世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
脱することは出来ない
フィリピンの被災者が(略奪)していると伝えれるが、この場合の(略奪)は犯罪だろうか?
生きるために最大限力を尽くすのは 生物として当然であり好ましくあっても、それが法や倫理に反してると断じてよいものだろうか。
人間の生存を否定する「法」や「倫理」は 人間性を失してのことだから 法や倫理とは言えない。
同様に考えると「死刑」「テロ」は法や倫理の主旨から考えると 軽々に是非を断じて良いものではない。
自ら死刑を望んでする犯罪や自爆テロを 何事も無いかのように伝えるマスコミ報道を何事も無いかのようには見過ごして良い筈はない。
人間は生物を脱しているかに見えても脱することは出来ないのだから。
逸脱した生物?
フィリピンの台風の被害に国際的な救援が差し延べられているのは良いのだが、政治の問題として取り上げられる様子は全く無い。数年前の鳥インフルエンザによるパンデミックに至らんとする世界的な騒ぎも同様にして終わった。
政治の要諦は人間への安全管理にあるのに、機能していない。
世界の安全管理無くしては企業も武力も1パーセントの人も意味を為さない。
何がこうさせているのだろう? 人間は生物を逸脱したのだろうか?
四角(死角)依存症
新聞もテレビも本も映画も絵も あの電車もビルもお部屋も四角い
この頃は 道路や交差、プラットホームや電車の中でも 四角い小さなスマートホンを覗く人が多い
もともとこの世に四角いものなど存在しないのに こんなに四角い物ばっかし見ていていたら本物が見えなくならないか。
「大丈夫か?」
昨夜はくっきりした三日月と星が「大丈夫か?」と見下ろしていた
返事に困った老人気取りの老人は 目を4~5回しばたいて 見上げていた
「いつか来た道も、皆で渡れば怖くない」
自立することが子供の1番の目的だろうから、 主体性を確立するために、誰もが 生物の1個体であることを自我の中枢に存在させていることがひつようになる。
人がやり直す時、しがらみを捨てる事も難しく虚心にして0からやり直すのは尚難しく、それを1生物のレベルに立脚するのは
並大抵のことではない。しかし個人も社会もこの事を求められる時がある。
現代社会の(ドン詰まり状態)は依存やハッタリではなく本当の意味で人類が自立し主体性を確立することを緊急に求められているのに、(しがらみ)を高じ(先祖がえり)の観すら見られる。正に転換期の混乱だろうが 、主体性を欠いていては、この道も 「皆で渡れば怖くない。」
「いつか来た道も、皆で渡れば怖くない」
自立することが子供の1番の目的だろうから、 主体性を確立するために、誰もが 生物の1個体であることを自我の中枢に存在させていることがひつようになる。
人がやり直す時、しがらみを捨てる事も難しく虚心にして0からやり直すのは尚難しく、それを1生物のレベルに立脚するのは
並大抵のことではない。しかし個人も社会もこの事を求められる時がある。
現代社会の(ドン詰まり状態)は依存やハッタリではなく本当の意味で人類が自立し主体性を確立することを緊急に求められているのに、(しがらみ)を高じ(先祖がえり)の観すら見られる。正に転換期の混乱だろうが 、主体性を欠いていては、この道も 「皆で渡れば怖くない。」
先ず、新聞を斜め読みしている自分
人類は 人間活動による環境の異変や原発事故程度では反応できないようだから、異変や災害はエスカレートし やがては放っておけなくなる。
その時がいつどのようにやってくるかが気になって、朝起きたら先ず新聞を斜め読みする。もっとも新聞のニュスになる時は (ある意味では)手遅れだが。子供たちの顔も見えなくなったのだろうか?
クレヨンハウスをやっている 怒髪の落合恵子さんではないが (被害妄想)であってほしいと願ってる爺さんが ここにもいる。
「なるようになる」さ!
人類は全体として環境への不適応状態に陥っているようだが、次代を担う子供たちはこれを どう引き継ぐのだろう?
既に子供や若者には多くの犠牲を強いているし、今後もさらに犠牲は増加するに違いない。
しかし、歴史的には多くの矛盾や困難を乗り越えて現代に至っているのだから、世界が抱えている時代的な困難も人類的に乗り越えるだろう。
不適応状態も根源である(自然の法)から 究極的にははみ出せない。
これからの時代 子どもや若者は (世相とは逆に)ヤンチャで少々踏みはずせるぐらいのたくましさがないと難しいのではないか。
自らに問いかける
人は誰でも何かには神経過敏で過剰に反応し、何かには反動であるかのように鈍感で反応しないことが多い。
現代社会は お金を中心に回っているようだから ヒトビトが そちらに過敏に反応するのは仕方ないとして、
空気や水や身近にいる生物までが これだけ激変しているのに 反応出来ないでいるのも反動なのだろうか。
空気や水無しには 生き物は存在できない。
「安全保障」や「平和」を力説するのは故ある事ではあるが、人類の安全を根底から脅かしているものにヒトビトが反応出来ないでいる現状はどうしたことか。
社会を構成する仕組みが機能しないばかか、周囲の市井のヒトビトまで反応出来なくなってはいないか。
日本や権力者に限った話ではなく これは 自らに問いかけている核心である。
許される?
世界の動きが全体として内向きの国家主義を感じるから、主要国の憲法の前文を検索してみた。
前文であるにもかかわらず 自国中心の国内法の意味合いが濃かったり、ヨーロッパは冒頭に(神)を戴いているのも意外だった。 中には平和を「国内の平和」と規定する国まであった。
これが人類が持つ 世界認識や 法や仕組みの おおよその到達点なのかもしれない。
世界はグローバル企業だけでなく、グローバルに動き変化しているのに これでは対応できないのは仕方ない。
「仕方ない」ではなく大人は犠牲を最小限にすべく 発展させるべく生きないと 神・仏はもちろん 先祖や子どもや孫たちにも顔向けできまい。
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