社長の独り言

資産運用コンサルタントの社長日記です

社会保険庁

2007-05-31 08:53:02 | 日常
社会保険庁の年金問題
5000万件もの不明件数があります。
全く信じられない事です。

昨日、政府はようやく1年以内に
5000万件の照合を行うことを決めましたが、
その前の衆院厚生労働委員会では、
「申し出がある人だけ調査をします。
領収書や出金記録が無いと照合出来ません」
という発言でした。
国民が自ら働き払った年金を
政府は「判らなくなったので、知りません
調べようがありません。」
これでは、詐欺と同じです。

もし、銀行に定期預金をしていて
10年の満期の時、銀行から
「記録を失くしたので、満期金は払えません」
といわれたらどうでしょう。
当然、裁判で争うことになるでしょう。
これと同じことを国はやっているのです。
「国がすること、国民は文句を言うな」
では、大昔の封建制度と変わりありません。

今回の政府の態度でも、柳沢厚労相の発言には
がっかりしました。
あまりに誠意のない発言、国民をバカにした発言
彼は苦労して大学を卒業し、国会議員になったと聞いています、
しかし、年月が彼の初心を忘れさせたのでしょうか、
それとも、国の方針に服従せざるを得ない立場での発言
なのでしょうか。
いずれにしても、国家は政治家は国民の為の政治
を遂行して欲しいです。
国が国民を騙す、そんなことが当然の様に
起きています。
天下り、官製談合、すべて税金の無駄使いです。

日本国民はおとなしい国民性ですが、
もし、政府がそこにつけこむ気持ちがあるのなら、
大きなしっぺ返しを受けることになるでしょう。
いつまでも、国民が黙っていると思わないことです。

根来コミッショナー代行へ苦言

2007-05-30 09:03:23 | 日常
西武球団裏金問題に対する制裁は、
極めて甘いものであり、中途半端なものでした。

西武への制裁金は3000万円、今年の高校生ドラフト
上位2選手の指名剥奪権だけの処分というものでした。
プロ野球界が野球ファンに与えた不信感、
世間に対する信頼を失墜させたことを考慮すれば、
もっと厳しい処分をするべきです。

高校・大学関係者への裏金についても
西武球団が「27年間に170名に金銭を供与した」
と発表したが、その氏名は公表されなかった。
根来氏はこの点についても、判断を誤っている。
本来、氏名を公表し、アマ側が調査することが
再発防止への近道です。
しかし、問題が他球団に波及するのを恐れたのか
公表しないことになりました。
まさに、「臭いものに蓋」ということです。

横浜が那須野投手に5億円もの違法契約金を
払ったことへの処分についても、ただの厳重注意処分に
とどめました。
これでは、他球団はただの厳重注意処分なら
高額の契約金で選手を獲得したほうが得だという
判断をすることにもなります。

いずれにしても、コミッショナーとして
野球界をどうするのかという方向性が見えません。
根来氏がどんなすばらしい経歴をお持ちなのか
そんなことはどうでもいいことです。
「プロ野球を素晴らしい、夢のあるものにしたい」
と心から思っている人がコミッショナーになるべきです。
はっきり言って、根来氏からその情熱は伝わりません。
どちらかというと、「天下り官僚」と同じです。
以前から感じていましたが、プロ野球もコミッショナーは
歴代、元役人、お偉いさんだったとか、
の様な人ばかりなのかと。
 
日本のプロ野球がアメリカのプロ野球に比べ
なんとなく暗いイメージがあるのも、
そこが原因なのかもしれません。

営業とは

2007-05-30 00:14:47 | 日常
営業とは?
今日、ある若い担当者からこんな質問がありました。
「どうしたら、沢山契約がとれるのですか?
トップセールスの方ほど、余裕があるように見えます。」

彼はある外資系保険会社の担当者です。
彼は、何十社もの代理店を担当しています。
その中には、一生懸命頑張っていても
契約が取れないところ、
何だか暇そうに見えるのに、沢山契約を取るところ、
それが不思議に思えるらしいのです。
私は彼に「営業」について話をしました。

