江戸時代に磐城平城下で開かれていた馬市について、
大須賀筠軒(おおすがいんけん 1841年~1912年)は、
『磐城誌料歳時民俗記』(明治25年(1892)序文執筆)の中に、
次のようにも書き記している。
暑天ニハ馬ニ負セタル物ヲ賣終レバ、
鞍ヲ卸シ、松原廣小路ニ幾ラモ放シ置、
馬奴ハ市用ヲ辨シ、或ハ茶店ニ休息ス。
馬ハ馬奴ノ来ル迄、草ヲ食ヒ、自由ニ起臥シ、友馬ト齧蹄スル事ナシ。
偶、物ニ驚キ、驅出ス事アリ。
馬奴来リテ馬見ヘザレバ、鞍ヲ脊負、彼此尋テ牽帰ル。
常ノ事トシテ驚キ騒ガズ。
これを現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。
暑い盛り、馬に背負わせてきた荷を売りさばき終わると、
馬奴は馬の鞍を外し、松原広小路に馬を放す。
馬奴はその後、市で買い物をしたり、茶店で休息したりする。
その間、馬は草を食べ、寝たり、起きたりとのんびりと過ごす。
馬同士が喧嘩をしたりすることはなく、たまに馬が何かに驚き、
駆け出すことがあるくらいだ。
馬奴が馬を放した場所に戻って来て、
馬が見つからない時には、鞍を肩に掛け、
馬の行方を捜し、牽き帰る。
馬の所在がわからなくなることはよくあることで、
決して騒ぎ立てたりはしない。
大須賀筠軒(おおすがいんけん 1841年~1912年)は、
『磐城誌料歳時民俗記』(明治25年(1892)序文執筆)の中に、
次のようにも書き記している。
暑天ニハ馬ニ負セタル物ヲ賣終レバ、
鞍ヲ卸シ、松原廣小路ニ幾ラモ放シ置、
馬奴ハ市用ヲ辨シ、或ハ茶店ニ休息ス。
馬ハ馬奴ノ来ル迄、草ヲ食ヒ、自由ニ起臥シ、友馬ト齧蹄スル事ナシ。
偶、物ニ驚キ、驅出ス事アリ。
馬奴来リテ馬見ヘザレバ、鞍ヲ脊負、彼此尋テ牽帰ル。
常ノ事トシテ驚キ騒ガズ。
これを現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。
暑い盛り、馬に背負わせてきた荷を売りさばき終わると、
馬奴は馬の鞍を外し、松原広小路に馬を放す。
馬奴はその後、市で買い物をしたり、茶店で休息したりする。
その間、馬は草を食べ、寝たり、起きたりとのんびりと過ごす。
馬同士が喧嘩をしたりすることはなく、たまに馬が何かに驚き、
駆け出すことがあるくらいだ。
馬奴が馬を放した場所に戻って来て、
馬が見つからない時には、鞍を肩に掛け、
馬の行方を捜し、牽き帰る。
馬の所在がわからなくなることはよくあることで、
決して騒ぎ立てたりはしない。