呼ばれた)と、修道会に属する修道司祭とがあり、どちらにも属さないフリーの司祭というものは存在しない。

歴史的には使徒たちの多くや初期の聖職者たちは既婚者であったが、西方教会においては古代教会から司祭の独身制は推奨されており、修道会出身の教皇グレゴリウス7世によるグレゴリウス改革以降、上級聖職者(司教、司祭、助祭)の独身制が徹底されてきた。ただ例外として、東方典礼を行う教会(東方典礼カトリック教会)やプロテスタントなどからの改宗者の場合は既婚者が例外的に認められる事がある。また、第2バチカン公会議以降、終身助祭(司祭となる事を前提としない助祭)の制度が再興され、この場合のみ既婚男性の叙階が認められている。しかし、どちらにしても叙階後の結婚や既婚者の妻が亡くなった場合の再婚は認められていない。

また、教皇パウロ6世の時代まで、守門、読師、祓魔師、侍祭という「下級聖職(下級品級)」および副助祭という聖職位階が存在したが、1972年8月15日に発布された自発教令「ミニステリア・クエダム」によって1973年に廃止され、現代では聖体奉仕者と祭壇奉仕者の二つの「奉仕職」に改められて、かつてのような聖職位階として扱われることはなくなった。

今も日本の歴史書や歴史教科書にそのように書かれることがあるが、かつてのカトリック教会においては教皇を頂点に、司教、司祭、信徒がいるというピラミッド型のヒエラルキー構造が強調される傾向があった。しかしこれは第2バチカン公会議以降に見直され、現代では従来の聖職者至上主義の修正が図られていて、「神の民の教会論」により、すべての信徒がキリストの祭司職にあずかっていて教会の宣教活動、典礼活動、司牧活動を遂行する者であるとしている。この信徒の使命は「信徒使徒職」と呼ばれている。出典・ウィキペディアフリー百科事典。


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