『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

磐城四観音

2007年04月14日 | 歴史
前回、「磐城四観音」という言葉を紹介したが、
これについても、大須賀筠軒(おおすがいんけん 1841年~1912年)が
書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(明治25年(1892)序文執筆)に
詳細な記述がある。

磐城四観音ト称スルハ、
第一番、平(たいら)北目(きため)如意輪觀音。
第二番ハ城南半里許、上荒川村藏勝寺天津(あまつ)観音ニテ、
大同元年、一大師ノ開創、手刻ナリ。堂領御朱印五石アリ。
第三番ハ石森觀音、第四番ハ城南半里許、
北郷下綴(しもつづら)村ノ童堂(わらいどう)觀音ナリ。
相傳フ、童子戯ニ沙土ヲ以テ佛塔ヲ作リシヨリ起ル。
故ニ童堂トイフト。或ハ云フ、異人来集、一夜ノ中ニ此堂ヲ經營ス。
天、将ニ明ナントスル時、天井板一枚ヲ張ノコセシトテ大笑シテ去ル。
故ニ笑堂トイフト。佛宇畧記ニハ、大同元年、一ノ開創、手刻トアリ。
三十三番第三番ノ札所ナリ。
 
この記述にもあるように、「磐城四観音」というのは、
いわき市平北目の如意輪観音、
上荒川の天津観音、
石森の石森観音、
そして、内郷綴の童堂観音のことだ。

「磐城四観音」をのんびりと巡ってみてはどうですか。


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