橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

マスメディアも人のせいにしてる場合か~なぜ「菅首相退陣表明」の速報テロップが出たか

2011-06-04 10:42:33 | メディア批評

菅総理が辞任の時期を明確にしないことで、鳩山さんがダマされたとか、菅の猿芝居だとか、やっぱりそもそも小沢が悪いんだとかテレビや新聞は大騒ぎであるが、一番悪いのはマスコミじゃねえのか今回の場合。それもテレビの罪は大きい。

なのに、今朝もテレビをつけたら、いまだに反省も無く、「なぜこんなことになったのか?」なんて分析してる。なんで政治家の中で犯人探ししてるのか意味分からねえ。これって、政治部の記者がダマされた、アホでしたってことに私には思えるのだが、テレビを見る限り、そういう自覚はないみたいだ。

というのは、不信任案決議の日の、民主党代議士会の中継。菅総理が「私が果たせる一定の役割を果たした段階で、若い人に責任を引き継いでいきたい」そう言い終わるか終わらないかのうちに、テレビの速報で「菅首相退陣表明」というテロップが出た。

え?なんで?と思った。

「一定のメド」なんて、こと原発事故の収束のメドなんて、もちろん早く収束して欲しいが、いつになるかなんて誰にも分からない。これ、あとでどうとでも解釈出来る内容じゃん。あの演説の言葉を聞いてとっさにそう思った。

しかし、テレビでは「菅総理退陣を表明」って見出しでニュースをやっている。だれも、それを疑っていない。まあ、つぎに演説した鳩山さんも、もうみんなひとつになりましょうよなんて、不信任に反対みたいなこと言い出したんで、みんなもうそっちに流れるのが既定路線だったんだろうけど、もし、あそこで、「この一定のメドっていつのことなんですかね?菅さんもしかしたらそのへん曖昧にしてませんかね?」って論評する解説者がいて、速報テロップが「菅総理、退陣の意志示すも時期は明言せず」だったら、それを目にしたり、耳にしたりした小沢派の議員とかは、これはちょっとおかしいぞ?ということになって、投票行動を変えていたのではないだろうか。

特に代議士会に出席していない参院議員はテレビを見ていただろうから、そういう評価があれば、それを同胞の衆院議員につたえて、いま一度、投票方針を考え直すよう、投票までの短い時間ではあるが、奔走したのではないだろうか。それで状況は変わっていた可能性がある。

 

なぜ、あんなにはやく「菅総理退陣表明」のテロップが出たのか。

 

それはいつものことであるが、すでに記者がそういう情報を得ていたからであろう。しかし、確認文書には「辞める」とは一言も書いていない。

その文書は投票時間の前には公開されているし、あの確認事項はどうみても辞めることを確認しているものには思えない。「民主党を壊さない」というあたりに、「菅総理が居座ると不信任賛成者が増えて、民主党は保たなくなるから辞めるしか無いだろう」という鳩山氏の希望みたいなものは垣間見えるが、それは希望でしかなくて、そんな文書が効力をもたないことなんてあのどうとでも解釈出来る法律を見慣れた人間なら分かるだろうにと思う。

 

なのに、なぜ誰もそこに疑義を挟まなかったのか?

 

多分、菅さん側の有力議員の誰かが、そのへんを分かってて、「これは菅さんも腹を括ったね」って、記者に言ってたんだろうなあ。そんで、記者たちの間では、「もう菅さん腹括った」が既定路線になっちゃったんだろう。

私の勝手な想像ですけど。

以下、私の勝手な想像でお送りすると、マスコミの記者もあの確認文書を見た時、時期が明示されてないなくらいは思ったと思う。それをどう解釈するか。自分の判断じゃなく、政治家への取材でそこの含意を測ろうとしたんだろう。しかし、利害当事者である民主党の人間に話を聞いた所で、自分に都合のいいことしか話さないのは当然だ。

執行部に近い人間は、多分、あの確認文書が絶対的なものでないことが分かっていて、「確認文書交わしたんだから、総理は腹を括った」と言うだろう。その場合、「腹を括る」の意味は、震災復興に命をかけるくらいの意味だと思う。辞めるということではない。一方で、鳩山さん周辺の人間は、希望的観測もあり、記者に対し「菅さんは辞めるよ」と言うに決まっている。

 結果、速報「菅首相退陣表明」となる。

 

政治部の記者は、自分が政治家と近く、そこからインナーサークルの情報を確実にとれるということが、できる政治記者だと考えている。しかし、それは諸刃の刃でもあって、政治家にいいように使われてしまうことも多い。

特に近年、政治家にとってマスメディアは「利用するもの」となっている(それは官僚にとっても同じだ)。今回の事例なんて、それのいい例ではないかと思う。政治家の意見は意見で聞きながらも、客観的な視点を保ってあの確認文書や菅総理の演説を聞けば、すぐに「菅首相退陣表明」の速報テロップは打てないはずである。ほんと、マスメディアは、自分たちも今のぐずぐずな状況に加担しているということを自覚した方がいいと思う。

でも、自分で判断して、結果誤報を出すことを恐れているのだろうなあ~。

鳩山さんがダマされた、菅さんがダマした。あの議員はこういってたのに、なぜだ・・・。誰かに聞いて取材すれば、誤報を取材源のせいにできるもんなあ…。

誰か権威のあるものとか、肩書きのあるものが言わないと、情報を情報とも認めない。こうしたメディアの風潮はなんとかした方がいいと思う。

それじゃあ、権力者に利用されるばかりだ。

 

もし、私が今もテレビの仕事を辞めていなかったら、報道フロアで、あの代議士会の中継を眺めながら、「これっていつ辞めるかわかんないじゃん?」とぶつぶつ言ってたと思う。けれど、そんなぶつぶつは、スタッフルームのみで留まり、政治部には届かない。政治部記者は既に「菅総理退陣表明」でテロップを用意していて、取材で裏とれてるからといって、私みたいな契約ディレクターの言葉など誰も聞いてくれなかったはずだ。多分ね。想像ですけど。


かつて報道の仕事をしていたころ、政治家の会見や演説を聞いていると、結構「へ~っ」と思うことが多かった。私は、取材に飛び回るクラブの記者と違って、そうした情報をもとにしながら番組を作る仕事をしていたので、政治家に直接話を聞ける機会は少なく、会見や演説をくまなく見ることで、情報を得ようとしていた。デイリーニュースの頃はなかなかくまなく見るのは難しかったが、ウイークリーの頃は時間に余裕もあったので、取材テープを見れるのをいいことにいろんな人の取材VTRを見た。

一番、なんだよ!(怒)と思ったのは、オバマのプラハ演説。

あの演説で、彼が「長崎と広島」に言及し、「我が国は世界で唯一核兵器使用した国」という言葉を聞いた時、これは画期的な演説だ!と思った。自分の番組内では「スゴいですよ」と騒いでいたが、当初、あのプラハ演説の中で切り取られ放送で使用されたオバマの言葉は、核開発を標榜する北朝鮮やその意志をかいま見せるイランに対する牽制の部分だった。その頃はデイリーニュースの担当で、その日、そのニュースの担当では無かったので「そこじゃないだろ!」と歯がゆい思いをした。多分、当初は、国際通信社が切り取って配信した部分をそのまま使ったのだと思う。確か、毎日新聞はそこの部分に触れるのが早くて、特集記事を書いてたと思うが、それ以外のメディアが、オバマの画期的な発言を賞賛し始めたのは、数日経ってからだった。

政治家や経済人は会見で実はいろんなことを言っているのに、取材者の方が、当初から「欲しい答え」しか求めていないために、結構重要な事項が見落とされていることが多い。でも、政治家はやはり政治家で、彼らのおはこともいえる演説や会見の行間で、その表情も含め、本音やその人の本性をかいま見せることも多いと思う。

まあ、記者からしてみたら、こういうのを「素人」の見方というんだろうけど、今や、食い足りない「素人」たちが、衆院や参院のウェブ中継や、ニコ生、USTREAMなど編集されない記者会見の全貌を見て、みずから考える時代になっている。私がテレビ局内にいる特権で、でも記者クラブにははいれない非特権階級として何年前からやっていたこと(会見VTRを見ること)を、今や、別にテレビ局内にいなくてもある程度誰でもできるようになっている。

だからこそなお、政治記者は、差別化を求め、インナーサークルでの取材にこだわるのかもしれない。しかし、それは「利用される」ということと紙一重であることに厳しく自覚的であらねばならない。

ただ、私も、もし特権階級であったなら、インナーサークルでとれる情報を重視していたかもしれない。非特権階級だったからこういう批判的な見方をするようになっているのかもしれない。

でも、今回の不信任案決議の顛末を見ると、やはり、マスメディアが政界内部情報に振り回された感はいなめない。引いた目と両方が大事だ。

誰か第三者に聞いて答えを出すんじゃなくて、本人の言葉から自分で判断することもやはり大事だなあと思う。

 

最後に、今回の話とは直接関係ないが、

私は、あの「加藤の乱」の後、どういう経緯だったか忘れたが、テレビのとある番組から菅さんのところにインタビュー取材に行っている。当時の私は今よりもっとアホだったので、たいした質問はできなかった(あまり憶えていないのだ)が、唯一、「加藤さんの行動は誤算だったんじゃないですか」と尋ねたときの、菅さんの苦虫をかみつぶしたような表情だけは憶えている。

あれが、彼の教訓となったのだろうか。