まず、一般的な営業マンは会社から売上のノルマを
課されています。
これは、厳しいところもあれば、そんなに厳しくない
ところもありますが、いずれにしても自分の所属している
会社からの売上ノルマがあります。
例えば、若い社員ならば上司である課長から
ノルマ達成についてのプレッシャーがあります。
課長から部長から、部長なら役員から
というように上司からのプレッシャーがあります。
一番最前線でお客様と接する担当者は、
そのピラミッドの一番下にいます。
そして、すべてのプレッシャーを一人で背負うことになります。
さて、担当者はお客様にどんな営業をすることになるでしょう。
結果は明白です。
ノルマを達成することだけしか考えられません。
すると、必然的に「押し売り営業」になります。
つまり、お客様のニーズに関係なく自分の会社の商品を
無理やり売り込む行為に走ります。
担当者は「血管が浮き出るほど必死の形相になり」
売り込みをすることになります。
しかし、それでいい成果が出る訳がありません。
すると、その悪い成果に対し、上司がどんなことを
指示するでしょうか?
それは、「まだ根性が足りない」とか
「契約を取ろうとする執念に欠ける」という様な
精神論を持ち出します。
こんな、営業の光景をどの会社でも見かけるはずです。
こんなやり取りをしている営業部隊では、
決して良い成果は挙がりません。

上に述べた営業においての、間違いは何でしょう?
それは、お客様のニーズを無視していること。
自分達の都合だけを考えていることです。
「営業マンの気持ちとお客様の気持ちは必ずしも一緒でない」
といことを大前提で知っておくべきです。
「営業」というと、強引な売り込みが出きる人、
口が上手い人と思われがちです。
私の経験から言えば決してそうではありません。
「営業」で大切なこと。
それは、お客様が買いたいと思った時に
○○さんに電話をしようと思わせること、
つまり、必要な時に連絡が来るようにすることです。
必要でもない時に、お客様のところに顔を出すことは
決してプラスにはなりません。

しかし、日本ではほとんどの営業マンは「根性論」での
営業をしています。
営業マンの90%はダメ営業マンです。
つまり、トップセールスは10%しかいません。
トップセールスは「営業」とは何かを知っている人達です。
何事も基本を身に付けることが大切です。

傍目八目

2007-05-29 08:49:43 | 日常
宋文洲さんの「傍目八目」から面白いコラムを
紹介します。


20年前、来日したばかりの時、日本はカラオケの全盛期でした。
マイクを握って酔いしれるサラリーマンの姿を見て「恥ずかしくないか」
と私は思いました。当時の中国では娯楽が少なく、
音楽に合わせて歌うのは俳優でないといけないと思っていました。

 カラオケの店に連れて行ってくれた知人に
「これを中国に紹介するときっと流行るよ」と言われましたが、
「中国の文化には、きっと合わないでしょう」と考えもせずに答えました。

 その3年後、中国の生まれ故郷に帰省する機会がありました。
そこで見たのは、村の人たちがカラオケに興じている姿でした。
小さな子供が簡易なカラオケセットで親と一緒に歌っているところを目撃すると、
何ともなしに裏切られた気分になりました。
「冷たいご飯の塊など、中国人はわざわざ買って食べない」
と思っていたのですが、上海ではおにぎりがすっかり人気製品になったのを、
昨年知りました。


中国の知人に見られた「かつて日本のサラリーマン」

 先日、中国銀行の知人と雑談しました。
「次にどんなところに転職するつもりか」と彼に尋ねたところ、
「退職までここで働くよ」と意外な答えが戻ってきました。
彼は起業も経験し、転職も経験したやり手です。
まさかこのまま中国銀行にとどまることはない、と思っていました。

 私が「信じられない」という顔をしているのを見ながら、
彼はゆっくりとしゃべり始めました。

 「ここの給料はそれほど高くはないが、手当てが充実していて、
場合によっては給料よりも額が多くなることもある。
また自分のような営業職は、営業利益の数パーセントを
特別ボーナスとしてもらえる。去年購入した自宅の頭金には、
このボーナスを当てた。でもそれだけが今の仕事を続ける動機ではない。
退職金は勤続年数に比例してどんどん上がる仕組みなので、
退職まで勤めないと損だから…」


年収で3倍の差をつける終身雇用はあるのか

 まるでどこかの国でよく聞くような話でした。
辞めないことだけで社員も会社も得するならば、
終身雇用を採用するのは自然な結果です。
ですが「辞めないだけで得するシステム」をもはや維持できなくなったから、
日本の終身雇用の中身は抜本的に変わろうとしています。

例えば、ある日本の会社は、終身雇用を維持しつつ
年収に大きな差をつける仕組みにしました。
この会社の経営者は著名な方です。
この会社では同年代でも最大3倍の年収の差をつけるケースがあるそうです。
これで終身雇用は成り立つのでしょうか。

