世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
畑違い→見えない
小学校の教員になった時、担任していた3年生が教室で私の腰の周りでワサワサしてるのを見て(変だけど)毛虫のようだと思った。それは一週間もしないで消えたが始めはそう感じた。それまで高校で教えていたので背の低い私は生徒を見るとき視線が上向きだった。それが急に下向きになりその上わけのわからない動きをする。気持ち悪いとは思わなかったが奇異な感じだった。
小学校の教師になってからも、小学校は1年生から6年生までありからだの大きさから何から何まで大きな違いがあり、急に1年生のところへ行ったりすると教室が、やけに広く感じ、6年生の教室に行くと教室全体がまんぱんな感じでその上、自分の立っている方まで圧迫感が押し寄せてくる。
担任が変わったときなど目が慣れるのに最低10日はかかった。皆同じだろう。これが障害児学級へ行ったときはそれ以上で10日や1ヶ月では目はなれない。頭はもっとかかるし、対応はさらにかかる。
教師の仕事は職人のようだと思う。大学時代の先生(教授など)を思い出してあの先生達は小学校の先生が勤まるかな?と考えてみると尊敬する先生も含めイメージができない。多分無理だろうと思う。(もちろんやれば顔も変わりやれるでしょうけど)何故イメージが描けないか。私が今も尊敬するカウンセリングを教わった臨床心理の先生も小中学校の教師としては描けない。せいぜい高校の先生ぐらいかもしれない。教育学や地理学の先生も気に入ってたがやっぱり小中学校では無理だろう。このことは中学の美術担当だった妻も言っていた。(東京学芸大の美術の教授が公立の中学へ指導に来たが数ヶ月もしないうちにノイローゼ状態になってやめたと言う。)児童心理学や臨床心理学をやっているからといって,児童の心理が分り対応できるものではない。学問をしていても教育の場合は実践して学ぶものであり全く別だ、指導の対象の子どもが目の前にいてそこで始めてその子から何が必要かを知らされるものなのです。【どんな指導計画があっても、実践ではその場で子どもから(気障だが)どう教えるかを学ぶものなのです。】だから指導計画は以前の指導時の様子を見て思い出して立てる。教育や指導はこの繰り返しです。
教育再生会議のメンバーの経歴を見て何を相談するというのだろう?人は一応一人前になったら、「自分の畑」や「自分の持ち場」がある。あの中に教師としての経験者は2人かな?教壇を離れて1年以上離れているからよっぽど気をつけなければ【元教師】の肩書きでものを言うことになる。(今は子どもが見えないはず)ましてどこそこの会長・理事長・学長・教授・コメンテーター・劇団代表・企業相談役が集まってもどうして子どもが読み解けるか。思い出す元さえないではないか。何か勘違いしているようだ。教育は1時間の指導計画であれ,100んねんの計の国の教育計画であれ教育される子どもからの情報を分析しないで計画は立てられない。そこを無視して計画を立て実行してきた結果が今日ではないか。いい加減繰り返すのはやめてほしい。とにかく子どもを読み解くのはそう簡単でないことを知ってほしい。昨日書いたが、今の私は子どもが見えないし読み解けない。そのぐらい厳しい。
自閉症でも不登校の子どもでもいいから
1時間彼等に付き合ってもらえるかどうかを再生会議の採用の登用試験にしてほしい、と言いたいぐらい。安倍首相も試験ぐらいは受けてほしい。それからものを言ったほうが、真実味が出てくる。