Dr. Mori Without Borders / Mori-san Sans Frontieres

森 一仁が医学・国際政治経済金融・人文教養教育など関心問題を国際的・学際的に考える。

自殺してはならぬ理由 ~個の生命は共同体のもの・社会経済史と生命医学倫理~

2007-01-27 05:39:35 | 臨床医学
主宰する医療系グループの昨年の忘年会ではかなり濃密な話題が出た。わけても前政権の改革問題との関連で現政権の志向性やら医療制度との関連については関心が高かった。現行の国民皆保険制度では、畏れ多くも天皇陛下や皇族の方々が宮内庁病院で受けられるのと同じ水準の医療が、一般市民も公的保険の枠組みのなかで受けられるのである。もっとも天皇陛下及び皇族の方々は、一般国民とは身分も異なり、国民健康保険等に加入なさっておらず、それゆえ疾病の際には10割負担と伺っているが。

ここで最近政府与党が医療費削減を謳いながら財務省・厚生労働省、また経済産業省がそれぞれアメリカ型市場原理医療を導入しようとしている事などは既に常識として良いかと思う。その上、北朝鮮を煽る米国等に煽られて、北朝鮮の脅威を理由に無駄なミサイル防衛システムにお金をつぎ込まされようとしている訳だが、混合診療を導入する事で、公的予算の医療費配分への割り当てを減らそうと画策する中で、超高齢化社会を迎えて老人医療・障害者医療は何処へ?と思ってしまう。

混合診療では、ベーシックミニマムとしてごく基本的な治療を保険適用として、残りの多くの治療法が保険外におかれる事が想定されているからである。障害者を自立支援法でいじめて、高齢者は介護保険見直しでいじめて、さらには低所得者層までも混合診療解禁でいじめようと言うのか?世界に誇る国民皆保険制度の国が、その名が廃れてしまう。

医師で医事評論家でもある李 啓充先生の「市場原理が医療を滅ぼす」(ISBN4-260-12728-4 定価2100円 医学書院)によれば、「医療は社会的共通資本である」との宇沢弘文氏(東大名誉教授・経済学)の言葉が引用してあるのだが、社会的共通資本に市場原理を入れる事が間違いである事は例えば電気・ガス・水道などライフラインについては規制を敷いておく事が肝要である事からも判るかと思うのだ。社会的資本には、原則として市場原理がなじまないのである。資本主義と市場原理の最右翼のアメリカでも電気ガス水道などのいわゆるユーティリティーやら郵政事業は公社による管理だったと思う。

ここで識者は社会主義的経済が70年もの壮大な年月をかけて実験を行い、見事に失敗・破綻した例を挙げて、資本主義と市場原理の優位性を説く。私も私有財産の保持は守られるべきだし、財産権と、市民の基本的権利である言論の自由や精神の自由は表裏一体であるとの考えから、自由主義・資本主義を推すものではある。

しかし、公共性の高い事業で民営化・規制緩和を推し進めた結果が国営鉄道の民営化・株式会社化であり、特に株主総会や経営陣に効率・利益追求型の思想の強かった某西日本支社では大惨事を起こした事を鑑みると、株主の独り勝ちによって多数の命を犠牲にした事を私達は恥じねばなるまい。

医療の問題はまず「社会資本」と言う視点から考えないとあのアメリカのような失敗をしてしまう。ブッシュの盟友ブレア氏ですら、医療に市場原理だけは導入せずNHS(国民保健制度)を守ると断言したのだ。英米同盟も医療では二分した。

医療は社会的共通資本であるとすると、その基本単位である「個の生命」の問題にも関わってくる。医療が社会的共通資本であるならば、守られるべき個々人の生命もつまり社会的・公共的性格を帯びてくるとは言えないだろうか?人の命は地球より重いなどとは言わない。人間一人の命は、換言すれば地域社会や全体社会を含めた広い意味での共同体に属する事になる。だから闇雲に自殺等と言う行為はしてはならないのだと思う。あの武士ですら、切腹には「家」や「天下」と言った社会性を帯びた諸々の事柄が常に付き纏っていたではないか。


COLLEGE OF THERAPISTS & CLINICIANS (T&C) 市民の為の医療系生涯カレッジ
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