『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

石森山 忠教寺の古鐘

2007年04月15日 | 歴史
石森観音の別当を務めている忠教寺には、
以前、南北朝時代に作られた梵鐘があったとう。
その古鐘について、
大須賀筠軒(おおすがいんけん 1841年~1912年)は
『磐城誌料歳時民俗記』(明治25年(1892)序文執筆)のなかで、
次のように述べている。

當山忠教寺古鐘、赤井郷浅口東禪寺ニ傳リ、再ビ轉ジ、
白水村願成寺彌陀堂ニ簨簴セシガ、
維新後、鋳潰タリトテ、今ハ見ヘズ。特ニ惜ムベシ。
此ニ銘文ヲ録シ、考古ノ資ニ供ス。
奥州磐城郡、石森忠教寺、常住之大鐘、大檀那、常州久慈西横瀬大工圓照、
應安元戊申小春日。
奥州磐城郡赤井郷、浅口東禪寺大鐘者、本石森之鐘也、
永和二丙辰暦買取、為海雲山東禪寺常住公用也、住持比丘希潤、
勸進僧希燈、永和二二年小春日。
按ニ、応安元年ハ北朝後光嚴帝ノ年号、足利義満将軍タリ。
南朝後村上正平二十三年ニ当ル。応安元年、永和二年ト相距ル、僅ニ九年。
其久シカラズシテ、東禪寺ノ有ト為ル。尤不審ナリ。
当時、南北両朝ニ分レ、天下紛乱。
寺門ト雖モ必ズ餘殃ヲ免ガレザルモノアリ。
恐クハ、寺務窮迫ノ事ニ罹リ、賣与セシモノナラン。
又、末ニ永和二二年トアルハ、二年ニ買取リ、
四年ニ銘文ヲ鐫セシ故ニ其歳ヲ舉シナルベシ。
石森開闢ノ邈遠ナルハ、此古鐘ヲ以テ想像スルニ足レリ。

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