『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

磐城平城下の馬市 その2

2007年04月20日 | 歴史
かつて磐城平城下で開かれていた「馬市」について、
大須賀筠軒(おおすがいんけん 1841年~1912年)は
『磐城誌料歳時民俗記』(明治25年(1892)序文執筆)のなかで、
次のようにも書き記している。

市ニ出ル馬奴(うまやっこ)一人ニテ二、三疋(ひき)ヲ併セ牽ク。
女子ノ馬奴モアリ。多クハ牝馬ナリ。
山ツキ村々多ク馬ヲ産ス。
生テ十日程過レバ、二、三里ノ所、市ニ出ルニ、
放駒ニテ、母馬ニツキ来ル。母子、相離レザル故ナリ。
子馬ヲとうねトイフ。當年トイフ事カ。

これを現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。

馬市にやって来る馬奴は1人で2、3頭の馬を牽いてくる。
馬奴には女性もいる。馬市に出されるのはほとんどがメス馬である。
多くの山間の村々が馬を育て、市に出す。
馬は生まれて10日もすれば、
8から12キロメートルほどの距離を歩いて市まで来る。
子馬は紐で繋がれることはなく、母馬に寄り添うようにしてやって来る。
母馬と子馬は互いに離れようとしない。
その年に生まれた馬を「とうね」と呼ぶが、
これは「当年」に由来しているものであろうか。



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1 コメント

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Unknown (かんぺきくん)
2007-04-20 14:08:48
母馬と子馬の絆の強さを感じました。
そういえば、この前、競馬の馬券で凄い配当があったそうですね。
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