 3倍の差をつけられても辞めない社員は、
企業にとって都合のよい格安労働力です。
よく思い出していただきたいのですが、旧来の終身雇用には
「給料は勤務年数を基に査定する」という「年功序列」の前提がありました。
「辞めないだけで得するシステム」が終身雇用の醍醐味でした。

 リストラですっかり企業への忠誠心を薄めた
社員たちのモラルを回復しようと多くの経営者は終身雇用を口にしますが、
それはもはや昔の終身雇用ではなく、「勝手に首にしないよ」
という程度のリップサービスです。


カラオケは文化で普及するのか

 30年前までの中国は、日本よりも強固な終身雇用制が敷かれていました。
当時の国営企業は絶対社員を解雇しないどころか、
職を勝手に変更することは国の政策によって禁じられていました。
こうした事情を考えると、私が最近、会って話をしてきた
中国銀行の知人が仕事を替えないのは「中国の文化」なのでしょうか。

 文化とは悠久なもので、長く人々の思考や行動様式を支配するものです。
すぐに変化してしまうものは、文化とは言えないでしょう。
経済と文化は切っても切れないものですが、経済と文化は別物です。
カラオケが中国で普及したのは、中国の文化が変容したというよりは、
経済の発展として見るべきでしょう。

 経済行為を文化論で解釈することは時折ありますが、
ほとんど後づけで強引なものです。日本でも中国でも、
その他の国でも、雇用形態を文化としてとらえるのは、
本質を見誤ると思います。

 終身雇用は日本の文化だとして、社員を低コストで働かせるのは
文化ではなく経済性の追求以外の何者でもありません。
それを文化という美的な感覚の言葉で表現するのは、偽善ではないでしょうか。


松岡農相の自殺

2007-05-28 23:36:19 | 日常
28日正午すぎ、東京都港区赤坂2の新衆議院議員宿舎1102号室で、
この部屋に住む自民党衆院議員・松岡利勝農相(62)が首をつっているのを、
同室を訪ねてきた秘書が見つけた。

 同日午後0時29分に119番通報を受けた救急隊が、
現場で蘇生(そせい)措置を行って慶応大病院(新宿区)に搬送した。

 松岡農相は午後2時、死亡が確認された。
警視庁は、松岡農相が自殺を図ったとみて調べている。

 同庁によると、松岡農相は同日正午に宿舎を出る予定だったが、
正午過ぎになっても、部屋から出てこなかったため、
秘書が室内に入ったところ、松岡農相がリビングのドアの上部に、
布製のひもをかけて首をつっているのを発見した。
待機していた警視庁の警護官(SP)に連絡した

 松岡農相は熊本県阿蘇町(現阿蘇市)出身。農家の長男として生まれ、
鳥取大学農学部を卒業後、農林水産省に入省した。
1988年、43歳で同省を退官して90年の衆院選に無所属で出馬し、
初当選した。当選6回

政治と金に関する疑惑の渦中にいた、松岡農相が自殺をしました。
とても残念な結果になりました。
以前にブログの中で、松岡大臣の事務所経費問題について
コメントをしました。
その問題が自殺のキッカケになったのかは誰も判りません。
ここで問題なのは、内閣として松岡大臣が自殺するのを
防げなかったのか?ということです。
松岡農相がもっと早く辞任という結論を出せれば
この様な結果になったのでしょうか?
ある意味、松岡農相は内閣の中でも孤立していたのかも
しれません。

松岡農相が行っていたことが、潔白なのか
そうでないのかは判りません。
悪いことをしていたと決め付け、責めるつもりはありません。
問題なのは、潔白かどうかを国民に説明するべきでした。
それをしないで、自殺という道を選んだことが
残念です。

この問題で、安倍内閣は窮地に立たされるでしょう。
安倍内閣としても、今回の自殺については大きな責任があります。
任命責任ではなく、この様な事態を招いたのは
内閣全体の問題です。
松岡農相は死をもって、何を残したかったのか?
何を訴えたかったのか?
前代未聞の現役大臣の自殺、
今後の政権に暗雲が立ち込めてきました。

ゴルフと人生

2007-05-27 23:21:47 | 日常
昨日はお客様とのゴルフでした。
栃木県でしたが、天気も良く、気持ちいい一日でした。
28度位で日差しも強く暑かったですが、
たまに吹く風が気持ち良かったです。
今の時期は、フェアウエーの芝も緑がとても綺麗でした。
スコアの方は、相変わらずイマイチという感じでした。
ゴルフというスポーツは難しいとつくづく感じました。

