Tasuku Kawazoe
for National Geographic
August 13, 2009
丹沢は神奈川北西部に位置している東西約40キロ、南北約20キロにわたって広がる山群である(「山と高原地図丹沢」、昭文社)。その名の由来にもなったとおり、丹沢には多くの沢があり、起伏にとんだ地形が特徴となっている。その面積は40,000ヘクタールにも及び、神奈川県の6分の1ほどに当たる(「アトラス丹沢 第一集」、丹沢大山総合調査実行委員会、2005年)。現在、丹沢の大部分は国定公園や県の自然公園に指定されており、今も残る貴重な自然が保護されている。
丹沢の起伏にとんだ地形の成り立ちには、プレートの働きと密接な関わりがある。かつてフィリピン海プレートの海底火山として形成された丹沢山地は、約550万年前にフィリピン海プレートの北上に伴って北米プレートと衝突して本州の一部となった。その後約100万前に丹沢山地の南側に位置していた伊豆が後を追うように本州に衝突して激しく隆起した結果、浸食作用を受けて、現在のような丹沢の険しい山々が作られた。丹沢山地には、1500メートルを超える峰が全部で10もあり、「神奈川の屋根」とも呼ばれることもある(「アトラス丹沢 第一集」、丹沢大山総合調査実行委員会、2005年)。
丹沢は、江戸時代まで幕府の「御林」などに指定されていたため、国による厳格な管理のもとに置かれ、その自然が保たれてきた。やがて明治時代に入ると、人工林化が進められ、民間への払い下げも行われて、徐々に荒廃が進んでいたが(「丹沢大山自然環境総合調査報告書」、神奈川県環境部、1997年)、丹沢の歴史の中で、その自然環境に最も大きな影響を与えたのは、大正12年に起きた関東大震災だろう。関東大震災では、丹沢・箱根山地を中心に、8,600ヘクタール以上にも及ぶ地域で表土層が崩れ落ち〔※参照1〕、いたるところで荒廃した景観を見られた。現在見ることができる森林は、震災の後の復興事業で植林されたものも多いという。丹沢は断層に沿って隆起した山地であったので、地盤が非常に脆く、地震や豪雨によって斜面の崩壊が起きやすい地質となっている(「丹沢大山自然環境総合調査報告書」、神奈川県環境部、1997年)。その後、昭和の時代には、戦時中に行われた木材の大量伐採の影響を受け、ブナ林の一部も伐採された。さらに、戦後になって国が推し進めた植林計画によって、スギやヒノキなどの植林が行われたことで、森の質的な劣化も進んでしまった。スギ・ヒノキ人工林の増加は、森に生息する生き物たちの食料が失われることにもなり、森の生物多様性が損なわれるという結果にも繋がった。
丹沢は、こうした歴史を重ねながらも、現在も残されているブナやモミの原生林は、都市部の中では貴重な自然であり、多くの登山者が訪れる身近な山となっている。近年では、年間100万人もの人が登山に訪れている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます