ま、いいか

日々の徒然を思いつくままに。

渡岸寺の十一面観音

2011-09-27 11:39:34 | 
6年前だったか・・・琵琶湖に行ったとき、
それまで知らなかった渡岸寺の十一面観音の拝観を勧められた。
当時、収蔵用のケース(宝物殿?)を作っている最中で
従来通り、本堂に置かれている観音様を拝見するなら今の内と。

時間的に余裕なく、長浜城をパスし、戻りはタクシー覚悟で赴いたものだ。
期待に違わず美しく、拝観できたことを喜んだものだが、
それよりも、地域と密接に結びついているらしい様子に心惹かれたものだ。

最近知り合った方に、この十一面観音が小説に描かれていることを教えて頂いた。
水上勉さんと井上靖さんの小説だ。
お二方の作品は、だいぶ読んだ記憶があるが、
どちらも記憶になかったので、連休中の深夜、早速読んだ。


『湖の琴』 水上勉  講談社   昭和41年9月20日

 「うみのこと」と読む。
 記憶にある水上作品同様、切なく哀しい。
 大好きだけど、気持ちが鎮まるのではなく、何かが澱む感じ・・・

 琵琶湖北端にある余呉の大音と西山~養蚕を営み、糸を紡ぐ。
 水のせいか、ここの糸は特別で、三味線弦の殆どを占めていたという。

 三味線の名人桐屋紋左エ門が、この村を訪れようと思い立ち、
 途中で渡岸寺に立ち寄るのだが、
 
 「しかし、紋左エ門は、やがて本堂の前に立った時、足を凍らせたように
  動かなくなった。正面の段に安置された観音像の美しさに、紋左エ門は
  息を呑んだのだ。
  女像がそこに在るような気がした。(略)
  陽光が、その穴から、縞めになって堂内へ光をさし入れているのだ。いま、
  正面壇上に向って、光線は雨を降らせたようにさしている。その中で、
  観世音菩薩の立像が、金色に輝いて浮いていたのだった。不思議であった。
  観音は、心もち腰をひねって上半、くびれた胴から下肢にいたる太股を
  すんなりとあわせて立っていた。その姿勢が、光のかげんで動いたように
  見えた。(略)
  くびれた胴が心もち左にまがってみえる色気に圧倒された。」

 なるほど、このようにして出遭ったなら、私も美しさに圧倒されるだろう。

 極貧の若狭から西山に働きにきた 栂尾さくもまた、美しい女性に成長した。
 その美しさを手元に置きたい紋左エ門は、さくを京に誘う。
 三味線を教えるという口実で。

 さくは、徴兵中で不在の宇吉を気にかけつつ京都に出ることにしたのだった。

 紋左エ門に囲われているまつ枝のヒステリックな妬心も凄まじく描かれているが
 宇吉と紋左エ門の内なる情念、身勝手な行動には
 読んでいて、ザワザワした。

 やはり、水上ワールドだ。
 続けて他の作品を読んだら、気持ちが落ち着かなくなる。


『星と祭』 井上靖  朝日新聞社  昭和47年10月25日 

 昭和46年5月11日~47年4月10日、朝日新聞掲載。
 因みに、私が読んだのは1996年12月10日、新潮社から発行された
 「井上靖全集 第二十巻」
 いつものように図書館から借りたのだけれど、
 読まれた跡がまったくなかった(^^;)

 別れた妻に引き取られた娘が、17歳にして琵琶湖でなくなった。
 7年たっても、遺体はみつかっていない。
 『人間というものは、幸福になるために生まれて来たんではないだろう。不幸に
  なっていいということはないが、幸福というものの予約はないんだな』
 こんなことを言うこともある架山だった。
 
