『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

いわき市暮らしの伝承郷 その4

2007年03月12日 | 歴史
いわき市暮らしの伝承郷に移築、復元された民家のひとつ、
旧猪狩家住宅(いわき市指定有形文化財)は、
明治時代の初め(明治12年2月に建前が行われた)に造られたもので、
いわき市好間町川中子(よしままちかわなご)に建っていたものだ。

広間の梁には幾重にも縄が結ばれている。
これは「年縄」といわれ、
新年を迎えるごとに1本ずつの縄が結ばれてきたのだという。

江戸時代から明治時代にかけ、
好間町川中子など、いわき市の夏井川流域などでは、
菜種油を取るため、菜の花の栽培が盛んに行われていた。
明治時代の中頃、
大須賀筠軒(1841~1912)によって記された『磐城物産志』には、
その様子が次のように書かれている。

我郷、川中子、愛谷、赤井、西小川、好間、大越、藤間の諸村、
之を種へさるなし。就中、川中子、愛谷両村の産種を良とす。
培養法は八月下旬頃、種を下し、薄肥を施す。畦間は三尺許なり。
培鋤は十一月初旬、十二月初旬、二月中旬に一回つヽとす。
三月下旬には黄花を開き、四月下旬に實を結ひ、
五月中旬に及ひ刈穫し、颺扇を運用し、其種と殻とを分ち、貯ふ。
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