いつも、ゴルフというスポーツは人生に通ずる思います。
その理由は、18ホールの中に人生が凝縮されている様なものです。
ナイスショットをしても、バンカーという罠に嵌ることもあります、
また、ミスショットをしてもフェアウエーのいい処に
いくこともあります。
同時に、ゴルフは人間性が如実に出るスポーツです。
ミスショットをした時、
思いっきり不機嫌になる人
全然気にしない人、
平然とニコニコしている人
百人百様、人により様々です。
ナイスショットをすれば、誰でも気持ちがいいし、
気分も最高です。
しかし、ミスショットをすれば誰でもいい気持ちではありません。
問題はミスをした時、どうするかです。
そこで、自分の感情をコントロール出来ない人、
こういう人はダメです。
多分仕事をやらせてもダメなタイプでしょう。
調子の悪い時、上手く出来ない時に
踏ん張れるか、
前向きに次のことに取り組めるか、
これが出来ない人はダメでしょう。

人生もいいことばかりではありません。
山あり、谷ありの人生です。
思い通りにならない時、
落ち込んでばかりいないで、
次をどうするか考えることが重要です。
私の場合、前向きなのはいいのですが、
ミスを反省することが出来ていないようです。
それでゴルフのスコアも良くならないのでしょう。
前ばかり向いていてもダメみたいです。
次は90台前半を目指し、昨日のプレーを
反省しようと思います。

宋文洲さんのメルマガ

2007-05-26 00:23:52 | 日常
宋文洲さんのメルマガからのコラムを紹介します。

中国の株バブルが問題になる
宋 文洲

成長を謳歌している中国経済は、大変難しい局面に
突入する可能性が高くなりました。中国の株式市場はあらゆる
バブルの要素を全部揃えました。中国人しか飲まない
「マウタイ」というお酒を生産しているメーカーのPERは60倍にも
達しています。長寿薬でも生産しているかのようです。

銀行の店頭では口座開設を待つ人々が長い行列を成していました。一億人以上
の個人投資家が既に口座を開設し、預金を引き出して株に注ぎ込みます。その
口座開設の勢いはいまだに衰えるどころか、ますます過熱気味になっている模
様です。

退職生活者からOL、家政婦までも株式投資に手を染め、損した人がいないとい
うことでますます株神話を助長し、企業分析もせず噂で株価が急上昇するケー
スが目立ちます。

昨年末に2,000ポイント台の株価は今や4,000を越え、この原稿を書い
ている22日の今日も上がり続けています。

不当に高い株価を正当化するための理屈はたくさん発明され、人々はその理屈
に無条件に賛同し、見かけ資産の増加に陶酔しています。

中国政府が加熱を警戒し、金利上げに踏み込みましたが、発表した翌日にも、
むしろ株価が上がる始末になってしまいました。理由は面白いです。利上げし
ても株価が下がらないのだから安心して株が買えるというのです。

長い間不振だった中国株がある程度上昇するのは自然なことですが、いくらな
んでもここまで上昇するとは専門家も当局も想像もできませんでした。人民元
安と低金利で金余り現象を引き起こした上、上場企業の大幅な利益改善も安心
感を与えました。それと株式市場以外に投資先が少ないことも要因です。

しかし、多くの利益を弾きだしたのは巨大な石油会社、銀行と通信会社であり、
独占の結果です。中国を含む世界の市場で世界レベルの競争に参加しているモ
ノ作り会社はわずかな利益しか手に入れていません。

人々はいずれ冷静になります。価値の無いものはいずれ認識されます。そのと
きに逆回転が始まります。ほとんどの人々が株式市場での痛い経験をしていな
いため、この先は読めない領域です。

中国株式市場は世界のそれと隔離されているので暴落時の影響は限定的でしょ
うが、問題はそれがきっかけに起きる経済のスローダウンです。人民元の是正
とアメリカの景気後退もあって中国経済はいつまでも強気一辺倒のはずがあり
ません。

多くの人々はオリンピックまで株の上昇が続くと考えていますが、この考え自
体が問題です。

中国株式に投資している読者が居られたら暫くは慎重に考えたほうが良さそう
です。中国経済も他の市場と同様に厳しい洗礼を受けない限り、本物になれな
いと思います。もちろん、株式投資は最終的には自己責任で判断するものとい
うことは言うまでもありません。

