『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

雛祭り その2 雛人形は人形(ひとがた)

2007年03月28日 | 歴史
大須賀筠軒(おおすがいんけん 1841年~1912年)が
明治25年(1892)頃に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』には、
前に紹介した桃の節句の記述に続けて、次のような記述もある。

舊事記ニ、敏達天皇二年正月、侍従、進雛像。
又、源氏物語ニモ、元日ひゐな遊ノ事見ヘタレバ、
雛ノ事ハ、古昔ヨリアリシ事ナリ。
惟、是日ヲ以テ雛祭トシ、女兒節ト為ス事、何時ニ起リシヤ、詳カナラズ。
骨董集ニ、諸書ヲ引キテ、天正以後ノ事トセリ。
國朝佳節録ニ、三月三日、兒女制紙人為、翫者贖物(あがもの)之義乃祓具也
トアリ。
サレバ、上巳ニ人形ヲ贖物トシ、
之ヲ川ニ流セシ古キ祓ヒ事ニ基キ来リシモノト見ユ。
故ニ、雛祭リト唱フルニヤ。
支那ニテハ、端午ヲ女兒節ト為ス。
帝城景物畧曰ク、五月一日至五日、
家々妍飾小閨女、簪以榴花、曰女兒節ト見ユ。

桃の節句に飾られる雛人形の歴史や意味合いについての記述だが、
なかなかに興味深いことが書かれている。
これらをまとめると、
雛人形というものは、元来、
私達の身に付いた穢れを祓うための人形(ひとがた)であったようだ。
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