「木練柿」 あさのあつこ 光文社 2009.10.25
確信犯で再読 (笑)
弥勒シリーズの第3作。
鬼平、公事宿、御宿かわせみなどもそうだが、
この類いのシリーズは、
全体の流れは把握しているものの、
一つひとつの話を詳細に覚えていることが
まず、ない! (わたしだけかなぁww)
最新作の記憶は、流石に新しいので、
ちょっと振り返ってみた。
信次郎が素直にまっとうなことを言っていた。
「店を守るってのは、奉公人や客や取引先と密に関わる、相手を利用するためじゃなくて、人間としてきちんと向かい合っていく。そういうことじゃねえのか。」
「東雲の途(みち)」 あさのあつこ 光文社
2012.2.20
弥勒シリーズ、「木練柿」に続く4作目。
読んでないと思っていたが再読だった。
まあ、いつものことだ (笑)
新鮮な気持ちで面白く読めたから
読んだ、読んでないと、拘る必要もない。
遠野屋清之介が旧藩に赴き、過去と対峙する。
清之介は、商人として考える。
人を使い、人を生かし、人を動かし、利を生む。
その利を人に返していく。
途切れの無い円環として、商いは回っていく。
とーー。
「冬天の昴」 あさのあつこ 光文社 2014.3.20
シリーズ5作目。
こっちこそ、読んでなかった。
多分 (^^;
武士と遊女の心中は、恋の縺れか、
謀(たばかり)か。
ツボにハマったシーンを書き写す。
「ほんとにありがたかった。おぬしに大きな借りができたな」
清之介は答える一言を失っていた。信次郎から、素直なれいの言葉を聞くと思案に尽きる心持ちにある。背筋の辺りがぞわぞわと蠢く。小さな虫が這い上がっているようだ。気持ちが悪い。
伊佐治も背中を掻きながら、不快そうに口元を歪めた。
「旦那の口から、人の道を説く科白が出てくるなんて……いや、鳥肌が立っちまいました。寒気がしまさあ」
思わず、クスッ。
「弥勒の月」 あさのあつこ 光文社 2006.2.25
とうとう、シリーズ第一作目も再読 (笑)
信次郎と清之介の出会い、
清之介の過去、おりんの見投げのいきさつなど
改めておさらいした。
目をひいた文章を書き写す。
「男なんてもんは、そりゃあもう、しょうもない生き物でやすからね。どんなに女房が可愛いくても、ちょっと、色合いの違う女を見ればふらつく。女房が、しっかり家にいてくれる、そこの安心に甘えてふらついてるんですよ」
明日の糧を得ることに追われる寡婦もいるのだ。いつまでも死に拘っていられるほど余裕のある者は、江戸にはそう多くはいない。嘆く前に、食わねばならない。食わせねばならない。それが生活というものだ。
一人前の商人というのはね、金儲けが上手いだけの守銭奴のことじゃない。人がどのくらい本気で仕えて暮れからか、どのくらい心をヨセテくれるか、その力量がある者のことだ。
清之介(清弥)の兄・主馬は言う。
「人は人だ。人そのもの、本人が持つ技量、資質、人柄のみで計られる。母の出自がどうだの、父の身分がどうだの、そんなことに左右されない世が、いつか来る」
「夜叉桜」 2007.9.25
弥勒シリーズ第2作。
これで一通り読み返したことになる。
清之介の兄・主馬の考えがかわった。
赤ん坊のおこまが遠野屋で育てられることとなった。
もう睦月も半ばを過ぎて、
やるべきことがてんこ盛りなのに
弥勒や髪結い伊三次などの再読含め、
本にハマるとトメドがない。
楽なほう、好きな方に流れる意思薄弱。
ちょいと改めないと!
自分に叱咤激励!