差し戻し控訴審

2007-05-25 09:04:03 | 日常
山口県、光市母子殺害事件の差し戻し控訴審が
24日、広島高裁で始まりました。
弁護側は殺意を改めて否定し、傷害致死罪を主張し、
死刑回避を求めました。
被告人には21名もの大弁護団がつきました。

この裁判では、大いに疑問があります。
第一は、弁護士が途中で変わったこと、
そして21名もの弁護団になったことです。
主任弁護士は安田弁護士ですが、彼が有名なのは
「死刑制度反対」を主張していることです。
今回、弁護についたのも、そこに絡んでいると思われます。
つまり、この事件の被告を利用し、
「死刑制度」反対をアピールすること。
被告人を弁護するのが目的ではなく、
「死刑制度」反対をアピールすることを目的としている
としか考えられません。

弁護団が主張している内容を見ても、
普通常識では考えられない様なことを述べています。
「精神年齢が12歳程度で判断能力が欠けていた
ままごと遊びのつもり、母親に甘えるつもり、
死者を生き返らせる為の儀式で淫行をした。・・・」
どれを見てもアホらしとしか言えません。
優秀な弁護士が考えたことならば、
なんて稚拙な内容なのかと思います。
そんな程度なら弁護士資格を剥奪するべきです。

本件で、被害者が犯した罪は、
本村弥生さんを首を絞めて殺害し、姦淫しました。
そして、泣いていた長女夕夏ちゃんを床に投げつけ殺害しました。
この事実のどこが「ままごと遊び」ですか?
安田弁護士の主張のどこに正当性が感じられるでしょう?
彼は自分の名前を売りたいだけです。
ただの売名行為です。
断じて許せません。

被害者の夫、本村洋さんも法廷に居て
どれだけ辛い想いをしていたでしょう。
弁護士も、その気持ちを思いやるべきです。
こんなつまらない弁護団の主張など
切り上げて、早く「死刑」判決を下して欲しいです。
それが、遺族にとっての残された唯一の望みなのです。

謙虚を語る人の「不謙虚」

2007-05-24 08:36:06 | 日常
宋文洲さんのコラム「傍目八目」を紹介します。


僕は謙虚な方々とたくさん出会いました。謙虚さは彼らの言動から
自然に滲み出し伝わってくるものです。
本人たちが謙虚を意識していないからこそ謙虚なのです。

 一方、いつも口で「謙虚」を説く偉い方々がいます。
顧客に「我々は謙虚を大切にしているのだ」と語り、
「この偉い私と立派な我が社が謙虚だ」と示唆します。
部下に「謙虚であれ」と説教し、「俺と組織にもっと従順であれ」
と暗示します。

 謙虚――。今回はこの極めて東洋的で人格の基本に関わることについて
皆様とその本質を探ってみたいと思います。

2人の社長の「謙虚」
 ある日、偉い経営者(少なくともご本人たちがそう思っている)
が集まる権威のクラブのイベントに誘われました。
食事会を挟みながらある社長の講話を聞くことになりました。
配られたプログラムには講話時間が30分、
講話テーマが「謙虚の心」であると書いてあります。

 その社長は結局予定時間を大幅にオーバーし、45分間以上の大演説をし、
司会の再三なる合図でやっと未練たっぷりの様子で演台を降りました。
100人以上の聴衆の貴重な時間を15分間も無駄に占有して説教をたらした人が
「謙虚の心」を説くとは皮肉でした。

 先週の「傍目八目」で製造業への偏重について問題提起させて
いただきましたが、実はその直後に討論会に出席しました。
メーカーの社長がいて、彼は社員教育に常に「謙虚」を重視している
と語っていました。

 僕はGDP(国内総生産)の8割が既に非製造業ですから、
非製造業の強化にもっと力を振り分けるべきだという
いつもの論点に触れました。討論会の後、その社長が僕に
「宋さん、非製造業はたしかにGDPの8割を占めますが、
非製造業は単なる金や物を転がしているだけです」と言われました。

 僕はすぐ「社長、ビジネスの視点から見れば、
製造業も転がしているだけです。原材料、部品、そして人材を転がして
商品を売り、利益を手にしています。ビジネスの本質はコストを使って
利益を創出することですから、製造業も非製造業も大きく変わりませんよ」
と反論しました。
しかし、僕が本当に言いたかったのは「あなたは謙虚を説きましたが、
自分以外の産業を蔑視することは、明らかに傲慢ではありませんか」でした。

