年始初のゴミ出し日。いっぱいゴミ出たなあ。燃えないゴミは10日。それでもまだ部屋に物はいっぱい。なんとか減らしていきたい。
— 中村有里 YURI NAKAMURA (@yurys) 2019年1月4日 - 10:33
そうだったのね! twitter.com/yofune_kikaku/…
— 中村有里 YURI NAKAMURA (@yurys) 2019年1月4日 - 15:53
「男の臆病が世界を壊す」って言葉が浮かぶ。臆病って虚勢と表裏一体で、戦争が始まるきっかけとか、凶悪事件の発端にそういう臆病がないか? 臆病というより、自信がないのにどっか尊大っていうか・・これはセカイ系の話とつながるかな? 何言いたいか分からなくなってきたぞ・・・
— 中村有里 YURI NAKAMURA (@yurys) 2019年1月4日 - 18:51
でも、女性には臆病って言葉は本質的にマッチしない気もする。女性の臆病は、その場できゃーって怖がっておしまいだけど、男の臆病ってのは、ずっとその恐れを引きずるがゆえに全く違うところで他の問題を引き起こしてしまうような、プライドの裏返しだったりめんどくささ100万倍みたいな…
— 中村有里 YURI NAKAMURA (@yurys) 2019年1月4日 - 18:56
傷つけられることに対する耐性のなさというか、エヴァとか見てると(実はまだ97年劇場版の一部しか見てないのですが)、私の中にもある男性的な脆弱性をくすぐられる一方で、それを、いつまでうだうだ言ってんだよって蹴り飛ばしたい衝動にもかられる。男と女ってなんなんだ…ってこの歳にして思う
— 中村有里 YURI NAKAMURA (@yurys) 2019年1月4日 - 19:01
このところやっと、エヴァとか少しずつ見始めたりして、シンジ君的ナイーブさが自分の中にも根強くある一方で、なんだよ、中二病かよ!って突き放したい衝動にもかられ、今の世の中読み解く鍵が、自分の中のこのアンビバレント界隈にないかなとか思ったりして…すいません、考えまとまらず垂れ流しで…
— 中村有里 YURI NAKAMURA (@yurys) 2019年1月4日 - 19:08
本当に、もうおばあちゃんにだってなれる年齢で、なんで私はこんなことを考えているのだろうか。女のこういうのって、男の人からは嫌われるんですよね・・
— 中村有里 YURI NAKAMURA (@yurys) 2019年1月4日 - 19:11
ただね、安倍政権がいろいろ問題ありながらなぜ選挙で負けないのかってことの裏側とか、現代日本の生きづらさの背景にあるのは、こういう男の子の臆病とか脆弱みたいなものと女の子の諦観みたいなものが遠くにあるのかなと思い、実際の事件とか作品からそういうこと考えたいなと…また垂れ流し
— 中村有里 YURI NAKAMURA (@yurys) 2019年1月4日 - 19:20
そして、エリートの人たちとかメディアって、以外とそういう部分を見落として世の中を語ってそうな気がするから・・
— 中村有里 YURI NAKAMURA (@yurys) 2019年1月4日 - 19:21
でも、岡崎京子のマンガとか見てると、この男の子と女の子が逆の時もある気がするし(もうしばらく開いてないからうろ覚えだけど)、一言では語れないなあ・・。
— 中村有里 YURI NAKAMURA (@yurys) 2019年1月4日 - 19:31
紅白登場で米津玄師の「Lemon」の歌詞が再び話題となっているが、「あみこ」のレモンといい、去年はレモンの年だったなあ。レモンって果物すごいよ・・。もっとも詩的な果物。そして、レモンは「ほとばしる」。一旦、皮がやぶければ、ほとばしるからこそ、爆弾にもなりうるのだろう。 #レモン
— 中村有里 YURI NAKAMURA (@yurys) 2019年1月4日 - 20:10
ほとばしるレモンと死のイメージはやはり高村光太郎の「レモン哀歌」を思い出す。智恵子がレモンを「がりり」とかじった瞬間に広がるのはとばあず色の香気。「Lemon」では「切り分けた果実の片方のように」。レモンをかじるあなたはもういない。>>続く #レモン
— 中村有里 YURI NAKAMURA (@yurys) 2019年1月4日 - 20:19
承前>レモンを半分に切った瞬間に立ち上がる芳香、霧のように飛び散る果汁を頬に感じ、瞬間に別れた人とのことを思い出す。切なさ、後悔、企み、かすかな希望、痛み…レモンが喚起する言葉数知れず。それだけのイメージを内に秘めたレモンだからこそ、半分に切ると「光」がこぼれるのだろう。#レモン
— 中村有里 YURI NAKAMURA (@yurys) 2019年1月4日 - 20:22
レモンと死のイメージが結びつくことはなんとなく誰もが感じることだろうと思うけれど、高村光太郎の「レモン哀歌」は決定的にレモンと死の間際の清廉なイメージを結びつけた。米津のLemonを聞くときにも、多分私の中にはレモン哀歌のイメージが通奏低音となっている。すごいな光太郎 #レモン
— 中村有里 YURI NAKAMURA (@yurys) 2019年1月4日 - 20:34
そう考えると詩ってすごいのかも。他の詩の中に現れるレモンという言葉のイメージを別の詩が下支えするような、そんなことが起こり得るのだから・・。でも、詩だけじゃないかそれって。梶井基次郎の檸檬のイメージだって低音で鳴ってたかも・・。そうか、言葉で表現するってそういうことだ #レモン
— 中村有里 YURI NAKAMURA (@yurys) 2019年1月4日 - 20:38
2日間あまりパソコンに向かわず、今日、1日パソコンに向かっていたら、すごーく肩が凝ってきた・・。首がぼきぼき言ってる
— 中村有里 YURI NAKAMURA (@yurys) 2019年1月4日 - 20:38
なんのためにその学問をやるのかは勉強するモチベーションをあげるために必要だったりもするが、本質的には「なんのために」は明確でなくて良い。どこかでは必要だからこそ、その学問はいまだ存在し教えられているはず。そしてそれより、勉強の「稽… twitter.com/i/web/status/1…
— 中村有里 YURI NAKAMURA (@yurys) 2019年1月4日 - 20:48
@hazuma 私の脳内では高村光太郎の「レモン哀歌」の記憶が米津玄師の「Lemon」のイメージをも下支えしている気がしました。五感でレモンを感じさせる詩。智恵子がレモンをがりりとかじってほとばしるとぱあず色の香気は淡い光のようで… twitter.com/i/web/status/1…
— 中村有里 YURI NAKAMURA (@yurys) 2019年1月4日 - 20:55
@hazuma 女っぽい批評空間っていうのはやはりないんですかね?男性は客観、女性は主観ってこと?でも、どちらかというと、俺が俺がなのは男性だったりするし…。東さんの本来の性格でやる批評ってどういうものになるんだろう…って思っちゃ… twitter.com/i/web/status/1…
— 中村有里 YURI NAKAMURA (@yurys) 2019年1月4日 - 21:05
@hazuma おばはんになり、男性性とか女性性について改めて考える今日この頃です。
— 中村有里 YURI NAKAMURA (@yurys) 2019年1月4日 - 21:07