特別支援学校生、急増(10年で3割)

4月26日朝日新聞朝刊、1面トップの大見出しである。
 メディアも取り上げたとはいうものの、率直に「今頃何を言ってるか?」「状況を理解していない」と思った。
 「急増」と言うこと自体、事態が分っていない。大本営発表そのままだ。
  自然現象だって因果があるというのに、育ちの問題を仮説でも良いから可能な限り原因理由を語るべきではないか。【増えている】とか【保護者が子供の障害を受け入れるようになった。】では
 理由にならないし根本的な対策は立てられない。
 (個人的には)大人が担ってる文明・文化の責任を放棄して、子供や保護者のせいにして済むのか?子供は居場所を無くし、保護者は持って行きようがないだけではないのか。と考えている。
 全てとは言わないが他人事のように発表した文科省やそれをそのまま報道するメディアは子供や家族のことを考えると許せない気持ちになる。
 昨日見た映画「少女の情景」のポスターの言葉、「子供は大人が作った世界の中でしか生きられない。」
 これは、アフガンだけではなく、日本だってどこだって同じ事。
 
 子供でなくても定年前に辞める教師や神経の病気になったり、不登校?になる教師の多いことと誰も繋げて考えないのだろうか?一般的に障害そのものは本人は不便することあっても、苦痛を伴わない。子供や家族の苦痛をどれだけ想像して言ってるのだろうか?
 私も今の学校なら教師にならなかっただろうし、なっていたとしても辞めるだろう。
システムが教育とは程遠い。人間から【学び】を奪ったらどうなるか?まして子供は柔らかいのだから。
勉強と学びは主体の精神活動は全く違うのに‥
ドジも心底怒りを覚える。
(政治や経済社会)を含めた大人の文化がこの事をを区別しにくくしていると思う。
昔はこういう問題はなかったし、後進国では今もない。文化が進んだからか?
環境不適応障害と言われてる雅子妃は彼女のせいか?環境のせいか?
 同じ理屈にならないか。
これまで、障害が発見されなかっただけと言うヒトもいるが、専門家と言われる人からも、納得できる説明を聞いたことがない。
かつては家庭でも学校でも地域でも職場でも普通に生活していた。この事実が如実に因果を説明していないだろうか?
 だからこそ、各界がこの対策を急いで希望を持って進める必要があるのではないか。
 
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電車もいいもんだ。

昨日は、映画(少女の情景)を都心へ行って見た後、近所の碁会所で囲碁を打ち、夕方からは妻と一緒に知人宅に招かれご馳走になった。いい日だったが、最も良かったのは、映画の行き帰りの電車の中の3時間。
 始めは周囲のお客さんを見ていたが、そのうち、乗っている電車がお客さんを見たらどう見えるか?外の街や山から電車を見ると電車や我々はどう見えるか?そのうち、この「競争社会」を(地球)をベースにして見た時どうなるかを考えていた。
 例えば、経済競争だが、世界の国々や企業(主語は人)は地球から資源を競って獲得し、それを物やお金に変えて再び分け前えを争う。これにほとんど立場の違いはない。
 主語を地球にすると、この競争は最終的には成り立たない。
  競争が活力を生むといっても普通生き物は同じ種族で食い合うことはない。
 動物と植物、宿主と寄生生物、花とミツバチののように普通は、共生、相互依存、循環の関係を保つ。ヒトは例外的な競争をしている。
 
こんな競争経済を基にした競争社会が何時までも続くはずがない。
 人間を中心に考えてきたからか上記のような事は浮かばなかったのが
 地球を基に想像したら浮かんだ。
 何を基にするかで見え方は変わり、意味が変わる。
  世界の色んな出来事を、地球を基にして想像し意味を考え直したら面白いと思う。
  
 
 
 
 
 
 
 
  
 
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