団塊太郎の徒然草

つれづれなるままに日ぐらし

日本・ベトナム国交樹立40周年スペシャルドラマ

2013-10-10 19:23:49 | 日記
日本・ベトナム国交樹立40周年スペシャルドラマ『The Partner~愛しき百年の友へ~』ベトナム・ハノイで、記者会見&完成披露パーティー開催!! 日本人キャストもベトナムへ!! 安倍総理大臣からのサプライズメッセージも!!

日本とベトナムが国交樹立40周年を迎える2013年9月21日(土)に先立ち、9月16日(月)にベトナム・ハノイで、TBSとVTVによる共同製作ドラマ『The Partner~愛しき百年の友へ~』(9月29日 日曜よる9時~11時03分)の記者会見および完成披露パーティーが開催された。会見とパーティーには、日本から主演の東山紀之をはじめ、芦田愛菜、中丸雄一が出席。ベトナム人俳優4人と肩を並べ会見に臨み、TBSとVTVの共同製作番組を通して、日本とベトナムの友好関係に大きく貢献することとなった。

会見には、ベトナムのメディア関係者が100名近く参加。さらにベトナム在住の日本人向けに雑誌を発行する雑誌社や日本と関係の深い通信社も参加し、ドラマに対する両国の注目度の高さを伺わせた。7月に行われたドラマロケ以来、2度目のベトナム訪問となった東山は、華麗なスーツ姿で登場。ドラマの主役として、両国のキャストそしてスタッフを引っ張った貫禄が会見でも感じられた。また、初めてのベトナム訪問となった芦田愛菜はピンクの可愛らしいドレス姿で登場。ドラマの完成とともにベトナムの地を踏んだことを喜んだ。さらに東山の事務所の後輩であり7月のハノイでのロケで東山とともにベトナムロケに臨んだ中丸雄一も、ドラマの役柄と同様に、東山のサポート役に徹していた。

引き続き行われた完成披露パーティーでは、会見に出席した7名のキャストや制作スタッフ、TBS・VTV両テレビ局関係者に加え、ベトナムからホアン・チュン・ハイ副首相を筆頭に政財界のVIPが多数参加。日本からも小野寺五典防衛大臣、武部勤日越友好議員連盟特別顧問、柴山昌彦総務副大臣、谷泰明駐ベトナム日本国大使など政府関係者、さらにベトナムとの関係の深い企業の代表らが出席し、250名程の盛大なパーティーが開かれ、単なる共同製作ドラマにとどまらない、両国の強い結びつきを期待するプロジェクトであることを印象づけるパーティーとなった。

さらにパーティでは、安倍晋三総理大臣から寄せられた「両国の多くの視聴者がドラマを見て、日本とベトナムの絆、歴史に思いを馳せてくれる事を期待します」とのサプライズメッセージVTRを上映。このドラマの共同製作を通して、日本とベトナムの友好、そして相互発展に向けて、大きな期待が寄せられた。両国の大きな期待が感じられた完成披露パーティーとなった。

注目の放送は、9月29日(日)よる9時から11時03分。日本とベトナムで同日放送される。お楽しみに!

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日本人キャストのコメント

〈東山紀之〉
僕自身、ファン・ボイ・チャウの歴史や浅羽佐喜太郎さんとの交流について存じ上げませんでした。今回、このドラマに出演させて頂くことで、はじめて知りました。僕たちのドラマで多くの人にこの歴史を知って頂き、それぞれの国の気持ちを高めていくことが大事だと思います。
これまで映画などで知るベトナムの姿というものしか知らなかったのですが、今回ハノイに訪れて、世界を広げて行こうという、若いエネルギーを感じました。ベトナムの国旗が美しく翻っているのをみて、この国の人々の「誇り」をとても強く感じました。


〈武井 咲〉※台風の影響でベトナム入りが出来ず、プロデューサーより紹介。
日本とベトナムの共同製作ドラマに出演させて頂き、非常に嬉しく思います。撮影の時は、ベトナムに訪れる機会がなく、今回のベトナム行きをとても楽しみにしていました。本日は非常に強い台風のためベトナムに伺えず、とても残念です。今度はぜひベトナムに行きたいです。この作品は日本とベトナム、両国の絆を描いた作品です。皆さん、楽しみにしていて下さい。

〈芦田愛菜〉
このドラマで一番印象に残っていることは、アオザイを着れたことです。アオザイを着ると、背筋がぴんとして、気持ちよかったです。

〈中丸雄一〉
僕は二か月前の、ハノイでの撮影が初めてのベトナムでした。
印象に残っていることは、撮影の合間で、エキストラで協力して下さったアオザイ姿の美女三人組と一緒に写真が撮れたことです(笑)。今度はプライベートでぜひベトナムに来たいです。




