『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

春遊山

2007年03月21日 | 歴史
大須賀筠軒(おおすがいんけん 1841年~1912年)が
明治25年(1892)頃に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』に、
次のような記述がある。
かつて盛んに行われていた「春遊山」、
つまり、花見についての記述だ。

二、三月ノ間 春遊山(はるゆざん)トテ、
若キ輩(ともがら)ノ遊宴アリ。又、日遣(ひやり)トモイフ。
平生、親キ友、假設(たとえ)バ、三十人アレバ十五人ヅヽ分レ、
互ニ賓主(ひんしゅ)ト成リ、招キアヒ、酒食ヲ饗応シ、
醉(よい)ヲ盡(つく)シ、歡(かん)ヲ極ム。
八、九歳ヨリ十四、五歳ノ童子モ、其友ドチ相応ニ米銭ヲ持寄リ、
遊宴ヲ設ク。
今日ハ何某(なにがし)ノモトノ日遣、
明日ハ誰方(だれかた)ノ春遊山トテ、村里賑シ。
余云フ、親戚ノ饗応、多ク正月ナリ、一年ノ始メノ月ナレバ、
情誼ニ於テ然ルベキ事ナレドモ、
歳初ハ男女互ニ親戚ノ家ニ往来シ、饗応モ多キ月ナレバ、
寧(むし)ロ、二、三月頃、天氣和暖、
鳥啼、花開ノ時ヲ待テ饗宴ヲ設ル方、心モ長閑(のどか)ニテ、
興(きょう)モ多カルベシト思ハル。

これを眼代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。

陰暦の2月から3月にかけて、
「春遊山(日遣)」という若い者たちによる宴が催される。
親しい者同士が互いに招き、招かれ、宴を催し、酒を酌み交わし、
御馳走を食べる。
8、9歳から14、5歳ぐらいの子どもたちも米やお金を持ち寄り、
宴を催す。この時期、数多くの宴席が開かれ、村里は大変な賑わいとなる。
年の初めにあたる正月は、親戚の付き合いなどに時間を取られ、
親しい者同士がゆっくりと時間を過ごすのは難しい。
正月が過ぎ、2月や3月になると、暖かくなり、鳥がさえずり、桜が咲く。
そんな頃合いを待って、親しい者同士が互いに誘い合い、集い、
ゆっくりと楽しい時を過ごそうと、この時期に宴が催されるのであろうと、
私(筠軒)は考えている。

桜の季節、私も宴に誘われることが多い。
しかし、それは野外の桜の花の下での宴ではなく、室内での宴で、
桜の美しさを愛でることなどは皆無で、
私はただの酔っ払いになるだけだ。

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