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逆走は禁物

 

  「競争社会」と「共生社会」が対峙し異なった2つの原理が存在し、現代は前者の原理で社会が出来ているような気がしていた。

   しかし、親子が互いに気遣い協力し合うような時空を超えた普遍的な営みは厳然と存在しているから、「~社会」は原理ではなく側面として理解した方がいい。2者を合わせて考えると、後者が原理で前者を側面と捉えた方が整理がつく。

  確かに現実は前者を原理にしているかのようだ。

 行き詰まりは2者が本末転倒しているからではないか。   

   しかし、競争のグローバル化は グローバル化を介して共生へとの繋がる可能性を持ち それが出口の方向を示しているとすれば 逆走には気を付けたい。 

          

   

    

 

                     

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   冬支度するアリさんのおしゃべり



              働きもののアリさんが冬支度をしながら

                      A 「 今年はとうとうカエルさんの声も聞かれなかったし、トンボさんの姿も1度も見なかった。 どうしたんだろう」

                                          B 「 シー うわさは聞いていたけど 『ヒ ミ ツ』でないかって 父ちゃんが心配そうに言ってたよ   おうさむ 」 

                      C 「平和は 積極的にやるって話もあったけどね」

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 壊れかけてるコミュニケーション

 

           

            大人同士、時事問題が話題になった時の会話が成立しにくい。

           自分を反映して感じているのかもしれないが、相手の話を聞かず、一方的に話すことが多く、内容的にも新聞やテレビのコピーかモザイク張り合わ                                   せ を 感じることが多い。

 

             詐欺や詐欺まがいの事実に反した情報が飛び交い、真偽の確かめが大人の責任として求められる時代にあって、大人同士の会話もままならない。

            騙しの仕掛けが充満しているからと言って歴史や社会的背景を無視し、繰り返し騙され、「騙される罪」を重ねるのは 社会的に最低限の義務を投げ出したも同


             然で 社会的責任は免れない。  と筋ばっても、事態はより深刻で共同体と共に 大人のコミュニケションまでもが壊れかけているのかも知れない。

                                     

            

             

           

 

 

 

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 お天道様はお見通し

子供の頃、おふくろさんに「隠れて悪いことをしても お天とう様が全部見ているから バチがあたるから止めなさい」とよく言わたもんだ。

   個人も組織も国も (現実)を前にしては何らかの秘密はもつのは、現実が お天道様ではなく 信用できる者ばかりでは無いから仕方ない。

   でも、秘密は相互の壁のようなものだから出来るだけ少ない方がいいに決まっている。

   秘密主義は古今東西、権力の支配の道具として用いられてきたが、世界も全体的には民主主義を実現すべく情報の       共有化が求められ情報開示へと向かっていると言える。

    日本は伝統的に閉鎖的な気風や社会構造をもち(一般論として)、欧米のようにオープンな社会ではない。

    言い換えれば、(比較的秘密の多い国)とも言える。

    ここに来て、「機密保護法」が提起されているが 問題のポイントは(秘密を減少すべく管理)する)か(秘密を増やし

   管理する)かではないか。

    伝えられるところでは(秘密を減少させる)(秘密を管理する)の両方の観点を持たず秘密を「保護」するとも秘密を「隠す」ともとれる曖昧な形で提案されている。

   加えて、秘密は片務的には終わらず必然的に相互性を持つから、その影響は社会全体に及ぼす。この事も論点には無いようだ。


こんなだから 前時代的政治手法と相俟って「少数精鋭による中央突破」の危惧が生まれる。

    これを おふくろやお天道様は どう見ているだろう?

    

    

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  空間をつなぐ情報の不足

 日頃の暮らしの空間意識は個人的空間意識とムラレベルの地域的空間意識かもしれない。

 実際に物事が動くグローバルな空間と地域的空間や個人の空間は繋がっているはずなのに実感しにくい。

  その辺を認識する情報が不足しているからだろうが、 これだけ中央集権的な社会体制にあって 地域や個人との関係が繋がらないせいか 一般人や各界のリーダーたちまで (政治の役割を人間の安全管理を基準に見ると)政治的方向音痴が多い。 文明の問題かあるにしても、情報機関の責任は大きい。 

    

 

    

  

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子どもは耐えるしかない

戦前の「軍事教練」と今の「学力向上」は 似ていないか。

 昔は武力戦争 今は経済戦争

    誰が戦士に駆り出しているのかは分からないが 子供は「歌を忘れたカナリヤ」のように絶えるしかない

 

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 季節はめぐる 

         

          ぐるぐるめぐる 季節の色取り

      世界の難民をよそに ひたすらGDPを追い求める国々

       今日もオチャラけた情報に漬されながら 子供たちは「学力向上」に家を出る

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5分の魂の話

『テロとの戦い』の言葉を よく耳にするが、 一体 どういう意味だろう?

対峙した一方は「テロとの戦い」と規定し 一方は「聖戦」と規定しているようだが、 争いである事には違いない。

争いならば、争いの原因を知りたいものだが、マスコミの情報では 曖昧でよく分からない。

  「自爆」と「テロ」が安易に両立するかのように『自爆テロ』の言葉も詳しい説明なしに用いられている。

  弱肉強食の経済原理や新植民地支配体制と関係あるのか無いのか? 

「1寸の虫にも5分の魂」と言うのだから、(5分の魂)の話だって知りたい。

   

 

  

 

  

  

 

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ボタンの掛け違い

元首相の小泉氏は記者クラブの記者会見で「原発即0」を唱え「首相が自然を資源とする国家を作ろという方針を決めると良い」と明言しそれには(壮大な夢)があるとも述べた。

安部首相を中心とした政府は「それは現実的に無理で無責任なこと」とのスタンスで臨んでいる.

両者の(自然を資源とする国家)に対する世界観は 前者は「壮大な夢」であり後者は「無責任」とも読み取れる。

 果たして(自然を資源とする国家)が「壮大な夢」や「現実的に無責任」のレベルで論じられるようなことだろうか?

 人間だけでなく生物は自然あっての存在であり、人間が勝手に考える夢や現実ではな人間の恣意や思惟を越えた≪真実≫とは違うか。

  人々の多くの世界観は前記の2人の首相の世界観の間にあって、 ボタンのかけ違いが1個か2個の違いのようなものかもしれない。

 

  

 

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  戻してあげよう

 (歌を忘れたカナリア)を「どうやって捨てようか」と思っても最後は お里に戻してあげるとカナリアは歌い出す。 

  (生き物であることを忘れた人間は)どうしたら生き物であることを思い出すのだろう?

     捨てるわけにも柳の鞭でぶつわけにもいかないから、やっぱりカナリアのようにきれいなお里に戻してあげると好いんだろうな。

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