■■■記念碑建立85周年記念式の報告■■■

《平成16年度 磐南文化賞 受賞》

浅羽佐喜太郎公紀念碑建立85周年記念事業での2つの記念式(7/27)は盛会裏に終わりました。

◆.記念碑建立85周年記念式(於:浅羽町梅山 常林寺)  9時~10時
◆浅羽・ベトナム友好85周年記念式(於:浅羽町東公民館)13時30分~16時30分

午前中の常林寺式典には120名、午後の友好式典には230名もの出席がありました。

 この2つの記念式には、ベトナム・ホーチミン市から記念碑を建てたファン・ボイ・チャウの孫となるファン・ティエ・コ氏が実行委員会の招待により夫妻で出席をされました。浅羽佐喜太郎の孫である浅羽和子氏との、孫同志での対面がありました。式典は安間幸甫実行委員会事務局長の司会で進められました。


 ■記念碑建立85周年記念式 式次第   (9:00~10:00 常林寺)


 1)実行委員会会長挨拶
 2)ファン・ティエ・コ氏挨拶
 3)常林寺住職の読経
 4)関係者の献花
 5)ファン・ボイ・チャウの自伝から記念碑建立の章朗読
   (浅羽 一芳氏)
 6)浅羽秀雄氏のお礼のことば


■浅羽・ベトナム友好85周年記念式 式次第   (13:30~15:00)

 1)開式のことば  実行委員会副会長 村松功
 2)実行委員会会長挨拶  大石 良介
 3)記念碑拓本のベトナム社会主義共和国への寄贈式 実行委員会会長からベトナム大使館へ
 4)記念碑建立の章朗読  文化財研究会副会長 浅羽 一芳
 5)来賓挨拶・紹介

  浅羽町 村松駿一町長、 ベトナム社会主義共和国大使代理 ドァン・ゴク・カイン参事官 
 ファン・ティエ・コ氏(ファン・ボイ・チャウの御孫様)
その他の来賓の皆様紹介
 浅羽町議会議長 久保田 龍平様、浅羽町教育長   鈴木 絋一様、日本・ベトナム友好協会 谷本事務局長様
 袋井国際友好協会 内藤会長様、慶応大学名誉教授 川本 邦衛様
 早稲田大学 アジア太平洋センター 白石昌也教授様
 元朝日新聞サイゴン・ハノイ支局長  井川一久様、小田原市前川   石塚 勝治様、柴田 静夫様
 キム・バン・  ファン・ティエ・コ氏の奥様、浅羽秀雄・和子様夫妻
 記念碑建設に係わった三家(岡本 直記氏、岡本 幹氏、浅羽 義彦氏)
記念事業協力者
 ユン・クァン・ティ(京都精華大学卒 )
 森エリサ(上智大学アジア文学研究所)
 鈴木 琴菜(上智大学大学院:磐田市)
 ベトナム料理アオザイ(磐田市)の皆様 

 6)県内ベトナム留学生(34名)の紹介・挨拶
   ランさんと静岡大学、英和学院短大、静岡言語学院の 15名
   トイさんと静岡産業大学のグループ             4名
   ソンさんと静大工学部のグループ              2名
   グェンさんと静岡国際言語学院(浅羽町)のグループ  10名
 7)浅羽 和子様(浅羽佐喜太郎)のお孫様)のお礼のことば
 8)閉会のことば  実行委員会副会長 戸塚 孝至

 コ氏はこの挨拶中何度か声をつまらせたのが印象に残りました。朗読は記念碑建立に係わる85年前を再現したかのようでした。10時40分、ベトナム社会主義共和国大使代理ドァン・ゴク・カイン参事官が、浅羽町長の案内で常林寺に到着をされました。町長と参事官の献花に続き、ベトナム留学生や国内在住のベトナムの方々ら40余名の献花がありました。ベトナム有志のコーヒーサービスがあったり、カイン参事官やコ氏夫妻、色鮮やかなアオザイ姿の女子留学生や、浅羽夫妻などとの記念写真の撮影などで常林寺境内は華やかな日越交流の場となりました。
この後、午後の式典会場の浅羽町東公民館に場所を移して、カイン参事官、コ氏夫妻を囲んでのべトナム関係者だけでの昼食会を兼ねての座談会や、「東遊運動と浅羽佐喜太郎」の資料展示などで理解を深めて頂きました。


クォンデ候
ファン・ボイ・チャウ 紀念碑 浅羽佐喜太郎 阮泰抜
解 説  ファン・ボイ・チャウと浅羽佐喜太郎の交流 報恩の碑

常林寺の紀念碑の
碑文 浅羽家に伝わる話 ファン・ボイ・チャウと
浅羽佐喜太郎の交流

 浅羽町は平成10年にこの記念碑を町指定文化財としています。「浅羽佐喜太郎とファン・ボイ・チャウの歴史」には、ドラマにしたい場面が幾つもあります。この中でも特に記念碑建立の場面には、現代人が忘れてしまったような古き良き時代の感動があります。
問合せ:ammayukiho@gmail.com
 実行委員会事務局長 安間幸甫



■潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)と浅羽佐喜太郎の交流■

20世紀の初め、東遊運動と呼ばれる日本を舞台にしたベトナムの革命運動がありました。

【東遊運動】
 十九世紀アジアの各国は西欧列強の侵犯を受け、植民地化が進んでいました。ベトナムも仏統治政府の厳しい圧制に民衆は苦しんでいました。1905年(明治38)、日露戦争における日本の戦勝をきいたベトナム革命組織・維新会の代表ファン・ボイ・チャウらは、ベトナムの窮状を訴えて武器援助を求めるため、密出国をして日本へ来ます。ファン・ボイ・チャウは清国戊戌(ボジュツ)の政変で日本に亡命中であった梁啓超を横浜に訪ね、在野の政党リーダー大隈重信や大陸事情に理解の深い犬養毅を紹介されます。大隈や犬養らは、日本政府がベトナム革命闘争の為に武器援助をすることは無く、それより革命の為の人材養成が先であることや、運動の象徴であるベトナム皇族のクォンデ候を早く日本に迎えるよう促します。筆談ながら、国の前途を賭けた激烈で清新な議論に、同席した柏原文太郎は三国志の英雄の話を聞くようであったと、チャウの人物に大きな魅力を感じています。犬養は陸軍参謀次長の福島安正や東京同文書院々長の根津一らと相談し、最初の留学生4人を中国人の為の軍人養成校「振武学校」と東亜同文会の運営する中国人のための学校「東京同文書院」へ入学させます。
 日本の実情が解るに従い、ベトナム民衆との意識の格差に愕然としていたファン・ボイ・チャウは、「ベトナム亡国史」、「遊学を勧むる文」、「海外血書」などを次々と書き上げベトナムに送り込みます。これを読んだベトナム青年達が、続々と日本留学のため出国してきます。東京同文書院はこれらの留学生のために教室や寮を増設し、軍事教練も組み込んだ特別科をつくってベトナム留学生を受け入れました。最盛期の1908年(明治41)には、200名に及ぶベトナム青年が日本で学んでいたと言われます。ベトナム本国では、維新会が宣伝文書の配布や資金集め、留学生の送り出しを組織的に担当しました。
 このような反仏の動きに危機感を持った仏統治政府は、この時期留学生の親族や支援者に対し摘発を進めていました。日仏同盟の締結で仏政府の強い要請を受けた日本政府は、1908年(明治41)秋留学生に解散命令を出します。この為、多くの留学生は日本を離れますが、残った留学生を抱えたチャウは、資金も底をつき生活は困窮を極めていました。



【浅羽佐喜太郎の支援と日本退去】 
 借金のあても無くなったファン・ボイ・チャウは、以前行き倒れになった同志の阮泰抜を助けてくれ、そして東京同文書院への入学手続きや学費まで払ってくれた、浅羽佐喜太郎先生にお願いするほかはないと阮泰抜に相談をします。阮の件があり、浅羽佐喜太郎は義侠の人としてベトナム留学生の間でも良く知られていました。
 ファン・ボイ・チャウは窮状を書き、阮に書状を託します。しかし、公のこれまでの厚志に何のお礼らしきこともできていないのに、また援助を求めるのは厚かましいことだと心苦しく思っていました。が、朝持たせた手紙の返事が夕方には戻ってきました。手紙と一緒に1,700円という大金が出てきました。(当時の東浅羽小学校の校長の月給は十八円であった。)その手紙には『手元にはこれだけしかありませんが、またお知らせ下されば出来るだけのことをします。』とほんとうに簡潔であるが、温情のある言葉が添えられていました。
 1909年(明治42)3月、クォンデ候とチャウは日本政府から国外退去を命令されます。10日以内の退去を命令されたファン・ボイ・チャウは、数々の佐喜太郎の支援へのお礼と別れの挨拶のために、小田原・国府津の浅羽邸を訪ねます。阮に紹介され、まず今迄の不義理を詫びますが、佐喜太郎は早々にチャウの手をとり招き入れ歓待をします。佐喜太郎はよく飲みよく談じ、チャウらを守れなかった大隈や犬養を酷評します。
 退去後9年、1918年(大正7)ファン・ボイ・チャウが日本の土を踏んだ時には佐喜太郎はすでになく、佐喜太郎への報恩のために立てられたのが、静岡県浅羽町梅山の常林寺にある大きな記念碑です。
文責:安間 幸甫

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