 娘と一緒に湖に沈んだ青年の父・大三浦は、湖岸に多数在る観音様を廻り始め、
 架山も同行する。
 初めて渡岸寺に行ったときの描写は

 「堂内はがらんとしていた。(略) 中央正面が十一面観音、その両側に大日如来
  と阿弥陀如来の坐像。(略) 体躯のがっちりした如来坐像の頭はいずれも
  十一面観音の腰のあたりで、そのために観音さまはひどく長身に見える。
  (略)仏像というより古代エジプトの女帝でも取り扱った近代彫刻でもある
  ように見えた。(略)仏像といった抹香臭い幹事は微塵もなく、新しい感覚で
  処理された近代彫刻がそこに置かれてあるような奇妙な思いに打たれたので
  ある。(略)
  丈高い十一個の仏面を頭に戴いているところは、まさに宝冠でも戴いている
  ように見える。(略)
  大きな王冠を支えるにはよほど顔も、首も、どうも、足も確りしていなければ
  ならぬが、胴のくびれなど一握りしかないと思われる細身でありながら、
  ぴくりともしていないのはみごとである。しかも、腰をかすかに捻り、
  左足は軽く前に踏み出そうとでもしているうかのようで、余裕綽々たる
  ものがある。
  大王冠を戴いてすっくりと立った長身の風姿もいいし、顔の表情もまたいい。
  観音像であるから気品のあるのは当然であるが、どこかに颯爽たるのもが
  あって、凛として辺りを払っている感じである。(略)
  秀麗であり、卓抜であり、森厳であった。腰を僅かに捻っているところ、
  胸部の肉付きのゆたかなところなどは官能的でさえあるが、仏さまのことで
  あるから、性はないのであろう』

 次に連れられて行った石道寺で、思わず架山の口から出たのは
 「きれいな観音さまですね」

 その後も、架山は幾つかの十一面観音を訪れる。
 いずれも戦国の世すら地域の人々に守られて生き抜いてきた観音さまたち。

 十一面観音に出遭ってから、架山の心には変化が起きる。
 それまでは、高名な仏像を見ても、長い年月を経て今日に伝えられている
 文化遺産の一つとしてであった。もともと信仰の対象として造られたもので
 あったが、そういう気持ちではその前に立てず、と言って、純粋な美術
 作品として見るわけにもいかなかった。
 しかし、観音が人間の悩みや苦しみを救うことを己に課している修行中の
 仏様であると、大三浦に説明された時、初めて、十一面観音の持つ姿態の
 美しさを、単に美しいというだけでなく、ほかのもので理解しようという
 気持ちが生まれたのだ。

 架山は、満月を見るためにヒマラヤに行く。
 
   考えてみれば、月を愛でる発想は日本の他にあるのだろうか?
   ルナテイックという言葉が狂気に結びつくように
   少なくとも西洋での、月の風情を楽しむ風習を見聞きした覚えがない。
   太陽と月、陽と陰、調べていくと様々な発見がありそうだけど、
   今は手を出さずにおこう(笑)
 

 「人は生れ、人は死んで行く。ただそれだけのことである。生れる意味も
  なければ、死んで行く意味もなさそうであった。そんなことを、いま
  大地の真上に掛かっている月は言っているようである」P758

 「永劫の前には、人間のことなど、どうすることもできないほど小さい
  んですもの。人間はただ生れて、死んでいくだけ。太古からそれを
  繰り返しているだけ。永劫という時間の中では、生きたことの意味も、
  死んだことの意味も、忽ちにして消えてしまいます」P773

 そして
 「悲しむこと、祀ること、おそらくこの二つ以外、いかなる愛する
  者の死への向い方もないに違いないのである」(ほぼ、ラスト)

 連載完結後の作者の言葉の一部~

 「"星"は、娘の死を運命と考えることによって納得しようとする架山の
  考え方の象徴であり、"祭"には息子の死を祀るという形でしか処理
  できない大三浦の悲しみの形を暗示させている。
  読者諸氏に受け取って頂きたいことは一人の人間の死はその周囲の人に
  とってはたいへんなことであるということ。もう一つは、人間は死者に
  大して手厚くあるべきであるということ。死を軽く取り扱わないと
  いうことは、裏返しにすれば、せいに対して手厚くあるということに
  他ならない」


もう一度、渡岸寺に行きたいと思う。
叶うなら、湖岸で地域の方たちに慈しまれている他の観音さまたちにも
お目にかかりたい。
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