謙虚は語ってなるものではない

 謙虚という言葉は誰でも早く覚えてしまいます。
しかし、謙虚の心はそう簡単に持てません。
特に偉くなるとそれが難しくなります。

 ではなぜ偉くなると、謙虚ではなくなるのでしょうか。
それはもともと誰でも謙虚ではないからです。
弱い立場にふさわしい振る舞いしているだけで誰もが謙虚に見えるのです。
偉くなると同じくその立場にふさわしい振る舞いをするだけで
急に「不謙虚」に見えてしまいます。

本当の謙虚さは、立場をわきまえることでもなく、
身分にふさわしいことをすることでもなく、立場を乗り越えて
人間の価値を対等に認める「心の習慣」だと思います。
習慣である以上、言葉によって教えられません。
残念ですが、傷つけられたり恐怖に怯えたり、
苦難に遭ったりしないと、なかなか心に宿ってくれない習慣です。

 偉くない人が謙虚に見えることは、偉い人が傲慢に見えることと、
そう変わりません。偉くても弱い人と対等につき合える人こそ、
謙虚な人だと思います。弱くても偉い人に媚びない人こそ、
謙虚な人だと思います。

 謙虚の心を持つには、かなりの人生経験を通じて勝ち取った
自信を持つことが必要です。この自信は地位、金銭などの成功によって
もたらされるものではなく、その人に内在するものが成熟することによって
もたらす絶対的なものです。

 あまり言葉に出して語るとついつい謙虚は形であり、
礼儀作法であると勘違いしてしまいます。それを口にするだけで、
もう謙虚になっている気分になってしまいます。

 前述のメーカーの社長は会社の理念に謙虚を書き、外でアピールしています。
しかし、彼は自分が製造以外のビジネスを蔑視している傲慢さに気づきません。
ご本人は間違いなく自分は謙虚だと思っているでしょう。
しかし、彼は謙虚について語らなければ、もう少し謙虚になれたかも
しれません。

謙虚は単なる美徳ではない

 大人にとって、謙虚が単なる美徳だと理解すべきではありません。
人生経験の無い子供たちに「美徳だから」といって
謙虚の重要性を教えるのは分かりますが、学校で学べる謙虚は謙虚ではなく、
謙虚の作法に過ぎないのです。それでも学ばないよりは学ぶ方が
ずっといいのです。

 しかし、大人の世界は、美徳という単純な理由では、
謙虚は本物になれません。美徳だから「他人のためにやっている」
という心理が生まれるからです。美徳だから言葉として語って、
作法として形にこだわる動機が起きるからです。

 謙虚でなければ自分が狭くなる。謙虚でなければ他人が助けてくれなくなる。
謙虚でなければ人を愛し、人に愛されなくなる。
これこそ我々が謙虚になる原動力ではないでしょうか。

 情けは人のためならず。
 謙虚も人のためならず。


「オリガミ」復活

2007-05-23 09:10:09 | 日常
ついに「オリガミ」が復活しました。
「オリガミ」って何?
知らない人も多いと思います。
以前、溜池山王にあったキャピトル東急ホテルの
コーヒーハウスです。
都市再開発の為、昨年ホテルが閉館してしまいました。

この「オリガミ」は政界、財界、また有名人の
ファンも多かったお店です。
とんねるずの番組でもここの「パーコー麺」を
紹介していました。
私はここの料理の中でもお気に入りは
「ナポリタン」です。
なんとも言えない味です。
ケッチャプに生クリームを加えたソースに
スパゲッティが絡まり、具材はオーソドックスに
ハム、玉葱、ピーマン、マッシュルームです。
あた、とても気に入っているのが
ランチマットです。
ほのぼのとした可愛らしさがあります。
また、季節毎に変わるのも楽しみです。



昨日、赤坂での打ち合わせの際、
早速「オリガミ」を利用しました。
お店の雰囲気は以前の感じそのままで
懐かしさを感じました。
お店のマネージャーも
6ヶ月振りの復活を喜んでいましたし、
昔のお客様が沢山来られたということで、
「改めて「オリガミ」が多くの人に
愛されていたことを感じた」と話されていました。

昨日は平日の午後だったので、空いていました。
当然オープン間もないこともあるでしょう。
私としては、あまり知られたくないという気持ちもあり、
のんびり過ごせる隠れ家的なお店であって欲しいと
思うところもあります。

いずれにしても、「オリガミ」が復活したことは
とても嬉しいことです。