朝日!それはないでしょ

11月7日の朝刊の社説「学力テスト 下位校の予算を削るな」のタイトルを見た時「それはそうだろう」と少し期待して読んだ。読み終わってバカらしくなった。朝日の論説委員の見識の無さに呆れてしまった。例の東京足立区教育委員会の学力テストの結果で予算に差をつける方針に対する社説のこと。足立区が今までやってきた学校選択性や2期制の施策を評価した上、「子どもや学校が互いに競争することは必要だ。これまで多くの学校が横並びを続けれてきたことが、学校から活力を奪ってきたことは間違いない」と前置きしてから社説の主張に入っている。前置きの部分は今までもあちこちで聞いてきたフレーズ。ただ事実に基づき、指導法として適切かどうか具体的に説明しているのをただの一度も聞いたことがない。

 上記の出所はどこであってもいいが、指導は一般論であっても具体的な状況によっては正反対の結果になる。因果関係を伴った科学的なものであることを知ってほしい。今の子ども達をさらに競争させることが指導法として適切か?学力テスト自身が横並びを求めている画一的な評価指導法ではないか?今子ども達が抱えている問題はどうなるか。学校が活力を失っている認識は私も同じだが、横並びが原因と本当に考えているのでしょうか?原因を探る取材をしているとは考えられない。テスト以外どんな授業でも1時間見れば分るはず。一斉授業でも横並びに授業をすることは不可能です。横並びしているのは教師のことか子供のことか?
率直に論説を書く前段の準備すらできていない感じがする。いじめで自殺したり、義務教育で多数登校できない子ども達のいることを考え、事実を探り誠実に書いてほしかった。

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必修漏れの責任はあいまいになるだろう

昨夜,NHKの(持論)で必修漏れを(多分教育関係の専門家だと思うが)解説していた。やっぱり原因は学校(長)の裁量のやり過ぎとして殆どは指導要領の問題,しいては大学入試の大学の問題としていた。大体の話の流れは文科省や政府の談話と同じようだった。法律違反があっても、その責任を追及せず、法律(指導要領)のせいにしたり、現実社会のせいにする。普通国民はそんなことが許されるだろうか。交通違反一つとってもそんなことはありえない。仮にそういうことを論ずるにしても、先の話で今大事なことは、高校生への緊急措置と、責任問題ではないだろうか。責任問題はそこそこにして追求しないだろう。何故なら、追求する矢はブーメランのように己に戻ってくるはずだから。それにしても、当局・メディア・専門家が揃って問題をそらす。いじめや自殺が問題になってる折、こと、教育や子どものことでこんな処理の仕方は子どもにどんな意味になるだろう?こういう姿勢が間接的ではあるが子ども達の問題の背景になってはいないだろうか?にここではこの違法行為(文科省や教育委員会・管理職は指導要領は法的拘束力を持つと説明してきた)の責任が曖昧にされ誰も責任をとらず、「指導要領見直し」を声高かに叫ぶ教員組合や野党の主張をそのまま戴き利用する(従来その手法を良く使ってきた)ことになるだろうという予測にとどめる。

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