「料理通異聞」 松井今朝子 幻冬舎 2016.9.10
亀田鵬斎、大田南畝(蜀山人)、酒井抱一、谷文晁ーー
そうそうたる時代の寵児たちとの華やかな交遊、そして、
想像をかきたてられる江戸料理の数々ーー
相次ぐ天災と混乱の時代に、料理への情熱と突出した才覚で、
一料理屋を将軍家のお成りを仰ぐまでにした四代目善四郎、八百善の実質的な創業者の一代記。
彼は、『料理通』を著している。
この本では、八百善での四季折々献立を公開し、特殊な料理には簡単なレシピも添えられている上に、
著名な文化人が序文や挿画を寄せている。
さて、この作品での善四郎は、
困っている者を見ると放っておけなくなる性分で、
思ったことをすぐ口にしてしまうこともあり、
その性分が様々な出会いに繋がる。
大奥に上がり出世した千満が言う。
「人の上に立つ者には余得もあれば、それ相応の苦労もある。余得を望んで、苦労は願い下げというわけにはいかぬ。ただし苦労はしても、上に立てば見晴らしが良い分、下の苦労は物の数ではないように思える。人はそうして高みに上ってゆけるのじゃ。
初めから上らずに済ますこともできようが、それでは下の苦労をずっと続けることになろう。同じ苦労をするなら、下でつまらぬ苦労を嫌々続けるよりも、自ら苦労を買って出て、少しどでも見晴らしが利くようになりたいものじゃ」
晩年の蜀山人は言う。
「たしかにおぬしにも欲がないとはいえんだろう。だが最初から見返りを求めた親切ならば、人は断じて寄ってはこぬ。まずは、おぬしの生まれ持った親切心が人を惹き付けるのだ」
「相手が誰であれ、おぬしは気の毒に思うと放っておけなくなるんだろうが、相手が求めもせんのに手を出すのは難しい。なかなか出来ることではないが、思いきってそこに踏み込んでこそ、人を救う道にもつながる。踏み込んで親切を施すには、それなりの勇気と度胸が要る。それは持とうと思って持てるもんではない。天性の勇気と度胸が備わったればこそ、おぬしはこうして江戸一の料理屋が営めるのだ」
もちろん、料理の場面も多々あった。
資料や文献から作者が想像を巡らせて組み立てたとあったが、
読者としても、想像が広がった。
現在も八百善は続いているが、残念なことに店舗はない。
通販で取り寄せてみるほどの熱意は……ないなぁ (^^;
新たに覚えたマメ知識。
そもそも日本では各自がめいめいの膳に向かう恰好で、ひとつの卓を囲んで食事をする作法がなかった。
唐土に倣ったその作法は卓上に敷く布の称から卓袱と呼ばれた。卓袱の漢字は中国音でチャブとも聞こえるため、後世には卓袱台を「ちゃぶ台」と呼び習わす。